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2021年9月18日 (土)

産寧坂と明保野亭事件

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は産寧坂(三年坂)の石段にあるお店を見ながら、幕末に「明保野亭(あけぼのてい)」で起こった事件を紹介します。初めての記事で、写真の多くは未公開です。

先日の記事の興正寺霊山本廟の入口から産寧坂の石段(上の写真)。石段の中央左上に明保野亭の看板が見えます(下の写真)

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1864年、幕府から池田屋事件の残党の捜索を命じられた新選組は、東山の料亭「明保野亭」に長州系浪士が潜伏しているとの情報を得ました。下は陶器専門店「松韻堂」*以下のお店の説明はほとんどありません。

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当時の新選組は池田屋事件で多数の死傷者が出たため、会津藩から応援が派遣されていました。6月10日、武田観柳斎率いる新選組隊士15名と会津藩士5名が探索に出動。「瓢箪屋」

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明保野亭に踏み込むと座敷にいた武士が逃げようとしたため、会津藩士の柴司が追いかけて庭先に追い詰め、背後から手槍で腰を突いて後ろ傷を負わせました。「京の版画と陶器の店 しまだ」

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直後に相手が「自分は浪士ではない、土佐藩士の麻田時太郎である」と名乗り、確認が取れたため解放し、麻田は土佐藩邸に引き取られました。 「おちゃのこさいさい 産寧坂本店」

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会津藩は事情聴取の上、柴の行為は正当な職務遂行であって問題なしと裁決し、念のため土佐藩邸に見舞の使者と医師を送りました。当初は、土佐藩側も最初に名乗らなかった麻田に落ち度があるとして穏便に処理する姿勢でした。

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しかし翌11日に土佐藩が、現場で逃走を図った上、武士にあるまじき後ろ傷を受けたことを「士道不覚悟」として咎め、麻田を切腹させたことで事態が一変しました。(現在もこの地に京料理「明保野亭」が営業していて、この日はここでお食事をしました。)

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当時、土佐藩は山内容堂の方針で公武合体を支持しており、会津藩との関係も良好でした。しかし、内部には土佐勤王党など倒幕を目論む勢力もあり、土佐藩に不公平な処理として反発、新選組・会津藩への報復を主張する者も現れました。

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山内も藩内強硬派の意向を抑えかね、事態は会津と土佐の衝突に発展しかねない状況になってきました。(この日は京弁当を頂きました。*明保野亭は新型コロナによる観光客激減のため、昨年2月から休業中です。)

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会津藩主・松平容保は、事態の処理に苦慮します。京都守護職という立場上、他藩との抗争で自ら京の治安を乱すことはできず、一方で土佐藩の面子を立てて両成敗で事態を収拾するには、柴を処断する以外にありません。

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しかし、いったん正当と裁決したので柴に切腹を命じる名分がありません。藩主の苦悩を聞いた柴は兄とも相談の上、自主的に切腹することで藩の苦境を救う決意をします。

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結局、12日に柴が兄の介錯で切腹し、会津藩と土佐藩の衝突は回避されました。柴の葬儀には会津藩士の他、新選組隊士たちも参列してその死を惜しんだそうです。墓所は金戒光明寺にあります。(向かいの「比沙屋」)

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当時の明保野亭は料亭と旅宿を兼ねており、倒幕の志士たちが密議に利用していました。二階からは京の町が一望でき、敵の動きが把握しやすいという地の利もありました。石段からは坂本龍馬の写真が目印です。

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上隣りの和雑貨「あけぼの亭 井和井」の前にある石碑「維新 明保野亭跡」 かっての明保野亭はこの石標よりやや北東にあったといわれ、下隣りの現在の明保野亭の座敷あたりと思われます。

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阿闍梨餅の「満月」 ここに店を出して10年目の昨年(2020年)6月21日、賃貸借契約期間の満了に伴って閉店しました。

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司馬遼太郎の『竜馬がゆく』では、坂本龍馬が土佐藩家老息女・お田鶴さんと密会を重ねた場所が明保野亭とされています。ただし、お田鶴様は架空の人物で、土佐藩士の娘・平井加尾がモデルといわれています。

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龍馬の幼馴染で、和歌や文筆をたしなみ、坂本家とは家族ぐるみの付き合いがあり、龍馬の初恋の相手とする説もあります。加尾は明治維新後に土佐勤王党の西山志澄を婿に迎え、夫は衆議院議員や警視総監を歴任しました。

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休業中でも明保野亭の入口には坂本龍馬の写真が貼ったままになっていて、いずれ営業を再開する決意を表しているように思えます。

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コメント

コロナ禍以前の写真は、
のんびり感といいましょうか、旅行感がありますよね。
人が多いのに、のんびり。
今は人が少ないのに窮屈。
不思議なことですね。
明保野亭事件は、背後から刺した方も刺された方も切腹と、
腑に落ちないですが、そういう時代だったということなのでしょうね。

投稿: munixyu | 2021年9月18日 (土) 17:15

★munixyuさん こんばんは♪
組織を守るために自決せざるをないという思想が、現在の日本にも続いているのが残念です。

投稿: りせ | 2021年9月25日 (土) 00:26

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