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2021年2月20日 (土)

雪の京都 滝口寺から清凉寺西門へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

外出自粛を続けて、過去に大雪が降った日の風景をお届けしています。先日の記事の祇王寺の脇門を出ると、滝口寺の山門への石段があります。「滝口寺」は、山号を小倉山という浄土宗の寺院です。

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平安時代末に法然上人の門弟・良鎮が往生院を創建して、広い寺域に数多くの坊が建ち並んでいました。滝口寺は往生院の支院だった三宝寺の旧跡です。

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三宝寺は滝口と横笛の悲恋の舞台となりました。以下では簡単に。

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平家全盛の頃、平清盛が花見の宴を催し、重盛の妹・建礼門院に仕えていた横笛が舞を披露しました。それを見た重盛の部下の斎藤時頼はその美しさに横笛に一目惚れしてしまいました。(本堂)

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ところが、時頼の父は身分違いとしてこの恋愛を許さず、傷心した時頼は横笛への未練を断ち切るために三宝寺に入り仏道修行に務めました。時頼は宮中警護に当たる滝口武者だったので「滝口入道」と名乗り、横笛には告げませんでした。

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時頼の出家を知った横笛は、あちこちの寺を尋ね歩き、ようやく嵯峨の地で時頼の念誦の声を耳にします。しかしながら、時頼は「修行の妨げなり」と、会うのを拒み横笛を帰してしまいました。

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横笛は帰る途中に指を斬り、その血で石に思いを書き記したといいます。「山深み 思い入りぬる 柴の戸の  まことの道に 我を導け」 (先ほどの石段の途中に、その石があります。左はその石が歌碑であることを示す石碑です。)

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滝口入道は、これからも横笛に尋ねてこられては修行の妨げと、女人禁制の高野山静浄院へ移ってしまいます。それを知った横笛は、悲しみのあまり病に伏せ亡くなってしまいました。本堂に横笛と滝口入道の座像が安置されています。

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ちょっと珍しい張り紙がありました。本堂を出て、横の庭を回って山門の方に下ります。

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「小松堂」 時頼の主君・平重盛を祀ります。重盛は六波羅小松第に居を構えていたことから小松殿あるいは小松内大臣と呼ばれていました。

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明治政府の神仏分離令(1868年)後の廃仏毀釈により、三宝寺は祇王寺とともに廃寺になりました。(帰りの道は竹林の横を通ります。)

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昭和初期(1926-1989)に、三宝寺を再興するため小堂が建てられました。寺名は、高山樗牛の小説『滝口入道』にちなんで、国文学者・佐々木信綱によって滝口寺と名付けられました。

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この寺には新田義貞と勾当内侍(こうとうのないし)のもう一つの悲話があります。新田義貞は、鎌倉幕府を倒し後醍醐天皇による建武新政樹立の立役者の一人となりました。恩賞として公家の女性・勾当内侍を与えられました。

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新田義貞は官軍総大将に任命されて、尊氏に対抗して各地を転戦したものの、箱根や湊川での合戦で敗北、最期は越前藤島で戦死しました。(拝観受付の裏に来ました。)

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勾当内侍は、三条河原で晒し首となっている義貞の首を密かに持ち帰り、この地に葬りました。そして庵を結んで出家、義貞の菩提を弔って余生を過ごしたといいます。(義貞の首塚と、その前に新田家が寄進した灯籠が並んでいます。)

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『太平記』では新田義貞は勾当内侍との別れを惜しんで出兵する時期を逃し、彼女は新田義貞が滅亡した遠因を作ったとしています。そのためか、勾当内侍の供養塔はすこし離れた場所にひっそりと建っています。

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祇王寺・滝口寺への脇道の途中に「檀林寺」があります。嵯峨天皇の后・橘嘉智子(檀林皇后)が建立し、平安時代に栄えましたが廃絶、昭和になって再建されました。悪天候のため拝観中止でした。

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ところで、大阪府は昨日の対策本部会議で、3月7日の期限を待たず緊急事態宣言の解除要請をすることを決定しました。(この日は青空が見えたり雪が激しく降ったりの不安定な天気でした。)

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大阪府の吉村知事は、足並みをそろえるため来週に兵庫県・京都府と協議をしたいとしています。まだ不安な要素もありますが、随時情報をお知らせします。(また雪が降ってきました。)

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「茶房 さがの」 この近くで食事や喫茶ができる貴重な場所です。前の道は清凉寺から化野念仏寺を経て愛宕神社へと続く愛宕街道で、ここから清凉寺の方に向かいます。

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「慈眼堂(中院観音)」 このあたりには愛宕の中院があり、藤原定家が山荘を営んだ場所とされます。本尊の「木造千手観音立像」は定家の念持仏を子の為家がこの地の人々に与え、長く豪農浜松屋善助の屋敷内のお堂に祀られていたものだそうです。

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夕霧太夫の生家と井戸があった場所。夕霧太夫は島原の「扇屋」の太夫で、姿が美しく、芸事に秀でた名妓でしたが、若くして病死しました。毎年11月に清凉寺で「夕霧供養祭」が催され、島原太夫による奉納舞や太夫道中が行われます。

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清凉寺の西門が見えてきました。

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コメント

緊急事態宣言の解除は、
本当に難しいところですよね。
解除しないわけには、いかないし、
正解が無いので、どのタイミングで解除しても
一定の批判はあるわけで、
こういう判断は、悩ましいと思います。

投稿: munixyu | 2021年2月20日 (土) 15:07

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