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2021年7月14日 (水)

法音寺と左大文字

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は、五山送り火の「左大文字」を中心となって担ってきた法音(ほうおん)寺に行ってきました。五山のうち唯一まだ訪れていない寺院でした。西大路通のバス停・金閣寺道から南に歩き、一筋目を左(東)に入ります。

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今年の五山送り火は、新型コロナの感染拡大を防ぐために、昨年と同様に規模を縮小して行われるようです。脇道に入ると、右手に格式が高い5本筋の塀が見えます。

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五山送り火のそれぞれの感染対策の詳細はまだ発表されていませんんが、昨年同様に火床は大幅に削減されるようです。お寺の建物の裏(西)は墓地でした。(向うに見える煙突が気になって後で見に行きました。)

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西大路通の一筋東は「法音寺門前通」で、脇道との交差点(南西)が法音寺です。

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「法音寺」は山号を菩提樹山といい、もと天台宗で現在は浄土宗西山禅林寺派の寺院です。 平安時代初期の慈覚大師・円仁(794-864)の創建と伝えられ、当時の諸書に寺名が見られるそうです。

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平安時代中期には、花山天皇(在位984-986)の勅願所となりました。この寺の南東に「花山天皇紙屋川上稜」があり、近くに御所があったようです。山門の前に勅願所を示す石標があり、筋塀は皇室との所縁があるためのようです。

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花山天皇はわずか2年で皇位を退き19歳の若さで出家、比叡山ほか各地で修行をした後、途絶えていた西国三十三所観音巡礼を再興しました。法音寺は西国三十三ヶ所霊場復興所の本山でもあります。

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しかし、応仁の乱(1467-1477)の兵火にあって焼失、その後復興しました。その後の詳しい変遷は分かっていません。門は閉まっていましたが、お寺の方が帰ってこられて中に入れていただきました。

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山門から正面の庫裏には標語が貼られていています。宗派によらずこのようなお寺は熱心な活動をされていることが多いと思っています。

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本堂には本尊の阿弥陀如来が祀られ、小さいながら立派な造りで見事な扁額がかかっていました。御詠歌「うらよりも むらにいでぬるみちなれば これぞほとけの みちになるらん」

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「御詠歌」の起源は、花山法皇が西国三十三所の各札所で詠まれた御製の和歌を、後世の巡礼者が節をつけて巡礼歌として歌ったものであるとされています。

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法音寺は送り火の「左大文字」の発祥地(旧大北山村)の菩提寺でもあります。毎年8月16日の朝、本寺で施設餓思会が行なわれ、その時使われた火が、左大文字の親火となって点火されます。(本堂の向かいのお堂、通りに面しています。)

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左大文字の送火の起源や、その意味については諸説があり確定していません。江戸時代の初めには記録にあらわれ、お盆の精霊の送り火として毎年点火されてきました。(かっては門前に大きな木があったようです。)

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左大文字は、本寺を中心とした旧大北山村(衣笠街道町を中心に金閣寺周辺の町内)の人々によってうけつがれ、現在は「左大文字保存会」を構成しています。

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8月16日の午後7時頃、法音寺門前通で門火(篝火)を焚き、先祖の霊をお寺ヘ導きます。境内に設置された送り火の親火台で護摩木が焚かれて先祖の霊をなぐさめる点火法要が行われます。(金閣寺道から左大文字)

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その火で親火松明と手松明がともされ、法音寺から松明行列によって山上へ運ばれ、山上の火床に点火されます。親火松明を運ぶのは、15年以上従事した若者一人で、お盆の前に京都市市長表彰があり、保存会から渡された数珠を身につけます。

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昔の「大」の字は短く、昭和36年に火床の数を43基から53基に増やしました。また、松割木が崩れやすかったのを、昭和50年から鉄の支柱を使った火床を設置して、均等に燃えて美しい「大」の字が続くようにしたそうです。

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保存会は、宗派は問わず上記の地元に住む中学1年生から加入でき現在70名ほどの会員。お盆に 先祖の精霊を送る宗教行事を継承しています。下は西大路から、最後は北大路通から。

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コメント

もう五山の送り火の話題になって来るのですね。
早く普通の五山の送り火に戻ってほしいものです。
来年は戻るかもしれませんね。

投稿: munixyu | 2021年7月14日 (水) 14:14

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