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2021年6月 9日 (水)

妙心寺塔頭・慈雲院の創建の謎

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

現在外出自粛中で、過去の今頃の記事を再編集してお届けしています。妙心寺の退蔵院の左隣にある慈雲院は、非公開寺院ながら山門から見える見事なサツキで知られています。

「妙心寺」は山号を正法山という臨済宗妙心寺派の大本山です。「南総門」(重文)から境内に入ります。

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建武4年(1337)花園法皇がこの地にあった離宮を禅寺に改め、慧玄を招いて開山したのが始まりです。応仁の乱で多くの堂塔が焼失しましたが、細川勝元・政元親子らの援助で再興。

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その後、豊臣、徳川家をはじめ諸大名が帰依して隆盛を極め、塔頭が相次いで建てられ、地方へも当寺の勢力は発展しました。現在末寺は3500余りあり、臨済宗各派中最大寺院。周囲には46の塔頭があります。

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「慈雲院」 江戸時代前期の承応2年(1653)大阪の商人・橘屋新兵衛が妙心寺194世湛月紹円(たんげつしょうえん、大虚霊光禅師)を開祖に請じて創建、当初は慈雲庵と称して妙心寺北総門前にありました。(門の左にあります。)

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明治11年(1878)妙心寺山内の現在地に移り、そのとき湛月が開いた松濤庵(しょうとうあん)および大森(北区)の寿仏寺(じゅぶつじ)を併合しています。

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この場所は文禄年中(1592~96)に池田輝政が宙外(ちゅうがい)を請じて創建した盛岳院(せいがくいん)の跡地で、2世池田信輝(のぶてる)と母堂の盛岳院の墓が残されています。

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開山の湛月紹円は慶長12年(1607)大和南京(奈良)に生まれ、興福寺、法隆寺で学び、比叡山で天台を修め、妙心寺96世龍巌瑞顕の法嗣を継ぎ、妙心寺194世となり、在任中に塔頭慈雲庵と松濤庵を開きました。(くぐり戸は開いていますが、入るのは遠慮しました。)

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また泉州住吉龍源寺、大坂天瑞寺等の開山となりました。文筆に卓絶し、和歌に優れ、道歌百人一首中にも選ばれ、学徳兼備の名僧といわれ、寛文10年(1670)入寂。64歳。

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一方、開基の橘屋新兵衛は、屋久健二氏の研究論文「近世大阪天満宮の境内商人と西側茶屋仲間」によると、少なくとも明暦3年(1657)には大坂天満宮で茶店と講釈小屋を経営していたようです。茶屋とは茶立女を抱える遊女屋です。

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中川桂氏の「近世大阪の寺社境内における寄席興行-大阪天満宮の場合-」によると、文政3年(1820)に橘屋新兵衛の講釈小屋で鳴物や道具を用いた題目を上演したいという願い状が残っています。講釈小屋は江戸時代後期までありました。

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一方、「妙心寺寺史」には慈雲庵は「大阪橘屋新兵衛は彦根藩井伊家一族の故、由來彦根藩香花寺たり」という文言があるそうです。香花寺は菩提寺とは異なり、付近の墓所に供花を行う寺院(香華院)のことだと思われます。

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彦根藩は彦根と東近江、江戸表にそれぞれ墓所と菩提寺がありますが、京都の墓所は不明です。しかし、江戸時代初期の寛永14年(1637)には京都に67の大名屋敷があり、彦根藩も寛永年間(1624-44)に烏丸丸太町に藩邸を構えたそうです。

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結局、慈雲庵は彦根藩の京屋敷での葬儀や京都にあったと考えられる墓への供花のためだと思われます。ただし、藩が寺を創建することをはばかって、橘屋新兵衛が表にたったとも考えられます。

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コメント

綺麗に刈り込まれたサツキの庭。
こういうのは、本当に手入れが大変でしょうね。
コロナ禍の今も綺麗に咲いているのかと思うと、
惜しく感じてしまいます。

投稿: munixyu | 2021年6月 9日 (水) 19:54

★munixyuさん こんばんは♪
このように、平面的に角張って刈り込むのは大変でしょう。何を意図しているのか知りたいですね。

投稿: りせ | 2021年6月19日 (土) 01:21

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