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2021年7月28日 (水)

煙草王・村井吉兵衛と長楽館・その他

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

円山公園の南にある「長楽館」は明治42年(1909)「煙草王」と呼ばれた実業家・村井吉兵衛により国内外の賓客をもてなすための迎賓館として建設されました。

今日は、村井吉兵衛の生涯を振り返りながら京都に残る彼の足跡を訪ねます。以下では夏に特別公開された長楽館内部の写真に、所々で他の場所が登場します。

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村井吉兵衛は幕末の文久4年(1864)京都の煙草商の次男として誕生。家は貧しく明治5年(1872)9歳で叔父の吉右衛門の養子となり、煙草の行商を始めました。(建物の外観はルネサンス様式、玄関の門柱はイオニア式だそうです。)

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1,2階は、高い天井、しゃれたカーテンに大きな鏡・暖炉があるレストランです。それぞれの部屋の細部はロココ様式や、英ビクトリア朝のネオクラシック様式など違っていますが、伝統的な欧州のインテリアで統一されています。

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明治初め、行商でお金を得た吉兵衛は東京の紙巻煙草商の盛況ぶりを見て、紙巻煙草の製造に踏み出します。明治24年(1891)村井は日本初の両切り紙巻き煙草「サンライス」を商品化しました。(受付のある2階に上がります。)

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機械生産で価格を抑え、きせる煙草のように刻み葉を詰め替えずに済む便利さもあり、市場の一角に躍り出ました。翌年には、東京・日本橋に支店を出し、岩谷商会の天狗たばこ、千葉商店の牡丹たばこなどと競争を繰り広げました。(喫煙室)

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明治27年(1894)自ら米国に渡ってアメリカ葉を輸入、葉を包んで紙を巻き上げる工程を完全自動化した機械を導入して「ヒーロー」を発売します。(2階と3階の間に、特別公開されている和室があります。入口から外の写真。)

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同年、実兄で本家を継いだ弥三郎と組んで「合名合資会社村井兄弟商会」を設立。馬車と音楽隊でCMソングを流すなど、当時としては斬新な宣伝戦略によって5年後に年間生産量日本一を達成する大ヒットとなりました。村井吉兵衛

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明治32年(1899)米国のジェームズ・デュークが設立したアメリカン・タバコ・カンパニーと資本合同、村井兄弟商会は株式会社化しました。20世紀初頭には、西の村井兄弟商会と、東の岩谷商会が煙草市場を分け合いました。(2階の茶室「長楽庵」)

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明治33年(1900年)に開催されたパリ万博では金賞を受賞、村井兄弟商会は世界的な煙草会社として認められました。(茶室は、表千家にある書院形式の「残月亭」の写しと伝えられ、北の窓は見晴らしが開けています。)

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急拡大した市場に目を付けた政府は、日露戦争の戦費調達のため、明治37年(1904)煙草専売法を成立、煙草は製造から販売まで国の直営事業になりました。渋谷通大和大路東入ルに村井兄弟商会の煙草製造工場がありました。

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デュークは村井商店の京都工場に巨額の資金を投入、工場は24時間稼働していたので地元では「機械館」と呼ばれたそうです。専売法成立後、建物は専売局専売公社の京都工場として使用され、村井の技術が大いに役立ちました。

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その後、建物は倉庫となっていましたが「関西テーラー」に払い下げられました。文化財の指定がなかったので老朽化した建物は2009年に解体、現在は跡地に社会福祉施設が建っています(写真は2008年)。

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政府に煙草事業を売却した莫大な資金を元に、村井は手広く銀行や鉱山・石油開発のほか、印刷・倉庫・製糸・製糖・製粉などの事業に手を広げ、財閥を形成していきました。長楽館の建設に着手したのも明治37年でした。

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ところで「長楽館」の名は、完成直後に滞在した伊藤博文が、館からの眺めに感動して「このに遊ばば、其のしみやけだし(とこし)へなり」と詠んだことによります。当時は鹿鳴館を凌ぐともいわれました。(3階の「御成の間」) 

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しかし、その後の不景気により各事業は不振に陥り、製糸業の村井カタン糸はライバル会社のイギリスの多国籍企業J. & P.コーツに売却、子会社となり、社名も帝国製糸と改称しました。(床の間)

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村井は大正4年(1915)勲三等瑞宝章、大正9年(1920)日本赤十字社の常議員に選出、大正15年(1926)死去。翌年、昭和金融恐慌により村井銀行は破産、永田町の邸宅跡には子息らも通った府立一中が入りました。(「付書院」の花頭窓)

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長楽館はその後、滋賀県出身の事業家や米国人など何度も所有者が変わり、数奇な運命をたどりました。現オーナーの先代・土手富三氏が長楽館を訪れた頃は、壁にはペンキが塗られ荒れた状態だったそうです。

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先代はそれでも長楽館が気に入り、手に入れるまで5年かかったそうです。昭和27年から1階を8年がかりで修復した後、喫茶店をはじめました。(御成の間の前に和室があります。)

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先代は、自身も大工に教わりながら改修を進め、3階の修復が終わったのは昭和55年頃でした。昭和61年には建物のみならず、多くの家具調度品を含めて、京都市有形文化財に指定されました。(もう一つの和室)

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村井吉兵衛のお抱え建築家だった吉武長一は村井銀行の一連の店を手掛けました。東京の建物は関東大震災で失われましたが、 1914年竣工した村井銀行七条支店(七条通堀川東入る)は後にレストラン「きょうと和み館」となりました(昨年12月閉店)。

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四条通にあった村井銀行祇園支店は、現在「キャンディー・ショータイム」となっています。飴職人のキャンディー作りが目の前で見られ、キャンディーの世界をモチーフとしたオリジナルアクセサリーや和雑貨等も扱っています。

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長楽館は、平成20年から新棟でホテルを開業、本館は平成28年に全面的な修復が行われました。現在、本館の1,2階の7部屋がカフェ、他にフレンチレストランとイタリアンもあります。

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以前にランチを頂いたときの写真です。

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コメント

凄い洋館ですねぇ。
日本だと言われないと、
ヨーロッパかどこかだと思ってしまいます。

投稿: munixyu | 2021年7月28日 (水) 14:04

★munixyuさん こんばんは♪
円山公園の南にあるのでよく通るところですが、入ったことは数回しかありません。喫茶も雰囲気がいいので、カップルやお友達と一緒に入るのがいいかも知れません。

投稿: りせ | 2021年8月 7日 (土) 01:00

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