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2021年2月 6日 (土)

雪の京都 二尊院

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

現在外出自粛中で、過去に大雪が降った日の風景をお届けしています。

昨日の記事の落柿舎を出て二尊院を訪れました。「二尊院」は、正式には小倉山二尊教院華台寺(けだいじ)という天台宗の寺院です。二尊院の名は、本尊の「釈迦如来」と「阿弥陀如来」の二つの如来像に由来します。

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山門から真っすぐ伸びる参道は「紅葉の馬場」と呼ばれていますが、この日は雪に覆われていました。

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二尊院の創建は平安時代初期に遡り、承和年間(834-848)に嵯峨天皇の勅願により、円仁(慈覚大師)が「華台寺(けだいじ)」を建立したのが始まりです。

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鎌倉時代に法然の弟子・湛空が再興し、土御門天皇、後嵯峨天皇にも戒を授け、公家の二条家、鷹司家、三条家の菩提寺にもなりました。(この頃は青空も見えていました。)

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さらに、後深草、亀山、後宇多、伏見天皇らの帰依も受けて、鎌倉時代には隆盛を極めました。この頃から、天台、真言、律、浄土宗の4宗兼学の寺院になりました。(紅葉の馬場から左に曲がります。)

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「嘉禄の法難」(1227年)では、法然の死後も専修念仏が広がり続けるのを恐れた比叡山衆徒による法然御廟破却を避け、門弟により法然の遺骸が二尊院に運び込まれました。唐門(勅使門)

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南北朝時代(1333-1392)に焼失、足利義教によって再建されました。室町時代の応仁・文明の乱(1467-1477)でも焼失して、その後荒廃しました。(本堂は改修工事が終わって、真新しい外観になっています。

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戦国時代の永正年間(1504-1521)、僧・広明恵教が三条西実隆父子の協力により二尊院を再興し、本堂や唐門が再建されました。(本堂横の拝観受付から中庭に来ました。)

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茶室「御園(みその)亭」 江戸時代の後水尾天皇の第5皇女・賀子(がし)内親王の「御化粧の間」を二条家に移築、その後の1697年にこの地に再移築しました。狩野永徳筆の腰張りがあります。

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本堂の裏山は小倉山で、廊下に2首の和歌が掲げられていました。貞信「小倉山 峰のもみじ葉 心あらば 今一度の 行幸待たなむ」、定家「忍ばれん ものともなしに 小倉山 軒端の松ぞ 馴れて久しき」。 

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山裾に最近造られた「六道六地蔵の庭」があります。「六道」とは、迷いあるものが輪廻するという、6種類の苦しみに満ちた世界のことで、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道を指します。

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六道の世界を輪廻転生しながら彷徨い続ける人々を救済し、極楽浄土へ導いてくれるのが地蔵菩薩です。そして、地蔵菩薩が六道を行脚する姿を、それぞれ六体の尊像で表したのが「六地蔵」です。

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かわいい六地蔵が雪に埋もれていましたが、廊下に写真があって簡単に見分けることができました。「畜生能化大光明地蔵菩薩」

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ところで、昨日京都府は新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言の解除を要請する目安を発表しました。「1日当たりの新規感染者が7日間平均で50人未満」および、  「修羅道能化清浄無垢地蔵菩薩」

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「38床を確保しているすぐに使える重症者用病床の使用率50%未満」の両方を7日間連続で満たすことです。  「地獄道能化大智悲地蔵菩薩」

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現在この目安に近づいていますが、状況は随時お知らせします。(本堂の右手にある「位牌堂」)

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安土・桃山時代から江戸時代にかけて、豊臣、徳川家や角倉了以の寄進が続き、江戸時代末までは御所の仏事を司るなど皇室や公家との密接な関係が続きました。( 本堂の正面に来ました。)

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「竜神遊行の庭」 かつて当寺の和尚の説法により、竜女が昇天したことから名づけられたといわれます。円形の低い垣の内側に白砂、苔、植栽があります。垣は竜の腹を表すとか。

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本堂の外縁を一周しました。

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庭に降りると、また雪が降ってきました。

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「弁財天堂」 かつて境内の東にあった池に鬼女が住みつき、夜な夜な境内を歩いていたといいます。その鬼女が祀られているそうです。

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石段の上には、法然上人廟をはじめ、江戸時代の儒学者・伊藤仁斎や豪商・角倉了以、二条家、鷹司家、三条家、三条西家などの墓があります。この石段は長くて急なので、上るのをあきらめました。

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正面に法然上人廟があり、その左の山道をかなり南にいったところに藤原定家が百人一首を編纂したという小倉山荘(時雨亭)跡があります。常寂光寺にも時雨亭跡がありましたが、両者はかなり近い場所にあります。

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石段横の「鐘楼」は安土・桃山時代から江戸時代にかけての慶長年間(1596-1615)に建てられ、梵鐘は1994年に「しあわせの鐘」として再鋳造されたものです。自由に撞くことができるので楽しみにしていましたが、損傷のため押打禁止と書いてありました。

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「角倉了以」の銅像 安土桃山時代の豪商でこの地の出身。土倉経営(金融業・質屋)を中心に秀吉の朱印船にも加わり莫大 な富を得て、大堰川、高瀬川、富士川、天龍川の開削を行いました。先ほどの墓地に了以をはじめとした角倉家の墓があります。

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右は「小倉あん発祥の地」の石碑。左は橋本清氏の作品「真」で輪は時間の流れを表し、ねじれているのはこの世に完全なものはないことを象徴しているのだそうです。*現在は撤去されているようです。

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嵯峨野にこんなに雪が積もるのは珍しいので、この日は頑張りました。

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山門を出て次の目的地に向かいます。

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コメント

こうしてみると、
雪は適度に降って欲しいですよね。
大雪になってしまうと、景観に怖みが出てきてしまいます。
緊急事態宣言の解除要請の目安。
まだまだ時間が掛かりそうですね。

投稿: munixyu | 2021年2月 6日 (土) 12:55

★munixyuさん こんばんは♪
大雪が降ると、つい写真を撮りに出かけてしまいます。これも、めったに雪が積もらないからです。

投稿: りせ | 2021年2月12日 (金) 00:32

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