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2021年4月29日 (木)

神社本教と日向大神宮のシャゲ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

現在外出自粛中です。今日はシャガの花が咲く日向(ひむかい)大神宮で、コロナが流行る前の数年間の記事からです。題名にある神社本教については後ほど。

下は一の鳥居で、京の七口の一つ・粟田口にあたり、かっては旅人や送り迎えの人々で賑わいました。日向大神宮は旅人の道中の安全祈願の神社として栄え、「京の伊勢」と呼ばれました。

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「日向大神宮」の創建は古く、古墳時代の顕宗(けんぞう)天皇(在位485-487)の時、筑紫の日向の高千穂の峰の神蹟を移したのが起こりといわれています。石段を上り、琵琶湖疏水にかかる「大神宮橋」を渡ります。

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その後、飛鳥時代に天智天皇(在位661-672)が神田を寄進して、神域の山を日ノ御山(ひのみやま)と名付けました。(横木は無くなっていますが「二の鳥居」、左の坂を上ると一の鳥居の横に石標があった「青龍山 安養寺」があります。)

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平安時代、清和天皇(在位858-876)は日向宮の勅額を賜り、醍醐天皇(在位897-930)は「延喜の制」で当社を宮幣社に指定しました。(神社に近づくと、参道にシャガの花が咲いています。)

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建武の乱(1336年)のとき、新田義貞は戦勝を祈願して、良馬と太刀一身を奉納したそうです。

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室町時代の応仁の乱(1467-1477)の兵火で社殿ならびに古い記録は焼失しましたが、松坂村の篤志家・松井藤左衛門によって仮宮が造営され、朝廷から修理料を賜り社殿が再興されました。参道の左側に社殿への石段があります。

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「三の鳥居」は伊勢神宮を模した「神明鳥居」で、右手は拝殿、左には社務所、参集殿、神饌所が並んでいます。

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三の鳥居の右手の斜面を上ると、いくつかの摂社や菅原道真の旧跡などがありますが、数が多くて全部は紹介しきれません。下は別宮の「福土神社」で、縁結びの神・大国主命(おおくにぬしのみこと)他3神を祀ります。

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更に上ると、「下ノ別宮」として、「高宮(こうのみや)」、「多賀神社」、「春日神社」、「五行神社」が一つの祠に祀られています(祭神は省略)。ここから社殿の方に戻ります。

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安土桃山時代から江戸初期にかけて、後陽成天皇(在位1586-1611)は、内宮、外宮の御宸筆の額を賜りました。下は徳川家から奉納された「神馬舎」。

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拝殿の先にある「猿田彦神社」と「花祭(かさい)神社」は、それぞれ道案内の神・猿田彦命と安産の神・木花開耶姫(このはなさくやひめ)を祀ります。

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慶長年間(1596-1615)には、徳川家康より神領が加増され社殿の改造が行われました。下は「外宮(下ノ本宮)」で、天津彦火瓊々杵尊(あまつひこほににぎのみこと)と天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を祀ります。

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江戸時代には、後水尾天皇、中宮東福門院、後桃園天皇、建礼門院及び女院御所中宮、内侍所、光格天皇、中御門天皇などから、修理料、御初穂料、御神宝を賜りました。内宮の方に向かいます。

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さらに、明治から昭和初期まで、皇室や宮家の参拝、初穂の奉献、宝物の寄進が続きました。池の周囲にもシャガが咲いていました。

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戦後、それまでの国家神道にもとづく社格制度が廃止され宗教法人法が発布されると、京都府の郡部や京都市以外の市の神社の大半は神社本庁に参加しました。「勾玉池」の中はイモリが一杯です。

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摂社の「恵美須神社」は山城国では初めて鎮座したもので、商売繁盛の神・事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀ります。相殿の天鈿女(あまのうずめ)神社は、芸能の神・天鈿女命と山の神・大山祇神(おおやまつみのかみ)を祀ります。

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上の写真の左は御井(みい)神社で 水波能売神(みずはのめのかみ)を祀ります。その下に、神社創建前から湧き出る「朝日泉」があり、平安時代の疫病をこの水で鎮めた霊泉とされています。正月三が日に振る舞われるそうです。

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内宮(上ノ本宮、京都市文化財)には祭神の天照大御神(あまてらすおおみかみ)、多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)、市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)、多岐都比売命(たぎつひめのみこと)を祀ります。開運、厄除、縁結びのご利益があるとされています。

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「神社本庁」は神社神道系では最大の包括宗教法人で神宮(伊勢神宮)を本宗とします。ただし、全国の神社の本宗(本宮)が伊勢神宮と表現するのは間違いです。内宮の左にある「影向岩」神様が降臨した神聖な岩だそうです。

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終戦までの京都府神職会では、全国最多の神職数を有する官国幣社が「京都支部」、それ以外の府社以下の神職は「京都市支部」を結成し活動していました。影向岩の横に天岩戸への石段があります。

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昭和21年神社本庁に反対する「京都市支部」の一部神社は出世稲荷神社に結集して「神社本教」を結成、村社の日向大神宮も加わりました。「天岩戸」の戸隠神社は天手力男命(あめのたぢからおのみこと)を祀ります。

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神社本庁はかっての国家神道の性格を残し、憲法改正などの政治活動や幹部の醜聞、不正な土地売却、それを告発した役員の解雇と関連する裁判の敗訴などがあり、昨年11月には金刀比羅宮が脱退しました。

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一方、神社本教はかっての神職会の性格を残し、特定の経典はなく統一されているのは安倍晴明直系の陰陽道による暦くらいです。山道を南禅寺まで行くことができます。

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ちなみに、神社本教の本部は若宮八幡宮にあり、代表は清水寺境内の地主神社宮司が務め、粟田神社、今宮神社、菅大臣神社、蚕ノ社、錦天満宮、野宮神社、平岡八幡宮、六孫王神社など約80社が所属します。

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神社神道系では神社本庁を除いて神社本教が最大の包括団体です。一方、天理教、金光教、黒住教、御嶽教などは国家神道の時代にも独立を許された教派神道系の教団です。

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さらに、どの包括団体にも属さない単立神社には、伏見稲荷大社、梅宮大社、車折神社、八坂神社(現在は神社本庁の別表神社)、梨木神社などがあり、日光東照宮、富岡八幡宮、出雲大神宮なども単立神社です。

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コメント

シャガの花は、
光りの加減で全く雰囲気が違うから不思議ですね。
影では妖艶に青めき、日向では明るく白めく。
なかなか言葉では表現できないですよね。

投稿: munixyu | 2021年4月29日 (木) 14:00

★munixyuさん こんばんは♪
シャガは何故かいつも斜面に咲いていますね。花びらのかすかな紫や橙の色が高貴な感じがします。

投稿: りせ | 2021年5月 5日 (水) 00:00

どの包括団体にも属さない単立神社には、(略)八坂神社
⇒京都府神社庁のHPに、八坂神社は掲載されていますが?
 京都府神社庁のHPに載っている、つまり、神社本庁の
 被包括神社ということになりませんか?
 八坂神社が単立というのはどこからの情報ですか?
 それとも、祇園の八坂神社ではない同名の神社?

投稿: ときわ木 | 2021年10月 8日 (金) 16:17

★ときわ木さん こんばんは♪
ご指摘ありがとうございます。確かに現在の八坂神社は神社本庁に別表神社として記載されています。京都の場合は複雑で、官幣大社の白峯神宮も単立神社でしたが後に神社本庁に含まれたようです。八坂神社が神社本庁に加盟した時期は私に分かりませんでしたが、数年前まで単立神社という情報がありました。伏見稲荷大社も単立ですが、ことあるごとに神社本庁とは良好な関係にあると強調しています。京都市内の大神社は神社本庁との関係に神経をつかっているようで、現時点で八坂神社が単立というのは訂正いたします。ありがとうございました。

投稿: りせ | 2021年10月 8日 (金) 20:31

八坂神社が数年前まで単立神社、っていうのは完全にガセネタだと思いますよ。京都府神社庁のHPに以前から掲載されていましたし。(地方の「八坂神社」には確かに単立のところはあります)
HPで発信されるのであれば、正確性は必要でしょう。
当該神社に確認するだけの慎重さがあっていいと思います。
白峯神宮が単立から本庁被包括になった際、「復帰」なんていう表現が使われたりしていましたが、それもかなり以前に被包括になっています。そんなに長期間単立だったわけではないです。
伏見稲荷大社にしても、本庁と対立関係にないにしても、神宮大麻の頒布はしていないですね。単立でも頒布しているところもあり、本庁との関係と言ってもそこは色々あるようですが。

投稿: ときわ木 | 2021年10月11日 (月) 00:20

★ときわ木さん こんにちは♪
記事で京都の大神社は複雑だと書いたのは、数百年から千年に渡って氏子や住民が支えてきたからです。主として人事に関して上部団体の統制を受けることに住民の抵抗感があるからです。神社本庁が幹部の不正を告発した職員の裁判で敗訴したり、特定の政治活動を行っている、という以前からの問題です。数日前まで、Wikipediaの八坂神社(京都府)の項目のキャッシュには「単立神社」が残っていました。しかし、ご指摘を受けたように事実ではないので訂正しました。
 寺社の紹介では、きるだけ正確をきしているつもりですが、至らないことも事実だと思いますので、間違いのご指摘はありがたいと思っています。それ以外の内容についてはご意見として承りますので、以後のコメントやそのお返事はご容赦ください。

投稿: りせ | 2021年10月11日 (月) 11:59

勝手に終わられても後味悪いです。
「京都の大神社は複雑」今回、その件は全く別に問題にしていません。
八坂神社が単立かどうかです。
ある程度の正確さは認めますが、それでも、Wikipediaが典拠というのはどうかと思いますよ。
色々ご存知のことをご披露されるのはご勝手ですが。
ということで、今度こそこれで最後です。
失礼しました。

投稿: ときわ木 | 2021年10月11日 (月) 13:08

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