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2021年7月25日 (日)

祇園祭・還幸祭(神輿渡御と神宝奉持列)

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日(7月24日)行われるはずだった祇園祭・還幸祭の神輿渡御は2年連続で中止となりました。代わりに神霊をうつした榊(さかき)を奉持して行進する「神霊渡御祭」が行われました。

来年こそはという願いを込めて、今までの還幸祭のハイライトを紹介します。後祭の山鉾巡行で都大路が祓い清められた後、八坂神社の祭神たちが乗った3基の神輿が四条御旅所を出発します。

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夕方5時前に四条寺町にある御旅所前に来ると、「中御座神輿」が御旅所の斎場前に移動するところでした(上の写真)。八坂神社の神官が、素戔嗚尊の神霊を神輿に遷し、神輿や周囲に控える担ぎ手たちを祓い清めます(遠くてよく分かりませんが)。

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中御座神輿を担ぐのは三若神輿会(さんわかしんよかい)。三若神輿会は元禄3年(1690)頃から祇園祭の神輿渡御に奉仕した三条台若中が起源とされ、明治までは3基の神輿渡御に携わっていました。(御旅所の前で神輿を「差し上げ」て気勢を上げます。)

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中御座神輿には八坂神社の主祭神・素戔嗚尊の神霊がのり、六角形、屋根の上に鳳凰が飾られ、男神を表す紫色の袈裟懸けが掛けられ、重さは東御座神輿ともに約2トンだそうです。中御座神輿は最初に寺町通を南に行きます。

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中御座神輿が出発した後、八坂神社の方から、「東御座神輿」を担ぐ四若神輿会(しわかしんよかい)の皆さんがやってきました。四若神輿会は三若神輿会に代わって、江戸時代末期に木屋町四条近くの高瀬川船頭衆がこの神輿の渡御に奉仕したのが起源とされます。

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明治維新後は船頭衆を手伝っていた東山三条の若松町と若竹町の皆さんが四若神輿会になったといわれています。東御座神輿には素戔嗚尊の妻・櫛稲田姫命の神霊がのり、四角形、屋根の上に擬宝珠が飾られ、赤色の袈裟懸けです。四条通を西に向かって出発しました。

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「西御座神輿」は、三若神輿会に代わり大正時代に壬生村の壬生組が担ぐようになりました。その後、壬生組が解散して錦組が奉仕することになり、昭和22年(1947)から錦神輿会として神輿渡御に奉仕しています。

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担ぎ棒を取り付けた西御座神輿を御旅所の斎場の前に置き、八坂神社の神官のお祓いを受けます。西御座神輿には素戔嗚尊の8人の子、八柱御子神の神霊がのります。

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西御座神輿は八角形で、屋根に鳳凰が飾られ、赤色の袈裟懸けです。ちなみに3基の神輿の中で最も重く、約3.2トンあるそうです。最初に寺町通を北上します。

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先回りして寺町通で西御座神輿を待ち受けていると、子供たちが神輿を先導してきました。中御座神輿は騎乗の駒形稚児が先導し、東御座神輿には子供神輿が付き添います。還幸祭の神輿渡御には子供たちも大事な役割を担っています。

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最後尾の「清々講社」は八坂神社の氏子地区にまたがる募金組織ですが、その幹事長は八坂神社宮司と並ぶ権威があります。山鉾巡行のくじ取り等重要な行事には宮司とともに陪席し、いわばお目付け役です。最後尾の騎乗は八坂神社の神官だと思われます。

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還幸祭では、3基の神輿が四条御旅所を出発、それぞれ別の経路で氏子地区を回って御旅所(大政所)を通り八坂神社に戻ります。最初に出発した中御座神輿の前を行くのが「神宝奉持(じんぽうほうじ)列」です。

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上の図で分かるように、3基の神輿はいずれも三条大宮から寺町三条を経由、寺町通を南下して再び御旅所の前を通過します。そこで、四条通で食事をとった後、寺町通で最初に戻ってくる神宝奉持列と中御座神輿を待ち受けました。

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神宝奉持列は平安時代以前の古い祭の形態を今に伝え、神様が巡行する際に、ご神体が身に着ける装束やお宝も一緒に持って歩いたのが起源です。神宝奉持列を行うのは「宮本組」の皆さんです。

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宮本組は八坂神社のお膝元の弥栄学区の住民たちで構成された氏子組織で、古くから八坂神社の祭礼に奉仕、唯一、祭神にまつわるお宝に触れることができるそうです。お宝の最初は最も重要とされる「勅板(ちょくばん)」です。

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天延2年(974)、第64代円融天皇は高辻東洞院に大政所御旅所を賜り、この地に毎年神幸せよとの勅令が記されているそうです。八坂神社の神幸祭・還幸祭の神輿渡御は国家が命じた行事だったのです。

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3基の神輿はいずれもかっての御旅所(大政所)を通り、この勅令はいまだに守られています。神幸祭に先立って、宮本組講員が右京区福王寺にある円融天皇後村上陵を参拝し、祭礼の無事を祈願します。「ふれ太鼓」

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祇園祭は、災害や疫病が続いた貞観11年(869)、ト部日良麿(うらべのひらまろ)が66本の矛を神泉苑に立て、それらの災厄をもたらす牛頭天王(後に素戔嗚尊と同一視)を鎮め、災厄や疫病の退散を祈った「祇園御霊会」が始まりです。「矛(ほこ)」

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以後、祇園御霊会は毎年の恒例となりましたが、天延2年(974)都で天然痘が大流行し、円融天皇は今までの御霊会では不十分と考えて、人々が住む地域を祭神が神幸するように命じたのです。「楯(たて)」

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祭神が乗った神輿渡御による神幸祭と還幸祭が祇園御霊会と一体となり、現在の形の祇園祭の前祭、後祭が生まれました。「弓」「矢」「剣」を持つ列が続きます。

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神輿渡御に先立って、その道筋を祓い清めるために、町民によって始められたのが山鉾巡行です。そして、鉾町の商人たちの財力が増すととともに、互いに競うように山鉾は豪華になっていきました。「剣」

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しかし、明治になり今まで複数の町で一つの鋒を支えていた寄町制度が廃止され、東京遷都により京都が不景気となると、山鉾巡行は深刻な財政難となりました。「琴」

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清々講社はそのような時期の明治5年に結成され、氏子たちを回って資金を集め、鉾町の負債を補填し、存続の危機にあった山鉾を救いました。こうして、清々講社が祇園祭の全体を統括する最も権威ある組織となりました。

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しばらくして「國中神社」の幟(のぼり)を先頭に久世駒形稚児の列がやってきました。「久世駒形稚児」は、綾戸国中神社の祭神・素戔嗚尊の荒御魂(あらみたま)を象(かたど)った駒形を胸に掛けています。

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八坂神社とゆかりが深い綾戸國中神社から選ばれた二人の男児が、7月13日に行われた八坂神社社参の儀で神と人との間を取り持つ神の使いとなり、神幸祭と還幸祭に騎乗して神輿の先導役を務めます。

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神代の頃、八坂神社の主祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、山城の地西の岡訓世の郷(現久世町)がまだ一面湖だったとき、天から降り立ち水を切り流して土地を開き、広々とした平野としたとされます。

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そして、その土地の中心と思われる所に、愛馬・天幸駒の頭を自ら彫刻した「符」を置きました。それは、新羅に渡海する前の形見だったそうで、その形見の符が國中社(現國中神社)のご神体になったといわれています。

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古文書には「御神幸の7月17日に訓世の駒形稚児の到着なくば、御神輿は八坂神社から一歩も動かすことならぬ。若し此の駒故なくしてお滞りあるときは、必ず疫病流行し人々大いに悩む。」と書かれているそうです。國中神社の宮司さん

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しばらくして、中御座神輿が来ました。先頭は八坂神社の神紋「五瓜(ごか)に唐花」の提灯です。断面が似ていることから、祇園祭の期間(7月)、八坂神社の氏子や鉾町の人たちはキュウリを食べないとされています。騎乗の神官が先導します。

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八坂神社の神幸祭・還幸祭で、祭神を乗せた3基の神輿はそれぞれ別ルートで氏子地区を回ります。還幸祭は祭神を八坂神社に送り戻す以外に、様々な災厄を神輿に積み込んで神社に持ち帰って処分するという、重要な役割があります。

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3基の神輿は祇園祭発祥の地とされる神泉苑の南にある又旅社(御供社)で、神饌をお供えする神事(奉饌祭)を行い戻ってきます。中御座神輿はあっというまに通り過ぎてしまいました。

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神輿の後には八坂神社の宮司さんがのった腰輿(ようよ)が従います。又旅社では神泉苑の宮司が神輿を待ち受け、八坂神社の宮司も神事に加わります。

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先回りしながら、中御座神輿と一緒に八坂神社に向かいます。四条御旅所の前には大勢の方が神輿を待ち受けていました。ここでも、神輿の差し上げや差し回しを行いました。

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四条河原町の交差点、向うは高島屋。私は八坂神社の石段下で先回りするため急がなくてはいけないのですが、歩道には見物の方がびっしりと待機していて、早く歩けません。

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午後9時30分頃に中御座神輿の先頭が石段下にやってきました。午後5時に四条御旅所を出発、途中で担ぎ手を交代し、休みながらですが、酷暑が残る中で大変な儀式だと思いました。

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中御座神輿は交差点の中央に進み、今まで以上に激しく神輿の差し上げ・差し回しが行わ、最後の気勢を上げます。この後、1時間後くらい後に東御座神輿と西御座神輿がここに到着します。

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その後、神輿に乗った神霊を本殿に戻す御神霊遷しが行われ、全ての神事が終わるのは午前零時を過ぎるといわれています。私は午前の山鉾巡行から見物しているので、体力が限界でここで帰宅しました。

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コメント

いつも楽しい記事をありがとうございます。
今日のレポート?もとても興味深く読ませていただきました。
ひとごみの向こうでチラッとみえた旗はなに?
騎乗されているのはどなた?
分らないままにしていたことが「あ、そうなんや」と思えると嬉しいものです。
それにしても祇園祭の熱気を思い出したことです。
今年の寂しさも…

投稿: もっちゃん | 2021年7月25日 (日) 12:34

来年こそは、
ただただ、それを願うばかりです。

投稿: munixyu | 2021年7月25日 (日) 13:16

★もっちゃんさん こんばんは♪
歴史がある祭の祭列には様々な役割の人が登場して、私も後で調べて分かることが多いです。2年も祇園祭の巡行や神輿がなくなり、これが普通になるのが寂しいですね。

投稿: りせ | 2021年7月26日 (月) 00:29

★munixyuさん こんばんは♪
今まで山鉾巡行と神輿渡御が数年間中止となったのは、応仁の乱以後の数十年と太平洋戦争による昭和18~21年の期間だけでした。千年以上の歴史の中で、現在が重大な時期になっています。

投稿: りせ | 2021年7月26日 (月) 00:52

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