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2021年7月21日 (水)

鏡石通の南部を歩く

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の記事のきぬかけの路に続いて、その延長の「鏡石通」を歩きました。金閣寺の黒門前から始まりしばらくは(左)大文字山に沿って北上します。下に金閣寺のバス専用駐車場の出入り口が見えます。

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さらに北にある門、こちらは参拝者ではなく金閣寺の関係者用だと思われます。

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左の坂道は1959年日本で4番目の修道院として創立された「カルメル会修道院」と翌年設立された「児童養護施設 京都聖嬰会」。現在、どちらもカトリック京都司教区カリタス会が運営しています。

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かってこの道沿いの崖に巨石があり、その表面が鏡の様に滑らかで、1780年に刊行された『都名所図会』にも載っています。中国にある仙人鏡という石は病気のある人の臓器を写すとされ、この鏡石も同じ効果があるとして話題になりました。

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鏡石は源義経の姿見の石ともいわれ、紀貫之は古今和歌集で「うば玉の 我が黒髪や かはるらん 鏡の影に 降れる白雪」と詠いました。歌に紙屋川(かみやかは)が隠されています。

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「三条天皇 北山陵(きたやまのみささぎ)」 三条天皇(976-1017、在位1011-16) は冷泉天皇の第2皇子、母は太政大臣兼家の娘。在位期間は藤原氏の全盛時代で道長が左大臣として権勢をふるっていました。

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天皇は東宮のとき大納言藤原済時の娘・娍子 (せいし) と道長の娘妍子 (けんし) の2妃があり、践祚後には道長をはばかり妍子を皇后に、娍子を中宮に立てようとしました。

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道長は済時に太政大臣を追贈することを奏して娍子を皇后に立てましたが、皇位継承問題が起ると道長は外孫の一条天皇第2皇子敦成親王 (のちの後一条天皇) の擁立を強く主張しました。

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そこで天皇は 娍子が生んだ第1皇子敦明親王を皇太子にすることを条件にその言を入れ、在位4年半で譲位しました。(所々で分かれ道になっていますが、とにかく山沿いを歩きます。)

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譲位の際に詠んだとされる歌が小倉百人一首にあります。三条院「心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな」

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崖の上に日蓮宗の「行法山衣笠常修寺」があります。由緒がなかなか見当たらず随分苦労しました。

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昭和21年(1946)行法院日進上人が開山、創建当時は本門法華宗に属し、山号はなかったと思われます。昭和29年3月に宗派を離脱して単立寺院となり、10月に日蓮宗に所属、この時に山号を行法山としたようです。

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いわゆる観光寺院ではないので、建物の説明もありません。おそらく「書院」と思われます。

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東は視界が開けて、比叡山が見えます。右手前の建物は地図では「衣笠常修寺 法喜堂」となっており、庫裏のようです。

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「本堂」 入母屋造の本堂の前に切妻造の前殿(外陣)があり、さらにその前方の妻に唐破風の1間四方の向拝を設けた複雑な構造をしています。以上の情報は「がらくた置場」by s_minagaさんからです。

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境内の山際に滝行の場所がありました。その前に鎮守らしき祠や小堂がありましたが詳細は分かりません。

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北に隣接して墓地があります。この日最初に訪れた法音寺は左大文字の菩提寺なので、このあたりにあるはずの登山口を探していました。後で調べると、この墓地の奥から火床に登れるようです。

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ただし、左大文字は送り火の翌日(8月17日)以外は登山禁止になっています。ネットには、敢えて登ったら怖いものを見たという体験談がありますが、信仰の対象なので控えて欲しいと思います。

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しばらく歩くと、「しょうざんリゾート京都」「東急ハーヴェストクラブ しょうざん口」の看板がありました。鏡石通はここから紙屋川沿いに鷹峯の長坂越まで続いています。夕方なのでここから引き返すことにしました。

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少し東に坂を下ったところに、「一条天皇火葬塚、三条天皇火葬塚」があります。一条天皇(980-1011、在位986-1011)は円融天皇の第1皇子。母は藤原兼家の娘・詮子、三条天皇の先代です。

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一条天皇の皇后は藤原定子(道長の兄・藤原道隆の娘)、中宮が藤原彰子(道長の娘)です。定子には清少納言が、彰子には紫式部が仕え、王朝文化が華やかりし時代でした。

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一条天皇は生前に父の円融上皇の隣に土葬されることを望んでいましたが、道長は荼毘に付してからそのことを思い出して遺骨を円融寺に納めたといわれています。隣の「鏡石公園」

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公園の隅に「衣笠鏡石土地区画整理事業完成記念」の碑があります。この事業は今日歩いた山沿い道から東の地域で昭和46年(1971)- 昭和53年(1978)に施行されました。

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帰りは、鏡石通から一筋東の上の区画整備地域の道を金閣寺道バス停まで戻ります。ここは大きな邸宅が並んでいます。

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