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2021年7月 1日 (木)

ねねの道と京都ニュース(6月後半)

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の円山公園を通り過ぎて「ねねの道」を歩きました。上は長楽寺参道で、沿道にある様々なお店や宿の看板があります。右端に「ねねの道」の石標があります。以下のニュースは京都新聞のデジタル版からで、滋賀も含まれています。

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6月16日「祇園祭・くじ取り式を2年ぶりに実施へ」山鉾巡行が中止された昨年は各保存会の代表が徒歩で四条御旅所まで巡行、前年のくじの順番でした。(長楽寺参道の西、右は「長楽館」のホテルの建物。)

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今年も徒歩での巡行の予定ですが、2年連続でくじ取り式を行わないことで所作や段取りなどが正確に伝えられず、伝統の継承に影響が出かねないとの懸念があったといいます。 例年7月2日に京都府庁で行われます。

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 6月17日「京都・祇園祭で山鉾建てを実施する山鉾の一覧が発表されました」 一部の山鉾保存会が、山鉾を組み立てる「山鉾建て」を2年ぶりに実施することになりました。(大谷祖廟の参道と交差します。)

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こちらも伝統を継承するためで、新型コロナウイルスの感染拡大が危惧され、連合会は「どうか見に来ないでほしい」と異例の要望を行いました。当初、前祭12、後祭6でしたが、後に中止となったものもあります。

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6月17日「上賀茂神社の神馬が10年ぶりに代替わり」 神馬の代替わり神事「神馬奉献退任奉告祭」が10年ぶりに行われ、17歳の「神山号」6世から日本中央競馬会が寄贈した11歳の7世に受け継がれました。

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神馬は神様が乗るとされ、神社の祭典での奉仕や、日・祝日などに神馬舎で参拝者を迎える役割を担います。普段は、近くの京都産業大馬術部で世話されているそうです。「京都市(円山)音楽堂」

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「京都祇園堂」 現在は僧侶がお墓(納骨堂)を永代供養するお寺で、御朱印もあります。1105年白川法皇に寵愛された祇園女御は、法皇の死後阿弥陀堂を建て法皇の菩提を弔ったそうです。

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阿弥陀堂は堀河天皇の御願寺となり、丈六の阿弥陀仏が安置されていました。1111年祇園女御は仁和寺内に威徳寺を建立し晩年はそちらに移り、その後の阿弥陀堂については不明です。最上階に観音菩薩が祀られています。

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跡地に天台宗の蓮花寺が建立されましたが後に廃寺、祇園女御という木像は京都府庁に遷されたそうです。跡地には祇園女御塚といわれる墳墓があり、1904年阿弥陀堂、1972年祇園女御塔(五輪塔)が建立されました。

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1994年阿弥陀堂京都祇園寺が建立されましたが、阿弥陀堂・祇園女御塔とも京田辺市に遷されました。2004年下の「祇園女御供養塚」(宝篋印塔)が新たに建立されました。

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6月21日「長岡京の由来?古代寺院『長岡寺』の歴史たどる」研究成果展が向日市文化資料館で開かれています。1964年に廃寺となった宝菩提院は、前身が白鳳時代創建の「長岡寺」とされます。(大雲院の「龍池会館」) 

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2003年の発掘調査で入浴施設の「湯屋」の遺構や白鳳時代の瓦窯跡が出土、その後の研究により古代寺院の創建から廃絶に至るまでの沿革が明らかにされました。

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「大雲院」安土桃山時代の天正15年(1587)正親町天皇の勅命により、織田信長、信忠父子の菩提を弔うために貞安(じょうあん)上人が開山した浄土宗の寺です。通常非公開です。

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6月21日 「参勤交代中、大名が突然死 そのとき本陣当主が取った行動とは?」天保10年(1839)4月7日、草津宿の「田中七左衛門本陣」に、参勤交代中の佐土原藩(宮崎県)の藩主一行が到着しました。(ねねの道は一旦突き当たります。)

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ところが藩主はその日の夜に急死。藩主存命中に行う必要があった跡目相続の手続きを幕府にしていなかったため、藩は突如として存続の危機に直面しました。(「大雅堂舊址」池大雅の遺品を整理して建立された歌仙堂・大雅堂の跡地です。)

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藩が実行したのが偽装工作で、急死の事実を秘匿して本陣で病気療養中と偽り、その間に幕府から跡目相続の許可を得る、という筋書きでしだ。(大雅堂は現在の私設美術館のようなものでしたが、明治36年に取り壊されました。)

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協力金を渡された七左衛門は棺を用意、遺体はその後も本陣に安置されました。5月25日ようやく幕府から跡目相続が許可され、翌日「藩主が逝去した」と発表、全ての手続きが終わった6月25日朝遺体は愛知川宿に向けて出発しました。

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本陣の宿帳である大福帳が現存していて、天保10年の記録には「嶋津飛驒守様 御泊 四月七日より六月廿五日朝御立 愛知川御泊 七十七夜」とあり、藩主が77泊したことになっています。 「圓山地蔵尊」

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一方で几帳面な七左衛門は後の心得のためとして一部始終を書き残し、藩と本陣が行った秘密工作を今に伝えています。(ねねの道はここから右に曲がりますが、この日は左に曲がり高台寺北門通を東に行きました。)

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コメント

京都を丁寧に紹介されいつも参考にさせて頂いています
京都を巡る際必ず検索し事前情報を持って巡っています
初コメントで質問となり恐縮ですが、一つ教えて頂きたい事があります
曹洞宗高祖道元禅師荼毘御遺蹟之塔の場所が分からず先日もウロウロとしてしまいました
西行庵の横の小道を南に下ると右手にあるというネット情報でしたが、その小道が無いので分かりませんでした
どうぞよろしくお願いします

投稿: せきあ | 2021年7月 1日 (木) 12:31

今年は、一応やるけど、
基本的に見に来ない感じ。
伝統の継承や保存というのは、
本当に大変なことなのですね。
来年はしっかりできるといいですね。

投稿: munixyu | 2021年7月 1日 (木) 17:19

★せきあさん こんばんは♪
コメントありがとうございます。私も道元禅師の荼毘塔を訪れたことはないのですが、西行庵のそばからは行けないようです。もう少し東に行き「菊乃井 無碍山房」の横(東)の道を南に入ると、小さな「菊渓川」に出合います。その川に沿って西に戻ると、暗渠になるあたりの右にあるそうです。位置は「高台寺よ志のや」の西南になります。
また、そこは高台寺の北の墓地でもあるようで、拝観受付で荼毘塔に参拝したいというと教えてくれるようです。

投稿: りせ | 2021年7月 2日 (金) 01:20

munixyuさん こんばんは♪
鷹山は、約200年前に山や装飾品を破損して以来巡行ができませんでした、保存会の方々の努力によって、ようやく装飾品や山が完成して来年の巡行を目指しているそうです。来年は是非とも山鉾巡行ができるように願っています。

投稿: りせ | 2021年7月 2日 (金) 01:36

りせさん、ご回答ありがとうございます
高台寺の拝観受付で聞いてみた方が良さそうですね
今週末も雨の予報ですが降り方を見て野宮巡りをしようと考えています

丁寧な記事、毎日楽しみにしています

投稿: せきあ | 2021年7月 2日 (金) 08:05

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