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2021年3月 5日 (金)

梅宮大社 神苑と梅産祭

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

現在外出自粛中で、今日は梅宮大社の境内と神苑、梅産祭を紹介します。四条通に面する参道入口から少し入ったところに一の鳥居、その先に朱の二の鳥居があります。

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「梅宮大社」の創建については諸説があります。(「楼門」は左右に兵杖もった神像が安置されている随神門です。)

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いずれにしても、飛鳥時代末から奈良時代中期にかけて、有力貴族・県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ、?-733)あるいはその子孫が建立した橘氏ゆかりの神社であることは確かなようです。 「拝殿」

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本殿には、酒解神(さかどけのかみ)、その子・酒解子神(さかどけみこのかみ)、夫・大若子神(おおわくこのかみ)、孫・小若子神(こわくこのかみ)を祀っています。「拝所」

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祭神の酒解神は、初めて酒を作って神々に献上じた酒造の祖で、その子の酒解子神は、大若子神と一夜の契りにより小若子神を産んだことから、これらの神は造酒と安産の神として信仰されてきました。「本殿」

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嘉智子(檀林皇后)は子どもに恵まれませんでしたが、梅宮大社に祈願したところ後の仁明天皇を授かりました。相殿には橘諸兄の孫・橘清友、檀林皇后、嵯峨天皇、仁明天皇とその一族を祀っています。

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本殿の右にある子宝の石「またげ石」 檀林皇后がまたがれたところ、まもなく皇子を授かったと伝えられ、以来血脈相続の石として信仰されています。夫婦一緒に子授けの祈祷を受けた方だけを案内しているそうです。

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「影向石(ようごうせき)」 紀州熊野から三羽の烏が飛来して石となったとの伝承があります。本殿の左にあり「三石」ともいいます。この左には摂社「八社」があります。

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仁明天皇(833-850)は大社に準じた社殿の造営を思い立ちますが、母の檀林皇太后(嘉智子)は反対して、自ら現地付近に社地を定めました。本殿の玉垣内にある摂社の「護王社」。

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平安時代初期に嘉智子が現在地に遷座してから、梅宮祭が始められました。毎年4月上旬の酉の日に行われ、神前で初めて雅楽が奉納されました。(本殿の一番右にある「若宮社」の拝所)

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また、仁明天皇により梅宮祭は名神祭という国家の主要な神祭の中に加えられました。なお、現在は3月第一日曜日に「梅産(うめうめ)祭」、5月3日に神幸祭が行われています。「稲荷社」

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その後、祭儀や梅宮祭が中断したり、摂関時代(901-1000頃)には橘氏に代わり藤原氏が祭祀を行うようになりました。その頃から橘氏は公卿が絶えて衰退していきました。

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なお、三千代は藤原不比等の後妻となり、その子孫が藤原氏なので、橘氏の外戚にあたります。境内の東にある建物は神饌所?

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平安時代末期になると神社は衰退して、室町時代には戦乱で焼失してしまいます。「お百度石」

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江戸時代、5代将軍・徳川綱吉の命によって、本殿、拝殿、楼門などの社殿が再建され現在に至っています。多くの建物は京都府指定文化財となっています。

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かっては梅宮社でしたが、明治4年(1871)梅宮神社、昭和26年(1951)に梅宮大社と改称されました。旧社格は官幣中社、現在は神社本庁に属さない単立神社となっています。

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拝観受付と離れたところにある神苑の門を自分で開けて入ります。

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神苑は桂川から水を引いた池泉回遊式になっています。作庭時期は不明ですが江戸時代には現在の姿になったそうです。門の正面に「咲耶(さくや)池」が広がっています。

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梅宮大社の祭神の酒解子神は、木花咲耶姫と同一の神と考えられていることから、この池の名になったと考えられます。咲耶池の周囲を左回りに歩きます。

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池の中や周囲には杜若、花菖蒲、霧島躑躅なども植えられていて、それぞれの季節を彩ります。

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池の東端から神門の方、背後は西山です。

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咲耶池の大きな中の島には参集殿や茶室があり、池の東南北のそれぞれに石橋があります。東の石橋の上から南の方。

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池の北に土俵があります。8月の最終日曜に相殿の祭神・嵯峨天皇の例祭が行われ、そのとき、子供相撲大会も行われます。嵯峨天皇は相撲を好んだといわれています。

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池を一周して西から。「池中亭」は幕末の嘉永4年(1851)に建てられ、「芦のまろ屋」とも呼ばれています。池の西岸から石橋がかかっています。

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大納言・源経信の歌碑「ゆうされば かどたのいなば おとずれて あしのまろやに 秋風ぞふく」。平安時代の梅津の里を歌った百人一首で、茶室はその風景を再現しているのだそうです。

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境内の北にある「北神苑」 中央に「勾玉池」がありますが、深くなくて沼地のようです。ここは花菖蒲が綺麗なところです。(勾玉池の西の藤棚から。)

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勾玉池の南から。この池の南(本殿の裏)には高い樹木が生い茂っていてサギの巣があります。

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「西神苑」 ここは梅苑になっていますが、椿や竹も植えられています。梅は献木された若い木を育てているそうで、まだ咲いていない木も多くありました。

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江戸時代中頃、本居宣長は献木の梅に添えて、「よそ目にも その神垣とみゆるまで うえばや梅を千本八千本」と詠みました。

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ところで、2月末で京都府の緊急時代宣言が解除されたことから、梅宮大社は3月の第一日曜日(3月7日)の梅花祭「梅産祭」に伴う梅ジュースの無料接待を行うことにしたそうです。(園路沿いにラッパ水仙が咲いていました。)

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当日は祭典を9時に執行、梅ジュースの接待を9時30分~15時30分に行います(無くなり次第終了)。 下は過去の梅産祭で、このときは「梅ジュース」と「招福梅」が振舞われました。

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神社では感染症対策を充分に配慮しますが、お越しの際はマスクの着用など個人的な対策をした上、ジュースを召し上がる際も極力黙って飲むよう配慮をお願いしています。

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郵送で遠方にお住まいの方の御祈祷を受け付けています(神社のHPをご覧ください)。 子授け祈願の方は、コロナ終息後にご夫婦で来社すれば「またげ石」を跨くことができるそうです。

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コメント

梅ジュースの無料接待ですか。
季節感があっていいですねぇ。
今年は、いつ頃から祭り関係が再開されるでしょうね。
秋祭り辺りがあるかないかでしょうか。
一日も早く元に戻って欲しいですよね。

投稿: munixyu | 2021年3月 5日 (金) 16:03

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