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2021年9月 5日 (日)

実相院と古市胤子(三位の局)

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

岩倉の実相院は江戸時代前期に足利義昭の孫・義尊により再興され、華やかな時代を迎えました。今日は、その経緯と義尊の母・古市胤子(ふるいちたねこ)の物語を紹介します。

下の「四脚門」は江戸時代中期の1721年に大宮御所から移設されたもので、国登録文化財。築地塀は最高格式の5本線が入った筋塀です。

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「実相院」は山号を岩倉山という天台宗の単立寺院で。かっては岩倉門跡とか岩倉御殿ともいわれました。鎌倉時代前期の寛喜元年(1229)、静基(じょうき)僧正が現在の北区紫野に開山しました。

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静基は鷹司兼基の子で、兼基は摂政近衛基通の四男で大納言まで上り詰めた有力な公卿です。創建時から公家の子弟が住職を務める門跡寺院でした。(玄関横の「御車寄」は、江戸時代中期の1721年に大宮御所からの移設。)

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数少ない女院御所の遺構といわれていますが、建物は老朽化して周りから補強材で支えられています。

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実相院はその後、京都御所の近くの今出川小川に移りました。(玄関の拝観入口を過ぎると、最初に客殿の「滝の間」の前を通ります。ここは床もみじ、床みどりが有名なところですが現在は撮影禁止です。)

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実相院は室町時代の応永年間(1394-1428)に岩倉の現在地に移りました。(こちらの客殿と右にある書院の間に山水庭園があります。)

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移転は応仁の乱の戦火を逃れるためだったといわれています。しかし、戦国時代の1546年兵火により焼失し、その後衰退しました。

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山水庭園は、楓も多く紅葉の頃は美しい色合いになり、池には天然記念物のモリアオガエルが生息しています。向うの書院まで渡り廊下がつながっています。

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1572年足利義尋(ぎじん)は室町幕府15代将軍・足利義昭の嫡子として誕生します。しかし、義昭が織田信長と対立して京都を追放されると人質として信長に預けられ、 わずか1歳で出家させられました。

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信長は義昭追放後も足利幕府の権威を利用しようと考えていたとみられています。やがて、義尋は大乗院門跡を経て、興福寺の大僧正にまでなりますが、のちに還俗して足利高山と号しました。

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義尋は古市胤子を妻に迎え、1601年義尊、1604年常尊が生まれました。古市胤子の父は大和国の駒崎城主・古市胤栄、母は関白近衛前久の娘桂光院殿。1605年義尋が没した後は、母方の親戚の後陽成天皇女御の近衛前子の縁で宮中に出仕。

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茶々局あるいは三位の局の女房名で呼ばれました。その後、後陽成天皇の召人となり、1612年道晃法親王をもうけました。その前後に生んだ2子は夭折しています。(外縁を通って客殿の東に回ります。)

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後陽成天皇は、義尊と常尊も皇子と同じように寵愛したといわれます。やがて、寛永年間(1624-1644)義尊は門主として実相院を再興、常尊は円満院門主、道晃法親王は聖護院門主となりました。

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実相院は天皇家とゆかりが深まり後水尾天皇や東福門院らがしばしば行幸に訪れました。庭は比叡山を借景とする枯山水で、2013年から2014年にかけて「こころのお庭プロジェクト」によって大改修されました。

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三位の局は最期まで後陽成院の傍に仕え、1638年宮中を退き実相院のある岩倉に閑居しました。(こころのお庭プロジェクトでは、植治の小川勝章の監修により市民も参加して、白砂に石や苔、桜、楓のなどの植栽を配しました。)

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その後、後西天皇・皇子の義延入道親王(?-1705)が入寺した後は皇孫の門主が続きました。(プロジェクトでは、新たに打ち寄せる大波を表して木製のオブジを設置しました。)

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さらに、霊元天皇の養子・義周(ぎしゅう)法親王(1713-1740)が門跡となったとき、京都御所から大宮御所の「承秋門院の旧宮殿」の一部が下賜され、四脚門、御車寄、客殿となりました。パノラマ写真です。

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北の苔庭の山際に石仏が並んでいます。楓が植えられていて客殿の床もみじの背景になっています。

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明治になると上知により寺領を失い、敷地と建物の多くを京都府立療病院(後の府立医科大学付属病院)に「献納」しました。戦後の1952年、実相院は園城寺を本山とする天台寺門宗より独立して、単立寺院となりました。

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Wikipediaには、「老朽化が進み、主な建物は多数のつっかえ棒が施されてようやく倒壊を免れているのが現状であり、修理のための資金集めが課題となっている。」と書かれています。

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実相院では「実相院修復支援文化プロジェクト」を立ち上げてメンバーを募集しています。一時期、展覧会やコンサートを開催したようですが、現在は表立った活動が見えてきません。引き続き、資金集めが課題のようです。

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コメント

つっかえ棒が多くみられ、老朽化が気になりますね。
最後のウサギの石、面白いですよね。
自然が作者なのでしょうね。

投稿: munixyu | 2021年9月 7日 (火) 20:54

★munixyuさん こんばんは♪
実相院は秋の観光名所ですが、市内から少し時間がかかるのが残念です。庭の置物や石はお寺の人の気持ちが感じられて、いつも注意して見ています。

投稿: りせ | 2021年9月11日 (土) 02:13

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