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2021年2月 7日 (日)

雪の京都 大徳寺

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全て拡大します。

現在外出を自粛して、過去に大雪が降った日の冬景色をお届けしています。先日、上高野の蓮華寺を訪れた後、大徳寺にやってきました。下の「総門」は境内への入口です。

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右が勅使門、この日は大晦日の法要があるのか、お坊さんたちがやってきました。

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「勅使門」(重文)前後唐破風、左右切妻、屋根桧皮葺の四脚門で、後水尾天皇より御所の門を下賜され、寛永17年(1640年)に移築されたものです。正面からは全景が写真に納まりません。

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総門からの参道の突き当りにある「興臨院」、正面の大きな雪だるまが工事中の挨拶をしているようでした。

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「大徳寺」は山号を龍宝山という臨済宗大徳寺派の大本山です。鎌倉末期の正和4年(1315)大燈国師宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が開創し、朝廷の深い信仰をうけました。

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「三門」(重文)二層の山門で連歌師・宗長の寄進で享禄2年(1529)にまず下層のみが竣工し、天正17年(1589)千利休が上層を増築して金毛閣と称しました。

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上層に利休の木像が安置されたことが、門をくぐる者は利休の下を通ることになるとして、豊臣秀吉の怒りを買って利休自決の原因となったといわれています。

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勅使門、三門、仏殿、法堂、方丈がほぼ一直線に並び、これら中心伽藍の北・南・西に20ヶ寺以上の塔頭寺院が並びます。

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室町時代には、幕府の保護を辞退して在野の立場を貫きました。応仁の乱で建物は焼失しましたが、四十八世住持一休宗純が堺の商人の保護をうけて復興しました。三門につづき仏殿。

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ついで豊臣秀吉や諸大名も建物や寺領を寄付し塔頭も創建され、江戸時代初期に現在の建物はほとんど整えられ寺運は大いに栄えました。「仏殿」は応仁の乱で消失しました。

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その後、一休和尚等によって再建され、さらに寛文5年(1665)那波常有によって改めて建造されました。雲龍図がありますが、かなり傷んでいるようです。

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仏殿の北に「法堂」があります(右の木に隠れています)。

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仏殿から渡り廊下が法堂まで続いています。 「法堂」(重文)正中2年(1325)檀越・宗印禅者が修造、応仁の乱で焼失。一休和尚が仏殿を再建した後は仏殿と兼用でした。

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寛永13年(1636)開山国師三百年遠諱に当たり、江月和尚の参徒・小田原城主稲葉正勝、正則父子により現在地に再建されました。振り返って左が法堂、子供たちが雪だるまを作ってるのかな?

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境内の北にある「臨済宗大徳寺派 宗務本所」ここが本坊の入口です。本坊を拝観すると、方丈や方丈庭園、唐門などがあります(この日は入っていません)。

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唐門(国宝)は聚楽第の遺構と伝えられ、豪華な彫刻に飾られた桃山時代の代表的建物。方丈は禅宗方丈建築の典型で、室内は狩野探幽の襖絵(重文)で飾られています。(本坊前から西へ行きます。)

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方丈庭園も江戸初期の枯山水庭園として有名です。その他、大徳寺は書画、古文書など寺宝も多く所蔵し、諸塔頭とともに禅宗文化の宝庫となっています。(この道の先にもいくつかの塔頭があります。)

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「龍翔寺」大徳寺本派専門道場でもあります。

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この後、通年公開している4塔頭のうち、撮影可能な龍源院、瑞峯院、高桐院を訪れました。

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コメント

丁度いい大雪な感じですね。
楽しめる大雪は、これぐらいなのかもしれません。
いい雪景色。でもかなり寒そうですね。

投稿: munixyu | 2021年2月 7日 (日) 14:40

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