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2021年7月30日 (金)

走り坊主と大蓮寺の蓮

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は、走り坊さんと呼ばれた18世住職・籏玄教(はたげんきょう)に焦点を当てて大蓮寺の歴史を振り返ります。東大路から一筋西の「西寺町通」(仁王門通から二条通まで)の一角に大連寺があります。

「大蓮寺(だいれんじ)」は、山号を引接山(いんじょうざん)、院号を極楽院という、浄土宗知恩院派の寺院です。

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安土桃山時代の1600年、専蓮社深誉(しんよ)上人がお堂を建て、阿弥陀如来を安置したのが始まりまりで、当初は下京区五条の毘沙門町にありました。(本堂には円仁作といわれる本尊・阿弥陀如来を祀り、女人救済、安産にご利益があるとされます。)

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本尊の阿弥陀如来には伝承があります。ある日深誉は伏見で金色に輝く阿弥陀如来を見つけ、誰も供養する者がいないので、持ち帰って五条に仏堂を建て安置しました。

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後に、この阿弥陀如来は真如堂(真正極楽寺)の阿弥陀如来であることがわかり返還することになりました。真如堂は室町時代の応仁の乱以降荒廃して、本尊が行方不明になっていました。

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残念に思った深誉が21日間念仏を唱えたところ、最後の夜に旅の僧が現れ一緒に念仏しましたが、翌朝には僧の姿はなく阿弥陀如来が2体になっていました。 そのうちの1体が大蓮寺の本尊であるという話です。

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江戸時代前期の後光明天皇の典侍(ないしのすけ、高位の女官)・庭田秀子が難産となり、大蓮寺に安産祈願の勅命が下りました。2世・霊光和尚の安産祈願によって無事に第1皇女・一宮内親王(孝子内親王)が誕生しました。

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それ以後、内親王は大蓮寺を深く信仰し、後に髪を編んで南無阿弥陀の名号とし寺に納めたといいます。このため「安産祈願の寺」として知られるようになりました。安産祈願(5,000円)では御寳号、御守り、お札、絵馬が授与されます。

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後光明天皇の後は有栖川宮家がその遺志を継いで大連寺を加護し、その縁で寺紋は有栖川宮家紋の「三つ寄せ横見菊」です。有栖川宮家は世襲親王家の一つで、皇室だけでなく幕府有力藩とも婚姻関係にあり、代々子弟を門跡寺院に入寺させていました。

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明治初年の神仏分離に伴い、祇園社(現在の八坂神社)の観慶寺が廃寺となり、多くの仏像がこの寺に遷されました。(本堂前の「法勝寺の礎石」白河天皇が岡崎に建立し院政の舞台となった大寺院で、応仁の乱以降衰退、その後廃絶しました。)

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それらの仏像のうち、十一面観音立像(重文)は定朝の弟子で院派・慶派の祖である覚助の作と推定され、洛陽三十三観音霊場第8番札所の本尊となっています。厄除けのご利益があるとされます。

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明治から大正にかけて、18世住職の籏玄教(はたげんきょう)は「走り坊さん」の通称で知られ、積極的に勧進を行い寺を再興しました。玄教は大阪府泉南郡の出身、金戒光明寺65世法主の芳井教岸の直弟子で18歳で大蓮寺に入りました。

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その頃の玄教は、子ども料金で汽車に乗れる程の小身で、しかも病弱だったといいます。ところが、寺の本堂や観音堂の再建のための勧進に市中を走るようになり、毎日、雨が降っても風が吹いても、一日も欠かすことなかったそうです。

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朝の勤行が終わると、法衣の上に汚れた頭陀袋を振り分けて担ぎ、寺のお札を配りながら托鉢をして市中を走り回りました。富裕な檀信徒から布施を受けても、貧民街に出入りして貧しい人々に施したためその頭陀袋は空のことが多かったといいます。

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そのため、いつしか人々は「今一休」と呼び敬うようになったそうです。また、月1回は未明に寺を出発、四明岳・比叡山を経て鞍馬山に至り、さらに愛宕山山頂の愛宕神社に参詣して帰るということもしていたといいます。

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その健脚を見習うために、新米の配達員が教えを乞いに訪れたという逸話もあります。大食漢、大酒飲みで、一日に米1升・餅1升を食べ、酒1升を呑んでいたそうです。

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酔って走り、電柱にぶつかったり、交番に連れていかれることもあったとか。大正7年(1918)日本中で猛威を振るったスペインかぜによって亡くなりました。

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スペインかぜは世界中で流行したインフルエンザで、日本では人口の43%が感染、約39万人が死亡しました。玄教は感染して病に臥した後も酒を飲み通し、死期を早めたといわれています。

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大蓮寺では「足腰健常の御守」(800円)を授与しています。本尊の前に安置している走り坊さん・玄教の位牌に祈願したもので、いつもお持ち歩き下さいとのことです。(門前の看板)

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太平洋戦争末期の1944年、大連寺は五条坂の強制疎開によって現在地に移り、この地にあった常念寺と合併して現在に至っています。

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