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2021年9月22日 (水)

通称寺を巡る 萩の寺・常林寺

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

「常林寺」は正式には光明山摂取院常林寺といい「萩の寺」として有名ですが、仏像を始めとする貴重な寺宝を所有しています。今日は、謎とされている帯刀僧形像について考察をしてみます。*9月の特別公開は新型コロナのために中止となりました。

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常林寺は安土桃山時代の天正元年(1573)、魯道上人を開山として寺町通荒神口付近に創建された浄土宗寺院です。「本堂」

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寛文の大火(1671年)で類焼して現在地へ移転、元禄11年(1698)7世英譽上人によって現本堂が建立されました。

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常林寺は知恩院の有力末寺で、総本山が末寺へ発布した通達には、役番として常林寺の書判がみられるそうです。(参道横には詩碑や蹲踞などがありますが、萩に隠れて見えません。)

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この寺の萩は、宮城野萩・垂れ萩という種類で、花が咲き終った10月から11月に地表近くで刈り取ると、次の年の5月に新しい芽が出てくるのだだそうです。

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2018年の京の冬の旅で初めて公開され、それに先立って行われた寺宝の調査や建物の修理によって様々な事実が判明しました。特別公開の受付は本堂横の玄関です。

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本堂には、本尊の来迎の阿弥陀三尊像を祀っています。中央が阿弥陀如来、左はその知恵の化身の勢至菩薩、右が慈悲の化身の観音菩薩です。室内の写真は京の冬の旅のガイドブックと常林寺のしおりからの転載です。

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脇壇には、戦火を免れて常林寺に遷されたという聖観世音菩薩像に加えて、菊と桐の紋入りの衣に高下駄姿の帯刀僧形像が祀られています。この僧が誰でどうして常林寺にあるのか不明だそうです。 写真と説明は後ほど。

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本尊の背後に「釈迦三尊」の壁画が残されています。幕末から明治にかけて活躍した日本画家・岸竹堂(きしちくどう)の作品です。他に地蔵菩薩像やクリーニングされて金色に輝く阿弥陀如来座像もありました。

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本堂の天井にはご住職の叔母で日本画家の野村はるみによる77枚の四季折々の花が鮮やかな色彩で描かれています。常林寺では初めての特別公開にあたって本堂の修理をおこない、その落慶記念に奉納していただいたそうです。

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野村はるみは昭和9年生まれ、植物との共生を描き日展特選を2度受賞しましたが、残念ながら特別公開前に亡くなりました。この日は「萩図」という作品も展示されていました(最後の写真)。下は本堂横の内庭。

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常林寺は、戊辰戦争時に幕府側代表として西郷隆盛と会談し「江戸城無血開城」を成し遂げた勝海舟の京の常宿でも知られます。下は、海舟が海軍伝習生として長崎や神戸に赴いたときに滞在したと伝わる「勝海舟逗留之間」。

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時には、坂本龍馬とともに逗留することもあったそうです。子母沢寛の長編小説「勝海舟」に常林寺が登場して、勝海舟はこの東山の眺めがよい部屋に泊まり、龍馬など同行者は障子をあけると墓が見える部屋に泊まった場面が出てきます。

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小説には武骨な門下生たちが伐株からようやく芽を出したばかりの萩を踏み荒らした話も出てきます。ここはかって存在した「砂川」が鴨川に合流する場所で、庭にその痕跡が残っています。

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ところで、帯刀僧形像について、ご住職の平清盛かも知れないという説明は参拝者へのサービスだと思われます。一般的には、門跡寺院や院家、院御所を警護した侍法師の可能性が高いと思われます。

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常林寺が知恩院の有力末寺であったことから、知恩院宮を警護する侍という可能性を第一に検討すべきだと思います。知恩院宮は知恩院に入寺した法親王で、慶長12年(1607)徳川家康が後陽成天皇に奏請、皇子八宮を宮門跡としたのに始まります。

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門跡領1045石、宮御殿は知恩院境内下段の今の華頂学園付近に設けられました。第二代知恩院宮門跡・尊光法親王に随侍していた坊官・岩波少進延庸による『東山門室記録』に、宮門跡の組織が詳しく説明されています。

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院家、坊官、家老、僧衆、小姓、侍、下部、医者からなり、家老は坊官のもとで、小姓、侍、下部の侍衆を統括しました。また、親王に随行してきた侍が知恩院で得度して剃髪した出来事も書かれています。

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境内に降りて、山門の近くの「地蔵堂」には世継子育(よつぎこそだて)地蔵尊が祀られています。この地蔵尊は、常林寺の創建以前から京の七口の一つの今出川口にあり、若狭(鯖)街道を往来する人々が旅の安全を祈願しました。

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また、子授け・安産の信仰を集め、遠国からお参りする人もあったといわれます。右手前の石標はかって山門の外にあり、京の街を往き来する人々の道しるべでしたが、40年前に折れているの分かりここに移したそうです。

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左手前に『菊の紋入り灯篭』があります。平成27年檀家の湯口家が引越するにあたり、菩提寺の常林寺に預けていったものです。

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明治天皇は幼い頃、御所を脱け出して旧有栖川邸の近くにあった湯口家の当主・音七さんを訪ねて遊んだそうです。天皇家が東京に移る際に、『お世話なりました』としてこの灯籠を湯口家に贈ったそうです。

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また、湯口家の建替工事の際に地中から掘り出された「地蔵尊」も常林寺に預けられ、中央の世継子育地蔵尊の左に祀られています。

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地蔵堂前に昔から線香立てとして使用されている石柱があり、本来は水鉢だったのではないかと考えられています。側面の三方に、素朴な姿の仏様が彫られていて、人々に親しまれてきた歴史が感じられます。

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地蔵堂の横に鎮守社だと思われる小さな祠があります。その裏に菊の紋入りの瓦が置いてありますが由来は不明です。上で述べた知恩院の宮御殿(明治3年廃絶)のものかも知れません。

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コメント

萩の寺。
今ごろ綺麗に咲いてるだろうに、
残念ですよね。
来年はどうなるのか、何年続くのか。
不安になってしまいます。

投稿: munixyu | 2021年9月22日 (水) 15:13

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