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2021年3月21日 (日)

近衛邸跡の糸桜 2021春

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の本満寺を出て京都御苑・近衛邸跡の糸桜を見に行きました。いつものように御苑の北東にある「石薬師御門」をくぐります。

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門のそばにある大きな桜の木が満開でした。ソメイヨシノではないと思いますが種類は分かりません。

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近衛邸跡は「今出川御門」を入った西にあり、その向かい(東)に「桂宮邸跡」があります。以下では近衛家の歴史を簡単に紹介します。

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近衞家は、平安時代に忠通を始祖として創立され、家名は平安京の近衛大路に由来します。創立以来摂政、関白を数多く輩出、摂関家の「五摂家」の筆頭です。京都御所の北隣りにあり、参内するのに便利な場所です。

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この邸宅跡には枝垂れ桜の大木が多く植えられていて(約60本)、御苑で一番早く咲き始める桜として知られています。「糸桜」とも呼ばれ、この日(3月19日)満開でした。

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敷地の東にあるのは「近衛池」とよばれ、近衛邸の唯一現存する遺構です。

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ここに屋敷を建てた近衛前久(さきひさ)は天文5年(1536)近衞稙家の長男として京都に生まれ、4歳で元服、5歳には従三位に叙せられ公卿に列しました。11歳で内大臣、17歳で右大臣、18歳で関白左大臣となり、藤氏長者に就任しました。

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藤氏長者とは藤原氏の代表者のことで、公家の多くは藤原氏でした(実際にはそれぞれの家名を名乗っていますが)。

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当時の京の荒廃と混乱を見かねた前久は、並外れた行動力を発揮して織田信長の天下統一の過程で様々な役割を演じました。

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当初は信長に対抗して関白を解任され、足利義昭が将軍になると朝廷および京都からも追放され、信長包囲網を頼って各地の戦国大名を渡り歩きました。(池のそばの切株から新しい枝が生えています。)

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しかし、信長が足利義昭を追放すると、信長包囲網から離脱して天正3年(1575)には信長の奏上により帰洛を許されました。(近衛池の整備工事が行われていました。)

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以後は信長と親交を深め、天正8年(1580)信長と本願寺の調停に乗り出し、10年近くかかっても攻め落とせなかった石山本願寺を開城させました。これを高く評価した信長は、

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「天下平定の暁には近衞家に一国を献上する」約束をしたといわれています。天正10年(1582)2月太政大臣となりますが5月には辞任。これは信長に同職を譲る意向だったともいわれています。

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しかし、6月2日の本能寺の変で信長が死ぬと、失意の前久は落飾して龍山と号しました。さらに「明智光秀軍が前久邸から二条御所を銃撃した」と讒言され、織田信孝や羽柴秀吉から詰問されました。

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一年後、家康の斡旋により秀吉の誤解は解け京都に戻ります。天正12年(1584)小牧・長久手の戦いで両者が激突、立場が危うくなった前久は奈良に身を寄せ、和議が成立したことを見届けて帰洛しました。

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天正13年(1585)に島津家に支援を仰いで烏丸今出川邸(現在地)に屋敷を建てて移住。近衛邸の糸桜は洛中洛外図屏風などにもみられ、当時から近衛家の名物だったようです。(西の児童公園も近衛邸の敷地でした。)

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京都に御所を構えた最後の孝明天皇は次の御製を残しています「昔より 名にはきけども 今日みれば むべめかれせぬ 糸さくらかな」。

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明治の東京遷都により近衛家も東京に移転しました。その際、近衛邸の建物は東福寺塔頭・勝林寺(大玄関)、奈良西大寺(政所御殿)、愛知県西尾市(数寄屋造の書院と茶室、下の写真)などに移築されました。

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西尾市の建物は、江戸時代後期に島津斉彬の姫が近衛忠房に嫁いだことが縁で島津家が建てたものです。書院では季節の和菓子つきのお抹茶のサービスがあるそうです 。写真は西尾市観光協会のHPからの転載。

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明治16年(1884)華族令の制定に伴い、篤麿が公爵に列し、貴族院議長や東亜同文会会長として活発に政治活動を行いました。その息子近衛文麿も貴族院議長を経て昭和前期に3度にわたって内閣総理大臣を務めました。

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日本赤十字社社長などを務めた現当主・近衛忠煇は細川家出身で、文麿の長男文隆がシベリア抑留中に死去したため、近衛家の養子となりました。元内閣総理大臣の細川護熙は忠煇の実兄です。

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コメント

おかめ桜から始まって、
糸桜と、いつもの桜のフルコースですね。
あとはソメイヨシノ→八重桜と言ったところでしょうか。
いつの間にか、すっかり春爛漫になりましたね。

投稿: munixyu | 2021年3月21日 (日) 15:55

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