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2021年9月 6日 (月)

三嶋神社 由緒がある小社

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

三嶋神社はマンションの壁に張り付いたような小さな神社ですが、その由緒は古く、皇統(天皇の血筋)を守ったとされます。今日は、新しい資料にもとづいて過去の記事を再編集しました。

東大路通の馬町交差点から東に続く府道は「渋谷(しぶたに)街道」と呼ばれます。渋谷越とも呼ばれ、東山を越えて洛中と山科を結ぶ通りの一つです。かっては滑谷(しるたに)や汁谷とも記され、沢の水や落ち葉などにより滑りやすい道だったことに由来するそうです。

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上の花屋さんの横の道に「佐藤継信・忠信之塚 正六位政養之碑」の石標があります。かってこの先には平安時代末に源義経に従い平家と戦った佐藤継信・忠信兄弟の墓と伝わる十三重石塔がありました(現在は国立京都博物館所蔵)。

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佐藤政養(1821~77)は佐藤兄弟の子孫で、勝海舟の従者として活躍、明治維新後は新政府の鉄道建設を技術面で支えました。政養は十三重石塔の跡地に祖先の塚と父の顕彰碑を建て、その没後遺族によりそれらの所在を示す上の石標が建てられました。

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渋谷街道をさらに上ると、右面に「是より西大谷・清水」、左面に「左 大谷二町・清水二町」と刻まれた道標があります。右面は渋谷街道を山科から来た人に向け、左面はこの横の道が近道であることを示しています。この近道を行くと清水五条のガード下に出ます。

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もう少し坂を上ると、「三嶋神社」ののぼりが見えます。かってこのあたり一帯は平家の所領で、平重盛の屋敷があった場所といわれています。

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平安時代後期、後白河天皇の中宮建春門院(平滋子)は、皇子のないのを憂いて摂津三島神に祈願したところ、霊夢に感じて後の高倉天皇を懐妊したとされます。(渋谷街道の北は斜面になっていて、神社へは坂を下ります。)

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後白河天皇は深く三島神を崇敬して、永暦元年(1160)平重盛に命じてこの地に社殿を造営し、三島神を勧請したのが三嶋神社の起りとされます。 (左手に三嶋神社社務所・三嶋神社咲耶会事務局の建物があります。)

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治承2年(1178)高倉天皇の中宮建礼門院もまた当社に安産を祈願し、安徳天皇を授かったとされます。(社殿は右にありますが、最初に左の社務所の横道に入ります。)

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平家没後も安産祈願の神として信仰され源頼朝も参詣したといわれますが、鎌倉時代の1241年社殿が焼失しました。(社務所の横は旧社殿の跡地です。)

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1277年には鎌倉幕府第8代執権・北条時宗が再建しましたが、室町時代の1567年兵火により再び焼失。安土桃山時代の1573年正親町天皇により再建、江戸時代の1677年には霊元天皇により、社殿が修繕されました。

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江戸時代には上下馬町の鎮守社となりました。しかしながら、平成12年(2000)負債により境内地や社殿を失い、祭神は瀧尾神社に遷座されました。

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瀧尾神社(下)は東福寺の北の伏見街道沿いにあり、渋谷街道は伏見街道が始点です。現在でも三嶋神社の祈祷所があり、御朱印もいただけるそうです。(もちろん、こちらの社務所でも授与されます。)

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2年後(2002)に旧社地に社殿が再建されて、祭神が瀧尾神社から還幸・還座されました。マンション「ルネス・ピース清水南」の横でちょっと狭いですが仕方がなかったようです。

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主祭神として、大山祇大神(おおやまづみのおおかみ)、天津日高彦火瓊瓊杵尊(あまつひだかひこほのににぎのみこと)、木之花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀ります。

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夫婦和合、子授け、安産、避妊、水子慰霊を始め、あらゆる生物の出生、成育、放生守護の神として信仰されています。上の釣り灯籠は奉納されたものです。

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相殿に宇迦能御魂大神(うかのみたまのおおかみ)、天照皇大神、 素戔嗚尊、軻遇突智神(かぐつちのかみ)、猿田彦大神、菅原道真を祀ります。軻遇突智神は火の神で愛宕神社にも祀られています。

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下は「遥向石(ようこうせき)」 木之花開耶姫命が影向(えこう、降臨)した石といわれ、安産の信仰があります。また、妊婦が男児の授けを祈願して、石に手を触れ腹を撫でると成就するともいわれています。

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祭神の大山祇大神は山の神、水源を司る水の神です。山から下った水が海に注ぎ、再び雨になって山に水をもたらし水源となる、水の循環を司る神でもあります。山の川と海の間を自由に動き回る生命力の強い鰻がその神使になったといわれます。

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かっては子授祈願に2尾の鰻、安産祈願や大願成就(出産)のお礼には3尾の鰻を奉納する習わしがあったそうです。現在では、2尾の鰻の絵馬と3尾の鰻の絵馬を奉納します。平成12、15年には秋篠宮殿下も参詣し、平成18年に悠仁親王が誕生しました。

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秋の神幸祭では、京保14年建立の大神輿、妙法院門跡奉納の剣鉾「菊之御鉾」、稚児行列や子供神輿が三十三間堂まで巡行します。露店も出て、小さな社殿ながら近所の人々に親しまれているようです。

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ところで、三嶋神社は一時は社地を失いましたが、古文書は現存して現宮司の友田重臣氏に伝わっています。1998年頃から神社の依頼で、京都女子大学古文書研究会が調査にあたり、その後卒業生の水谷友紀さんが務める府立大学に引き継がれました。

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古文書の総点数は約2000に及び、2020年1月には文化遺産叢書第18集『京都東山・三嶋神社文書調査報告』が刊行されました。中世武士の妙見信仰が近世の民衆信仰へと変化していく過程(妙見宮は三嶋神社の摂社ですが瀧尾神社に残されています。)

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近世の三嶋神社神主家と妙法院門跡、京都代官小堀氏の寄進、禁裏の安産祈願、神使としての鰻など多様なテーマで調査研究がまとめられています。詳しく紹介するスペースがありませんが、調査は今後も継続するようです。

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コメント

感じのいい、お花屋さんですね。
近道の標石って、あるのですね。珍しい気がします。
三嶋神社は、小さくなったけど、
これはこれで個性的でいいのかもしれませんね。
大きさより中身、そんな気がします。

投稿: munixyu | 2021年9月 9日 (木) 16:25

★munixyuさん こんばんは♪
小さくなっても、お祭りには近所の人々が集まってくれるのが嬉しいですね。

投稿: りせ | 2021年9月11日 (土) 02:16

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