新熊野神社と平治の乱後の状況
←目次 2006年1月27日から毎日更新しています。
今日は、平治の乱後の後白河上皇に焦点を当てて、新(いま)熊野神社の今頃の記事を再編集してお届けします。最後に、まん延防止等重点措置が解除された後の、京都府の感染対策を紹介します。
平治の乱によって、後白河上皇の側近で反目していた信西(藤原通憲)と藤原信頼、武士では源義朝が死亡し、平清盛が勝ち残った状況でした。(新熊野神社は東大路通七条下るにあります。)
時の二条天皇は後白河上皇の長男でしたが、生母が出産直後に急死したため祖父の鳥羽法皇に引き取られ、その后の美福門院に養育されました。そのため、美福門院のまわりに二条天皇の親政を支える勢力が集まり、後白河院政派と対立していました。
平治の乱の後、後白河上皇は二条親政派の中心だった大炊御門経宗(昨日の記事参照)と葉室惟方の逮捕を清盛に命じました。二人は藤原信頼とともに信西殺害の首謀者でした。
鳥居を入った左に、創建当時上皇が熊野から移植した、お手植えの大樟(京都市指定天然記念物)があります。この神社特有の神・大樟大権現(樟龍弁財天)のご神体になっています。
後白河院政派と二条親政派の対立は、双方の有力な近臣が共倒れになったことで小康状態となり、二頭政治が行われました。蔵人頭・中山忠親の『山槐記』によると、国政の案件は双方に奏上され、前関白の藤原忠通が諮問に答える形で処理されました。
永暦元年(1160)10月、後白河上皇は焼失した三条殿に代わる新たな院政の拠点として、法住寺殿の造営に取り掛かりました。六波羅の南、東七条末には、信西をはじめ貴族の邸宅が並んでいました。(名は摂関期に創建された法住寺に由来)。「社務所」
10月16日、後白河上皇は法住寺殿の鎮守として日吉社と熊野社を勧請しました。新日吉社は、競馬や流鏑馬など武士の武芸が開催される場となり、新熊野社は熊野詣に出発する前の精進・参籠の場となりました。手前が拝殿、奥が本殿です。
本殿には熊野牟須美大神(くまのむすびのおおかみ、千手観音)を祀ります。以下では祭神の後のカッコに本地仏を示します。祭神が人々を救うために仏教の仏や菩薩の姿となったと考えたものが本地仏で、熊野信仰は古くから神仏習合の宗教でした。
上皇は平清盛に命じて、熊野から土砂材木等を運び社殿を造営、神域に那智の浜の青白の小石を敷き霊地熊野を再現して、熊野の新宮・別宮としました。熊野三山の全ての神々「熊野十二所権現」が本殿およびその周囲の祠に祀られています。
17日後白河上皇は早速、勧請したばかりの新熊野社に参籠、23日初めての熊野詣に出発、清盛も同行しました。以降、後白河上皇は34回も熊野に参詣しました。(本殿の左に、「京の熊野古道」の矢印があります。)
「上之社」 祭神は速玉之男大神(はやたまのおのおおかみ、薬師如来)と熊野家津御子大神(くまのけつみこのおおかみ、阿弥陀如来)で、本殿の左奥の一段高いところにあります。本殿の祭神と合わせた以上の神は、熊野三山の主祭神で、「熊野三所権現」と呼ばれます。
「中之社」 祭神は天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと、地蔵菩薩)、瓊々杵尊(ににぎのみこと、龍樹菩薩)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと、如意輪観音)、鵜葺草葺不合命(うかやふきあえずのみこと、聖観音)です。
熊野詣の最中の11月23日、美福門院が崩御しました。(ここから熊野古道に上り、本殿の裏を通ります。ここには、「熊野九十九王子」と呼ばれる神々が祀られています。)
即位以来、美福門院派との協調に神経を遣っていた後白河上皇にとっては、二条親政派を抑えて政治の主導権を握るチャンスが来ました。(本殿の裏が小高くなっていて、その尾根に祠があります。)
法住寺殿の造営も順調に進み、翌永暦2年(1161)4月13日、完成した御所に移り住みました。後白河上皇は1169年に出家して法皇となり、熊野古道の中頃に法衣姿の法皇像があります。
熊野古道は本殿の左手に下ります。
「下之社」 祭神は、稚産霊命(わくむすびのみこと、釈迦如来)、遇突智命(かぐつちのみこと、文殊菩薩、普賢菩薩)、埴山姫命(はにやまひめのみこと、毘沙門天)、弥都波能売命(みづはめのみこと、不動明王)。これで熊野十二所権現をすべて回りました。
南北朝時代の1374年、観阿清次・藤若丸父子はこの地で、大和の猿楽結崎座の興行を行いました。観覧していた室町幕府将軍・足利義満は感動して、それぞれ観阿弥、世阿弥と名乗らせました。この「今熊野勧進猿楽」が日本の能楽の起源といわれます。
新熊野神社は応仁の乱以降も度々の戦火に見舞われ、一時は廃絶同様の状態になりました。江戸時代初期、後水尾天皇の中宮東福門院(徳川家光の妹)が神社を再建しました。
ところで、昨日(7月11日)京都府に出されていた「まん延防止等重点措置」が解除されましたが、しかし、下の表の様に日ごとの新型コロナの新規感染者数は、増加傾向になっています。ピンクが前週よりも増加した日です。
京都府では、感染再拡大を防ぐために引き続き感染防止対策を呼び掛けています。個人に対しては、都道府県をまたぐ往来や、緊急事態措置・まん延防止等重点措置が出されている地域との往来を控えること。
飲食店等への時短要請は、京都市は8月1日(日)まで、京都市以外の地域は7月25日(日)まで延長され、営業時間は午前5時~午後9時、酒類の提供は午前11時~午後8時30分となっています。要請内容は若干緩和されています。
ワクチン接種の普及が鈍化しており、例年7月になると人出が増える傾向にあるそうで、感染再拡大がおさまる要素が見られません。各自が感染しない・感染させないように、最大限の注意をするしかなさそうです。
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コメント
ワクチン接種の普及が鈍化してはいますが、
もうすぐ僕の番が回ってきそうです。
何もないことを祈るばかりです。
投稿: munixyu | 2021年7月12日 (月) 11:45
★munixyuさん こんばんは♪
当初のワクチンの優先順位が混乱していますね。実は私たち夫婦は既に2回接種しました。注射は痛くなかったのですが、後で打ったところが痛くなったり熱っぽくなりましたが、大したことはありませんでした。とりあえず、早く2回接種を終えたいですね。
投稿: りせ | 2021年7月13日 (火) 00:40