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2021年10月 1日 (金)

通称寺を巡る ひょうたん寺

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は出水通とひょうたん寺の記事を再編集してお届けします。*緊急事態宣言が解除されたのでそろそろ外出しようと思っていますが、まだ未定です。

「出水通」は上京区にある東西の通りで、丸太町通の北、中立売通の南に位置し、東の烏丸通から西の七本松通まで続きます。通りの名の由来は、かって烏丸の西にあった湧泉が雨水でしばしばあふれ、道路に浸水したからといわれています。

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この通りは平安京の近衛大路にあたり、同じく朱雀大路にあたる千本通から西はお寺が並びます。上の写真の左は「善福寺」で、その山門の脇(千本通との交差点)に小さなお堂があり、如意輪観音を祀っています。

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その如意輪観音像は平安時代の作ですが、江戸時代に丹後半島で網にかかって曳き上げられ、ここに運ばれたそうです。脇に小さなお地蔵さんが祀られています。


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向かいにある「長遠禅寺」中に入れませんが人見勝太郎の墓があります。彼は幕末の幕臣で遊撃隊に入隊しました。戊辰戦争で奮戦するも敗退して江戸へ撤退。その後も徹底抗戦をして、北関東から東北地方を転戦し、最後は蝦夷地へ渡りました。

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蝦夷共和国下で松前奉行を勤めるも、明治2年に旧幕府軍は降伏しました。戦後は明治政府に出仕して茨城県令(知事の前身)などに任命されました。後に実業界に身を投じ、大正11年に死去、享年80歳でした。

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その西隣に「福勝寺」があります。山号を竹林山という真言宗善通寺派の寺ですが、「瓢箪(ひょうたん)寺」と呼ばれています。山門は通常閉じられていて、節分会(2月3日)のときだけ開門されます。

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かつて九条家屋敷の門だったそうで、寺紋の「下がり藤」は九条家の菩提寺であったことに由来します、

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福勝寺は、平安時代前期に弘法大師空海が河内国(羽曳野市)に創建したのが始まりとされます。その後衰退しましたが、鎌倉時代の正嘉年間(1257-1259)に醍醐寺の覚済僧正によって京都市内に移され再興されました。

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安土・桃山時代に豊臣秀吉が武運を祈願して千成瓢箪を寄進して、千成瓢箪を旗印にしたことから、「ひょうたん寺」と呼ばれるようになりました。

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その頃後陽成天皇(在位1586-1611)の勅願所になりましたが、江戸時代の1701年に焼失しました。その後、現在地に移され、後西天皇(在位1655-1663)の勅願寺となりました。

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本堂には本尊の薬師如来(峰薬師)を祀り、京都十二薬師霊場会第6番札所本尊、脇壇の聖観世音菩薩は洛陽三十三観音巡礼の29番札所本尊です。病気平癒、夫婦円満、商売繁盛、現世利益、開運出世などのご利益があるとされます。
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薬師如来は愛知県の鳳来寺の薬師如来と同木同作で、鳳来寺開山の利修仙人の作と伝わっています。東大寺大仏の再建に際して重源僧正に授与され諸国を遍歴、その後当寺に持仏として奉安されました。福勝寺は「峰薬師」とよばれることもあります。

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後西天皇が御所紫宸殿前の左近の桜を当寺に分栽して、見事な花を咲かせたことから「桜寺」ともいわれました。「福勝寺の牡丹桜」として「出水の七不思議」の一つです。当時の桜は枯死しましたが、現在は二代目の桜が植えられています(写真中央)。

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由来は不明ですが、見事な十三重塔があり初層に四面仏が彫られています。

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聖天堂に安置されている歓喜天像は「聖天さん」として親しまれ、好物の「大根」は夫婦和合、「巾着袋」は財福を象徴して商売繁盛のご利益があるされます。

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福勝寺は観光寺院としての拝観はおこなっていないそうです。聖歓喜天縁日の毎月1日と16日には、本堂と聖天堂の拝観が自由にできます。

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向かいの石材店の右に「宴(えん)の松原」の石標があります。平安京の中央部の西、豊楽院の北にあった東西250m南北430mの広場で、大内裏の西の松林跡とされます。名称から宴の地、あるいは内裏の建替えの代替地ともいわれています。

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『大鏡』や『今昔物語集』には、この一帯は鬼や妖怪が出没し、松の木の下で女性が殺されたなどと記されています。後に関白となる藤原道隆・道長の兄弟が肝試しを行い、得体の知れない声がして道隆が逃げ帰った逸話があります。平安京オーバーレイマップ。

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道隆は、その娘・定子に仕えた清少納言の枕草子に「一日中冗談を連発していた」人物と書かれています。宴の松原の地域で大規模な発掘調査は行われていませんが、道路整備の際に地表から60~70cmの深さで平安時代の整地層が見つかっています。

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建物跡や出土する遺物がほとんど見つかっていないことから、文献通り広大な手つかずの区域で、その用途は未だに謎となっています。

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コメント

緊急事態宣言の解除は、嬉しいことですが、
外出のタイミングって難しいですよね。
収束したわけではないので。
どこまで収束していくのかを、もう少し見たいところですよね。
世間の動きがどうなるのか・・・。

投稿: munixyu | 2021年10月 1日 (金) 16:27

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