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2021年3月 4日 (木)

軒端の梅と和泉式部

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

京都の緊急事態宣言は解除されましたが、不要不急の外出自粛の協力を求められています。今日は、今の季節にちなんで梅の名木にまつわる話を紹介しますす。

「東北院」は山号を雲水山という時宗の寺院で、真如堂の北西にあります。最初に、東北院が創建され現在に至るまでの歴史を簡単に紹介します。

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平安時代中頃、藤原道長の没後、その娘・上東門院彰子の発願によって道長建立の法成寺(ほうじょうじ)の一郭に常行三昧堂が建立されました。大弁財天を祀り、法成寺内の東北にあったことから「東北院」とよばれました。これが現在の東北院の前身です。

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法成寺は、浄土信仰に傾倒した藤原道長によって奈良東大寺を模して、1020年に平安京の東京極通(寺町通荒神口あたり)に建立されました。

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1058年に発生した法成寺の火災により東北院も全焼、北側の新たな土地に東北院は移転・再建され、1061年には盛大な再建供養が行われました。その後上東門院は東北院を住まいとしました。(本堂には本尊の大弁財天が祀られています。)

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1064年には後冷泉天皇が再建された東北院に行幸しました。上東門院は国母であると同時に御堂流摂関家(道長の嫡流子孫)の後見人的な存在で、没後も東北院は摂関家から手厚い保護を受けました。(非公開で、中には入れません。)

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平安時代末の1171年に護摩堂・不断経所などを除いて東北院は全焼しましたが、同年中に再建。鎌倉時代の念仏会で各種職人たちが集まり歌合をした『東北院職人歌合絵巻』は重要文化財となっています。(門の外から撮っています。)

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室町時代には七福神信仰が盛んとなり、桓武天皇の時代に最澄が作ったとされる弁財天像が人々の崇敬を集めました。しかしながら、応仁の乱によって再び焼失し、その後は荒廃して一部施設を残し廃寺同然となってしまいました。

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戦国時代の1559年、弥阿という僧が残されていた弁才天を本尊として時宗の寺院に改めて再建に務めましたが、1570年の戦火で再度焼失、後に正親町天皇の勅命により再建されたと伝わっています(時期は不明)。

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江戸時代の前期には蘆山寺近の時宗の寺となっていましたが、1692年の火災で類焼しました。翌1693年に真如堂とともに現在地に移転することを命じられ、現在に至っています。

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ところで、歌人・和泉式部は夫と別居後、為尊(ためたか)親王や敦道(あつみち)親王に寵愛されましたがともに死別。その後、寛弘末年(1008-1011)に一条天皇の中宮・上東門院(藤原道長の娘・彰子)につかえました。

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道長に「浮かれ女」、紫式部に「けしからぬ方」といわれたのはこの頃です。その後、道長の計らいにより、公家の藤原保昌と再婚しましたが1036年に死別、出家して東北院内で阿弥陀如来を拝む余生を送ったといわれています。

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法成寺内の東北院には和泉式部が植えたといわれる「軒端の梅」があったそうです。その後の東北院は2度も焼失、移転して当時の梅は残っていませんが、現在の東北院にはその後継木が植えられています。

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最後に、この梅を題材にした室町時代の世阿弥作の謡曲「東北(とうぼく)」のあらすじを紹介します。東国から都に上って来た旅僧が東北院を訪れ、花盛りの一本の梅の木を見て感動します。

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そこに美しい里女が現れ、和泉式部がその梅を植えて「軒端の梅」と名づけ、東北院の方丈は式部の寝所であったことなどを語ります。そして、自分が梅の木の主であると告げ、僧に読経を頼んで消えてしまいました。

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僧が梅の主の冥福を祈り読経をしていると、高貴な上臈姿の和泉式部の霊が現れ、功徳により死後歌舞の菩薩となったと語り、和歌の徳や東北院が霊地であることを讃えて舞を舞い消えてしまいました。

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僧が夢から覚めると、あたりにほのかに梅の残り香があったといいます。新京極通の中頃に「誠心院」があります。

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「誠心院」は華嶽山(かがくざん)東北寺誠心院と号する真言宗泉涌寺派の寺ですが、通称「和泉式部」と呼ばれています。和泉式部が出家して、余生を過ごした小御堂(こみどう)が起源で当初は御所の東にありました。

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式部はまい朝夕に本尊・阿弥陀如来を詣で六字名号を念仏したといわれます。(誠心院は後の鎌倉時代に鴨川の氾濫などがあり、小川通一条に移転、安土桃山時代に豊臣秀吉によって現在地に移されました。)

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晩年の式部の動向は知られていませんが、当時はできないとされた女人往生(仏になること)を成し遂げ、謡曲「誓願寺」が生まれました。その舞台の式部の墓「宝篋印塔」は鎌倉時代の天和2年(1313)の建立です。

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本堂の前に、和泉式部の歌碑「霞た津 はるきにけりと 此花を 見るにぞ鳥の こゑもまたるる」と「軒端の梅」が再現されています。

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和泉式部が軒端の梅を詠んだ歌「むめの香を 君によそへてみるからに 花のをりしる身ともなるかな」は、「あなたが梅花香を愛用しているから、梅が咲く時に敏感になってしまったわ」という意味だそうです。

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コメント

梅の花は、春の訪れを知らせてくれる
本当に貴重な花ですよね。
柔らかい雰囲気に、一気に春を感じます。

投稿: munixyu | 2021年3月 4日 (木) 12:14

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