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2021年6月29日 (火)

濠川と伏見港 祝・みなとオアシス登録

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

きのう、伏見港に「みなとオアシス」の登録証が交付されたというニュースがあり、予定を変更して伏見港がある濠(ほり)川をお届けします。先日の記事の長建寺の前を流れるのが濠川です。下は「弁天橋」の上から、右手に十石舟の船着場があります。

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橋の反対側(上流)には予備の十石舟がつないであります。向うの正面に京阪の線路があり、車内からも濠川が見えます。このあたりの濠川は南東から北西に流れています。

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「濠川」は伏見区堀詰町から伏見港公園の南で宇治川(淀川)に注ぐ宇治川派流です。当初は、文禄3年(1594)豊臣秀吉の伏見城築城にともなう建築資材を運ぶため、宇治川の流路改修工事により宇治川派流(濠川)が造られました。

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宇治川は琵琶湖から流れ出る唯一の河川で、かっては京都盆地へ流入する平等院付近から西の桂川(北側)、木津川(南側)との合流点の上流側に広大な巨椋池(おぐらいけ)がありました。

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秀吉は、前田利家らに大規模な土木工事を命じて巨椋池に「太閤堤」を設けました。その上に開いた大和街道と伏見城下を結ぶ豊後橋を架け、陸上と河川の交通を伏見城下に集中させました。

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伏見には宇治川と濠川を結ぶ形で港が設けられ交通の要衝となりました。江戸時代に伏見からの酒や米などの搬出や旅客を大坂と行き来させるため、堀川と宇治川・淀川の間を航行する十石舟や三十石舟がはじまり、明治時代末期まで存続しました。

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慶長19年(1614)には角倉了以・素庵父子が高瀬川を開鑿、洛中と伏見間が運河で結ばれ物資の輸送が始まりました。このため伏見港の役割はさらに増しました。

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幕府の伝馬所(問屋場)も置かれ、参勤交代の大名が立ち寄るために本陣や大名屋敷も置かれました。伏見は宿場町となり、伏見港には船宿が並びました。

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明治になって琵琶湖疏水が完成した後は、鴨川に沿って南下してきた疏水(鴨川運河)と接続され、新たな水運のルートが拓かれました。宇治川も新たに開削され、大阪と琵琶湖間に大型の蒸気船(外輪船)が就航しました。

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昭和4年(1929)宇治川の堤防が整備されて宇治川と濠川に水位差が生じたため三栖閘門(下)が建設されました。片側の水門を開いて船を入れて閉じ、反対側の水門を開いて行き先の川に水位を合わせます。

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京都市と大阪市などを結ぶ鉄道が開通した後も、蒸気船による水運は運賃が安かったことなどから存続しました。(濠川沿いには月桂冠の酒蔵が並んでいます。この散策路は桜も植えられていて、春は見事な桜並木になります。)

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しかし、大峯ダムの建設や京阪本線の開通による淀川(宇治川)の水運の衰退とともに港も衰退しました。大峯ダムは宇治川の上流に建設されたダムで、現在は天ヶ瀬ダムのダム湖に沈んでいます。

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戦後はほとんど使用されず放置されていましたが、昭和42年(1967)伏見港の跡地を公園とする都市計画が事業化されました。(向かいは「月桂冠大倉記念館」。)

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伏見港は、法制上は引き続き地方港湾としての港格が残り現在に至ります。(さらに月桂冠の酒蔵が続き、向うにある酒蔵オフィスのあたりで、濠川は西に向きを変えます。)

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平成10年(1998)京都市および月桂冠など55法人の出資による「株式会社伏見夢工房」が、かつての港町をしのぶ屋形船仕様の遊覧船「十石舟」の運航を開始、平成24年6月から伏見観光協会に運営が移管されました。「蓬莱橋」

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蓬莱橋の上から、右は「御大典記念埋立工事竣工記念碑」。このあたりの護岸整備事業が伏見市に引きつがれ、昭和天皇即位大典を記念して昭和5年3月31日に竣工。伏見市は昭和6年4月1日に京都市と合併、石碑にある「伏見市長」は貴重な歴史の一面です。

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令和2年10月、全国唯一の内陸河川港湾「伏見港」の「みなとオアシス」登録を目指して、官民連携の協議会が発足しました。(少し下流に行くと、向う岸に船宿の「寺田屋」が見えます。)

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「みなとオアシス」は、住民の交流や観光の振興を通じた地域活性化に資する「みなと」を核としたまちづくりを促進するため、住民参加の地域振興の取り組みが継続的に行われる施設として、国土交通省港湾局長が登録します。「京橋」

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「三十石舟船着場」は寺田屋浜乗船場とも呼ばれ、船体の大きい三十石舟はここから三栖閘門まで往復します。橋の上は竹田街道が通っています。

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ブロンズ像「龍馬とお竜、愛の旅路」 坂本龍馬は寺田屋でお龍に危機を救われ、薩摩藩のはからいで右手に負った傷を癒やすため寺田屋浜から三十石船に乗って九州の霧島に向かいました。日本で初めての新婚旅行ともいわれています。

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国土交通省港湾局は、令和3年4月30日に伏見港を「川のみなとオアシス 水のまち 京都・伏見」(京都市伏見区)として、港の賑わい拠点となる「みなとオアシス」に登録しました。現在、全国で148の港が登録されています。

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『代表施設「伏見夢百衆」(旧夢工房で現在はカフェ)等において、住民参加による地域振興の取組が継続的に行われ、地域住民の交流促進や地域の魅力の向上につながることが期待される』としています。対岸に並んでいるのは辻行灯。

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そして昨日午前、伏見夢百衆で「みなとオアシス」の登録証が山本ひとみ伏見区長に交付されました。(濠川はこの先、映画「君の膵臓をたべたい」のロケ地となった「伏見であい橋」で宇治川派川に分岐して宇治川に流れていきます。

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数年前に龍馬通りを歩いたとき、閉じている店もあり一時の活気がないことが気がかりでした。また、伏見夢工房を解散して業務を観光協会に移管した結果、各企業の熱意が直接感じられなくなっていました。

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コロナ禍ですが、この登録を契機に各企業が結束を取り戻し、住民や自治体、観光や地域振興の研究が進んでいる大学とも連携して、さらに新しい取り組みに前進することを期待しています。

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コメント

「みなとオアシス」の登録証ですか。
街の活性化に繋がるといいですよね。
コロナ後に、よりたくさんの人が来る
きっかけになるといいですね。

投稿: munixyu | 2021年6月30日 (水) 16:51

★munixyuさん こんばんは♪
コロナのおかげで、地元企業が危機感を共有して、いろいろな取り組みを始めようとしているようです。

投稿: りせ | 2021年7月 2日 (金) 00:44

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