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2021年2月19日 (金)

雪の京都 上賀茂神社

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

現在外出を自粛して、京都に大雪が降った日の風景をお届けしています。昨日の記事の続きで、上賀茂神社を訪れました。下は一の鳥居。

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「上賀茂神社」は京都最古の社の一つで世界文化遺産。檜皮葺きの典雅な社殿からなり、「本殿」と常設の仮殿「権殿」が国宝、その他の41棟が重要文化財です。上は一の鳥居、下に二の鳥居が見えます。左は賀茂競馬が行われる馬場になっています。

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「見返りの楓」葵祭の競馬(くらべうま)は、2頭の馬が少し時間差を置いて走ります。この木は乗尻(騎手)が姿勢を整え後ろを見返る場所です。

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以下では、上賀茂神社の創建にまつわる神話を簡単に紹介します。(「御所舎」、社殿の屋根は雪に覆われています。)

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数千年前の神代の時代、天上で雷鳴が轟き、一本の丹塗矢(にぬりのや)が降ってきました。(「細殿」、立砂の向こうに2枚の奉納絵馬があります。)

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この場面が描かれている絵馬があります。

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丹塗矢が瀬見の小川(現在の賀茂川の上流)を流れて来た時、身を清めていた賀茂玉依比売命(かもたまよりひめのみこと)は不思議に思い矢を持ち帰りました。(二枚とも寺岡多佳さんの大絵馬です。)

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その矢を丁重に扱い、床に挿して眠ったところ、矢の不思議な力によって懐妊して、立派な男児を産みました。「橋殿」

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生まれた神を当初は御子神(みこがみ)と名付け、外祖父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)によって成人を祝う七日七晩の宴が催されました。(この時は楼門が屋根の葺き替え工事中でした。)

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その際に「父と思う神に盃をすすめよ」と外祖父はいいましたが、御子神は「父は天神(あまつかみ)なり」といって盃を天に投げ、屋根を破って雷鳴とともに天へ昇ってしまいました。(「片岡橋」から、向こうは「玉橋」ですがいつも通れません。)

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その時に御子神は賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)と名付けられました。「本殿」には賀茂別雷神を祀ります。本殿の前に大きな矢があり、普通の守護矢ではなく丹塗矢ではないかと思います。

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母神は突然の昇天に嘆きましたが、夢の中で「葵を飾り、馬を走らせてまつりをせよ」との別雷神のお告げを聞きました。(工事中の楼門の内側から。)

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その通りにしたところ、立派な成人の姿となって別雷神は境内の北方にある、神山(こうやま)に降臨しました。

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先ほどの細殿の前の立砂は神山をかたどっています。多くの神社では車寄せの目印になっている盛砂ですが、上賀茂神社では特別な意味があるのです。

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神話では別雷神が降臨しておまつり事が始まったことが上賀茂神社の起源だとされます。「葵祭」では、母子の神が再会をはたすことができた葵の葉をシンボルとして使用し、競馬は現在まで続けられています。(神社の西の鳥居から出ます。)

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母の賀茂玉依姫(比売)命と外祖父の賀茂建角身命は下鴨神社の祭神として祀られています。社務所の前は車が通れる道です。

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昨日の記事では上賀茂の社家町を見てきましたが、こちらは現役の社家(宮司さんのお宅)だと思われます。

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ここから「神山」が見えます。別雷神は神山の頂上に生えていた松の木を目印に降りてきたといわれます。

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今度は神社の東側に行きます。

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先ほどの細殿の前の立砂のてっぺんには、別雷神が降臨するときの目印となった松葉が刺してあります。左右の立砂で葉が2本と3本になっているのは陰陽をあらわすとされます。

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「ならの小川」を渡ります。この小川が昨日の記事の社家の前を流れる明神川になります。

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「睦(むつみ)の木」樹齢300年のスダジイで、一つの根から何本もの幹が出ていることから、仲睦まじい家族を表すとか。このあたりは「渉渓園」と呼ばれ、平安時代末期の庭園が再現されたものです。向こうに摂社の「賀茂山口神社」が見えます。

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この摂社は神領地の田畑の守護神で、子の成長をつかさどる神ともいわれます。下は「願い石」で、かって渉渓園に龍が棲む池があり、その底から出てきた陰陽石(おんみょうせき)です。両手で触れてパワーを頂いてから賀茂山口神社にお参りするのだそうです。

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渉渓園は1960年に作庭家・中根金作が浩宮徳仁親王生誕の奉祝事業の一環として作庭しました。この年に「賀茂曲水宴」も復活しました。水は沢田川から引き、後に御手洗川、ならの小川に合流します。

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賀茂曲水宴は毎年4月の第2日曜日に行われますが、今年(令和3年)は新型コロナの感染防止のため中止となりました。ならの小川を少し下ったところから参道の方。

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空が晴れてきたようです。

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コメント

広大な上賀茂神社がこんなに積もるのは、珍しいことですよね。
ならの小川も、冷たそうです。
赤い実は、万両の終わりかけか、南天かだと思いますが、
雫から寒さが伝わってきます。

投稿: munixyu | 2021年2月19日 (金) 17:57

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