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2021年6月 7日 (月)

葉室家と浄住寺

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

現在外出自粛中で、今までの記事の人物や歴史、物事を少し掘り下げてお届けしています。今日は洛西の浄住寺とゆかりのある葉室家を紹介します。

松尾大社から山裾の道に沿って、いくつかの古刹を訪れ、最後の目的地が浄住寺です。地蔵院を出るとまもなく道標があります。

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「浄住寺(じょうじゅうじ)」は、黄檗宗の寺院で、山号は葉室山、本尊は如意輪観音、京都洛西観音霊場第三十番札所です。(道路から奥まった木立の中に山門があります。)

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平安時代の弘仁年間(810-824)に、嵯峨天皇の勅願により円仁(慈覚大師)が開創したとされ、当初は常住寺と称したそうです。(境内には楓が多く、紅葉の頃は見事です。)

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円仁は、浄住寺を建立した後も遣唐使として唐に渡り、その後比叡山で横川中堂を建立して、第3世・天台座主に就き(854)、東塔に天台密教の根本道場・総持院を建立しました。

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その後、浄住寺は荒廃して葉室家の別荘となります。「葉室家」は、平安時代後期に権中納言・藤原顕隆(1072-1129)によって創始された公家で、先日の記事の勧修寺ゆかりの藤原高藤の後裔です。「本堂」

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顕隆は白河法皇の近臣で官職以上に政治力を発揮、それが夜になってからのことなので「夜の関白」とも称されました。(本尊の如意輪観音像は後述の鉄牛が持ち帰った天竺仏とされています。)

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別荘を構えたのは3代当主・光頼のときで、それ以降土地の葉室を家名としました。鎌倉時代の弘長年間(1261-1263)には、中納言・葉室定嗣が出家して、西大寺の真言律宗の僧・叡尊(えいそん)を請じて浄住寺を中興しました。

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先日の記事にあるように、叡尊は宇治橋を修繕して宇治川での殺生を禁じて中の島に十三重石塔を建て、宇治茶の祖といわれた僧侶です。

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文永9年(1272)の定嗣没後は、葉室家の菩提寺として盛え、一時は多くの堂宇が建ち並んだといいます。永仁6年(1298)には将軍家の祈願所になり、この時期塔頭が49院もあったそうです。

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正慶2年(1333)に千種忠顕が六波羅探題を攻めた際に焼失して、その後荒廃しました。さらに室町時代、明応2年(1493)に細川政元によって将軍の側近だった葉室教光が処刑され、その別荘の浄住寺も破却されてしまいます。

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江戸時代に入り、元禄2年(1689)に葉室孝重が禅師・鉄牛道機を招いて黄檗宗の寺として再興しました。鉄牛(1628-1700)は大坂・大仙寺、妙心寺、長崎・崇福寺などで修業し、各地で黄檗寺院を建立するとともに、萬福寺の創建にも尽力した人物です。

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また、伊達綱村、島津綱貴、池田綱清、稲葉正通、福島正則らの大名の寄進により寺地を購入して堂宇を建立したともいわれます。当時の本堂、開山堂が現存しています。(開山堂は本堂の裏、下の玄関には「葉室山」の大きな扁額がかかっています。)

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安永4年(1775)には方丈と庫裏を焼失、その後再建されました。昭和53年(1978)には、廃れていた洛西三十三所観音霊場めぐりが再興されました。

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本堂左にある御堂(上)に聖観世音が祀られており、その第30番札所となっています。

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ところで、葉室家の家業は儒学と有職故実で、九条家の家礼、江戸時代の家禄は183石です。「家礼」とは、摂関家を主、その他の堂上家を従とする公家間の主従関係のことです。(御堂の前には石仏が置かれていました。)

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支流・分家として、姉小路家、四条家、堀川家(以上公家)、粟田口家(奈良華族)があります。 朝儀典礼に通暁する者が多く、議奏に補された頼業・頼孝・頼胤らの記録類は、この時代を知る上で不可欠な歴史資料です。「弁財天社」

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30代当主・顕孝(1796-1858)の六男・定孝は興福寺養賢院住職でしたが、勅命により復飾して粟田口を称し、北野神社、八坂神社、貴船神社、住吉大社の宮司を歴任しました。(弁財天は美しく彩色され、何と腕が8本もある八臂でした。)

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明治17年(1884)34代当主・長邦(1839-1899)が伯爵を授けられました。35代当主・通次は万里小路家から葉室長邦の養子となり、琴平神社(虎ノ門)の宮司を務めました。「西方丈再建予定地」

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葉室直躬(なおみ、1895-1971)は子爵・鍋島直柔(旧蓮池藩主家)の三男、通次の長女・千鶴子の婿養子として36代目当主となります。明治大学卒業後、安田銀行勤務を経て、賀茂御祖神社(下鴨神社)宮司となりました。

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その子37代当主・賴昭(1927-2009)は葉室整形外科病院院長でしたが、通信教育で神職の資格をとり春日大社宮司へ転身しました。 下は、平成22年(2010)に建立された中興開山鉄牛道機の三百九回忌の石碑(参道脇)。

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春日大社は藤原氏の氏神ということで、宮司は藤原一族から選出されるという内規があるそうです。下の看板には「観賞用の亀甲竹の筍なので採らないでください、全く美味しくありません」。

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西京区山田に「葉室御霊神社」があります。葉室家の荘園に祖霊を祀る鎮守社として創建、元禄2年(1689)23代当主・大納言頼孝が現社殿を建立、昭和55年(1981)賴昭が修理しました。

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コメント

葉室家。
変わった名前の公家ですよね。
でも変わった名前の公家って、多いような気がします。
不思議なことです。

投稿: munixyu | 2021年6月 7日 (月) 17:57

★munixyuさん こんばんは♪
新しい公家の名前は、その土地や通りの名前を使うことが多かったようです。ということは、京都の地名が変わっていたということですね。

投稿: りせ | 2021年6月19日 (土) 00:24

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