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2021年7月 2日 (金)

雙林寺道(高台寺北門前通東部)を歩く

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は圓山地蔵尊の前から高台寺北門前通の東部(雙林寺道)を歩きます。上は「レンタルきもの岡本 祇園高台寺店」天保元年(1830)「岡本織物店」として営業、観光でのレンタル着物の発祥店です。

それまでは舞妓体験の方が多く、着物での観光ができないかと考えたのが始まりだそうです。オリジナル小物も製作・販売しています。店舗内に「芭蕉堂」があります。

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江戸時代中期、俳聖松尾芭蕉をしのぶため、芭蕉にゆかりの深いこの地に、加賀の俳人・高桑闌更(らんこう)がお堂を建てたのが始まりです。この日は既に閉店していました。

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鎌倉時代初め、諸国を旅して自然を友とした西行が、この地に住んでいた僧・阿弥陀房の庵を訪ねて、「柴の庵と聞くはくやしき名なれども よにこのもしき住居なりけり」(山家集)と詠みました。(芭蕉堂、以前の写真です。)

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芭蕉は、西行を心の師として慕い旅の生涯を送りました。この地で、上の西行の歌を踏まえ「しばの戸の月やそのままあみだ坊」(小文庫)の句を詠みました。蕉門十哲の一人、森川許六が刻んだ芭蕉の像を安置しています。

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この道は石標や道標が多く、その内の一つだけを。こちらの面(南)には「 (手印)   高台寺 左へ  きよミづ 左へ」、裏(北)には「大正十三年冬三宅安兵衛」 とあります。

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「西行堂」 安土桃山時代の天正年間(1573-1593)雙林寺の塔頭・蔡華園院の跡地に建てられたといわれますが場所は不明。江戸時代の1731年に摂津池田・李孟寺の天津禅師により現在地に移され再興。1770年に公家・歌人の冷泉為村(1712-1774)により修復。

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堂中央に為村筆の「花月庵」の額が掲げられ、堂内に西行法師僧像と頓阿法師僧像が安置されています。

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出入り門の横に禅寺でよく見かける「不許葷肉入門内」という石碑が建っています。「葷(くん)」は、ニンニク、ネギ、ニラなどを指し、葷や肉を持ち込んではいけないという意味です。

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「(株)菊川石材」 この東山で創業100年、東大谷、高台寺の御用達です。HPにお墓に関して詳しい説明があり、勉強になります。

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「京料理旅館 高台寺 よ志のや」 旅館としては、10室のうち和室9室、 その他1室で一般的な設備を備えています。食事だけも可能で、鱧懐石、(少しお手頃な)遊心、法要会席などがあります。

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道の北側は円山公園の敷地で、それが途切れたところに雙林寺があります。「雙林寺」は山号を金玉山という天台宗の寺です。この寺は、延暦24年(805)桓武天皇の勅願により、伝教大師・最澄を招えて創建したのが始まりとされます。

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最澄が唐から帰朝後、宮中において、天下泰平・国体安穏・万民快楽の大祈祷を奉修したのが我が国初の護摩供。そして、請来された天台密教経疏500巻及び護摩の器具を桓武天皇に献上しました。

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天皇は、左大使尾張連定鑑(おわりのむらじじょうかん)に勅して、この地に伽藍を創立し、経典などを置き、日本初の護摩祈祷道場としました。

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本堂に祀られている本尊・木造薬師如来坐像(重文)は平安時代の翻波式衣文(えもん)がよく表現されているそうです。絵馬は本尊が描かれているようです。あわせて秘仏の大聖歓喜天を安置しています。

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あたかもこの土地が東陽郡 · 烏傷縣の沙羅双樹林寺(今浙江省義烏市雲橫山双林寺)に似ていることから、正式名称を霊鷲山沙羅双樹林寺法華三昧無量壽院としました。(こちらは大聖歓喜天で、象の頭で好物の大根と歓喜団を持っています。)

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その後、鳥羽天皇の皇女の入寺などもあり栄え、広い境内と多くの塔頭子院を有しました。平安時代後期の武士で後白河天皇に仕えた平康頼、平安時代後期の歌人西行、南北朝時代の歌人頓阿などが隠棲しています。

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南北朝時代の至徳元年(1384)国阿が入寺して再興し時宗の道場が置かれ、時宗十二派の「国阿派」の本寺となりました。(境内に「墓石の藤田 大谷店」があり、至るところに石彫が置いてあります。)  

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しかし、応仁の乱の後再び衰え、江戸時代に入り高台寺や大谷祖廟の造営にあたって寺地を献上し、規模が縮小されました。

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明治初年に再び天台宗の寺院に復帰しましたが、明治中期に円山公園の造成のために更に寺地を失い、現在は本堂と飛地境内にある西行庵(西行堂)のみとなりました。本堂の裏に宝篋印塔があります。

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雙林寺は京都十二薬師霊場第七番札所でもあり、拝観していて御朱印もあります。ただし、歓喜天は非公開で、開帳する予定はないそうです。日本最初の祈祷道場といわれ、現在も毎月、祈願護摩を奉修しています。

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石材店で飼っていると思われる人懐っこいニャンコがいます。

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「地蔵堂」、明治5年(1872)追善のための法華塚修繕の際に、土中より見つかった地蔵を祀っています。通りかかった人が、長年の持病平癒を祈願したところ全快したとして、以後「持病平癒地蔵尊」として信仰を集めています。

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覗いてみると、お化粧をした美形のお地蔵さまです(現在は前掛けで口を覆っていますが)。

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月例行事として、1日午前11時より十一面観音祈願護摩、8日午前11時より薬師如来祈願護摩、第3日曜日午前11時より十一面観音祈願護摩、24日午前10時より地蔵堂前にて勤行。誰でも参列できるそうです。

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