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2021年7月 6日 (火)

無夢一清と桔梗の天得院

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は、東福寺塔頭の天得院の過去記事を再編集して、開山の無夢一清(むぼういっせい)に焦点をあててお届けします。「天得院」は通常非公開ですが、桔梗が咲く初夏に特別拝観を行っています。今年は 6月25日(金)~ 7月18日(日)の期間です。

東福寺の日下門の正面の通りに山門と「飛び出し注意」の看板があります。

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山門を入った正面の小さな坪庭に、荻原井泉水(1884-1976)の句碑「石のしたしさよしぐれけり」。荻原井泉水は五七五にとらわれない自由律俳句を詠み、「層雲」を主宰。大正12年(1923)妻、翌年母を亡くして仏道を志して天得院に寄寓しました。

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奥に花岡大学(1909-1988)の童話碑「お父ちゃんが笑ったときは仏さまの顔だよ お母ちゃんが笑ったときは仏さまの顔だよ」。同氏は奈良浄迎寺住職で童話作家でした。「宗教法人 天得院」は「子育て支援ステーション」、「東福寺保育園」、「東福寺児童館」の施設運営も行っています。

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「天得院」は山号を万松山といい、南北朝時代の正平年間(1346-1370)に東福寺第30世住持の無夢一清禅師(後述)が開創した東福寺五塔頭のひとつです。拝観入り口の「庫裡」

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その後は、衰微していましたが大機慧雄(だいきえゆう)禅師により再興されました。方丈の前庭は桃山時代作庭の枯山水庭園(苔庭)で、昭和43年に中根金作の監修によって一部補修されました。

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安土桃山時代、東福寺第227世文英清韓(ぶんえいせいかん)は五山の学僧として豊臣秀吉に手厚い扱いを受けました。(一面に桔梗が咲いていました。)

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慶長19年(1614)に文英清韓が長老として天得院に住菴となり、豊臣秀頼の請に応じて方広寺の鐘銘を撰文することになりました。

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この鐘銘中に「国家安康」「君臣豊楽」の文字があり、家康を引き裂き豊臣家の繁栄を願うものとして徳川家康の怒りをかい、天得院は取り壊されました。

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文英清韓は寺を追われ一時駿府に拘禁されましたが、林羅山の取り計らいで釈放されました。現在では、この方広寺鐘銘事件は家康の言いがかりともいえないことが定説になりつつあります。

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大仏開眼供養が中止された後、清韓は駿府に弁明に出かけ、家康と豊臣の名を祝意の「かくし題」として意識的に撰文したと証言しています。この証言を受けた五山の僧たちの答申では、

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家康の文字を分けたことではなく、当時の礼儀として諱を避けなかったことを非難しています。一方で、家康が天下を平定した後も豊臣家は莫大な財力を有し、いくつかの有力大名が支持していました。

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銘文はこの両者の共存共栄を意図したとされ、さらに五山の中で幕府のブレーンだった以心崇伝と清韓との対立も背景にあったともいわれます。(方丈の仏間には本尊・千手観音菩薩が祀られています。

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清韓は豊臣家への恩義もあつかったようで、大坂の陣では最後まで城にこもり、戦後に捕らえられました。天得院は「豊臣家ゆかりの寺院として歴史に翻弄されたときもありましたが、現在は桔梗が・・・」と振り返っています。

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その後、天明9年(1789)に堂宇が再建され、明治元年(1868)には、山内の塔頭・本成寺を合併して現在に至っています。(南西の隅の花頭窓)

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ところで、開山の無夢一清(1294-1368)は永仁2年に生まれ、玉渓慧瑃(ぎょっけいえしゅん)に師事、その法をつぐ臨済僧です。玉渓は東福寺の円爾(えんに)に師事した普門寺の住持。 (西の間の向うに見える西庭も苔庭で桔梗が咲いています。)

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嘉元年間(1303-1306)中国の元にわたり、廬山の竜巌徳真や百丈山の東陽徳輝らに師事。南北朝時代の観応元年/正平5年(1350)に帰国しました。(向うは「書院」で冷房のきいた部屋でお庭を眺めながら、京湯元ハトヤ瑞鳳閣の精進料理・要予約が頂けます。)

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鎌倉から南北朝時代にかけて、新たな仏教を大陸の禅に見出そうと、高名な禅僧の下で修行するために多くの日本僧が海を渡りました。(抹茶や和パフェ、アイスクリーム、冷たいお善哉などの甘味もありました。)

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本場の厳しい修行とそれに応える修行者の研鑽により、宋・元時代の禅とその風土は日本に伝えられ、茶道をはじめとする、その後の日本文化の精神的な源泉の一つとなりました。

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この年は、特別公開に合わせて方丈の一室で「大杉真司・加藤丈尋作品展」が行われていました(下の2枚)。大杉真司(しんじ)氏は京都で活躍する洋画家、加藤丈尋(たけひろ)氏は、清水焼の窯元・丈夫窯で作品を制作している陶芸家です。

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今年は、「京仏師・樋口尚鴻 作品展」が6月25日(金)~7月4日(日)、ガラス工芸作家 藤田雄彦氏の作品展 「アガタモザイク 藤田 雄彦」が6月25日(金)~7月18日(日)の期間行われています。

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無夢一清は元に滞在すること30年、多くの師友と交流をもちました。それを証明するかのように、無夢のために中国の僧から書き贈られた文章や詩(墨蹟)が9通も現存し、入元中の足跡と交流を今に伝えています。

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たとえば、中国・元時代の代表的な禅僧・樵隠悟逸(しょういんごいつ)の墨蹟は、無夢という号にちなんで「邯鄲の枕」の故事を踏まえ、修行の心得を示したものです。

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修行仲間であった惟堂守一(いどうしゅいち)の墨蹟は、 いまの江西省から湖南省への無夢の旅立ちに贈った送別のことばです。この墨蹟は惟堂が存在したことを示す唯一の筆跡ともなっています。

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無夢一清は、帰国後に東福寺の第30世住職をつとめ天得院を開きましたが、師の玉渓慧瑃ゆかりの備中(岡山県)宝福寺の基礎を築くことに専念しました。

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中央で禅僧のエリートとして活躍するよりも、一地方に禅を根付かせようとする生き方を選んだようです。

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コメント

桔梗はその独特の雰囲気がいいですよね。
梅雨の時期に感じる秋の静けさや涼しさに、
癒されます。

投稿: munixyu | 2021年7月 6日 (火) 15:47

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