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2020年11月21日 (土)

永観堂 紅葉のお堂をめぐる

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

現在、京都市内の紅葉は見頃となっています。永観堂を訪れたのはまだそれほど混雑していない11月18日です。

「永観堂」は、正式名称を禅林寺という浄土宗西山禅林寺派の総本山です。下の見取り図で赤線が拝観順路で、色がついた建物を巡り阿弥陀堂まで行きます(多宝塔は後で登ります)。

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平安時代(853年)に空海の弟子・真紹(しんじょう)が藤原関雄(せきお)の東山山荘を譲り受け、尊像を安置して真言宗の道場としたのが永観堂の始まりです。中門の前に拝観の注意が書かれています。

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平安時代の承暦年間(1077-81)に第7世として永観(ようかん)が入寺し、浄土念仏道場としました。鎌倉時代中期の1253年、浄土宗西山派開祖・證空(しょうくう)の弟子・浄音が入寺して17世となり、浄土宗西山禅林寺派の本山となり、現在に至ります。

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大玄関を入ると正面に庭があります。この庭の周囲を、左の古方丈、正面右の瑞紫殿、右の釈迦堂(方丈)の順に回ります。建物の内部は撮影できません。

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古方丈は寛文6年(1666)に建立され書院として使用されました。狩野元信や原在明(ざいめい)の襖絵があります。孔雀の間の左右の欄間にはそれぞれ5羽の雀が描かれたといわれますが、右の欄間の雀が1羽足りません。(古方丈から)

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雀があまりに見事に描かれていたので、1羽が飛び去ってしまったといわれています(抜け雀)。

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応仁の乱で永観堂も伽藍の大半が焼失してしまいました。ところが、かつては伝法堂と呼ばれた瑞紫殿に安置されていた阿弥陀如来坐像だけは右手が焦げただけで、焼け残ったそうです。下は瑞紫殿の前から、

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寺伝によると、この像は弘法大師が火除けの願を掛けて彫刻したとされ、今でも火除けの信仰を集めています(火除けの阿弥陀如来)。下は釈迦堂からみた古方丈。

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方丈は本堂に次いで古いとされる建物で、釈迦三尊像を安置したところから釈迦堂とも呼ばれます。中央の勅使門は江戸時代後期の1830年に建立され、四脚の唐門、京都府指定文化財。ここは釈迦堂の前(西)庭になります。

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ところで、永観堂の名の由来となった第7世・永観(1033-1111)は、禅林寺境内に「薬王院」という施療院を建て、窮乏の人達の救済活動を行いました。

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永観は山内に梅林を育てて「悲田梅(ひでんばい)」と名づけ、窮乏の人達の薬食の一助にと果実を施しました。釈迦堂の隅にその名残の「悲田の梅」があります。境内で最も重要な木だと思われますが、気付く人はあまりいません。

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また、病人の浴室として、「温室(うんしつ)」を設け、薬王院に阿弥陀像を安置して末期の人々の最期を見送りました。釈迦堂の南庭、苔地に池や枯山水もあり、こだわりのない自然な雰囲気です。

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永観は、東大寺に学び幼少より秀才と認められ、三論宗の学匠として名声を得て将来を嘱望されましたが、禅林寺に隠遁する道を選びました。

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右は「千佛洞(せんぶつどう)」。もともと千佛洞とは敦煌のように岩をくりぬいて造った石窟寺院群を表すのだそうですが、こちらは丈夫な壁でできた宝蔵です。

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永観は、18歳から日課として一万遍の念仏を称え、後には六万遍もの念仏を称えたとされ、自ら「念仏宗永観」と名のったそうです。御影堂に向かう渡り廊下から多宝塔に登る石段が見えます。

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永観は一時衰微していた寺を興隆させ中興開山と呼ばれました。その遺徳をしのび禅林寺は永観堂(ようかんどう)と称されましたが、いつしか「えいかんどう」とよばれるようになりました。

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御影堂の外縁をまわる途中で多宝塔が見える場所があります。混雑して危険なので、11月19日から多宝塔へは上れなくなったようです。

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「御影堂(大殿)」は近代(1912年)に建立されたものです。宗祖・法然と唐代浄土宗大成者の善導大師立像を祀っています。

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御影堂の南の外縁から、紅葉の間から一段高い場所にある阿弥陀堂が見えます。

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御影堂の外縁を一周して東(山側)に行くと、渡り廊下が三差路になっています。

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三差路の中央に水琴窟があり、ここから左右に廊下が続きます。

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左の「臥龍廊」は室町時代の1504年に造られたらせん階段でかなり急です。ここを上るとお堂の中で一番高いところにある開山堂に行けるのですが、危険とのことで通行できません。

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三差路から右の廊下は「位牌堂」の前を通り阿弥陀に向かいます。位牌堂には開山以来の住持や高僧の位牌を祀っています。下は阿弥陀堂の北側、ここからお堂に入ります。

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「阿弥陀堂」は江戸時代初めの1607年に豊臣秀頼が大坂の四天王寺の曼荼羅堂を移築したもので、京都府指定文化財。本尊の「阿弥陀如来立像」(重文)が祀られています。

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「見返り阿弥陀」とも呼ばれ、鎌倉時代初期の作といわれています。脇壇には、十一面観音菩薩像、地蔵菩薩像、永観律師像を安置しています。(上はポスターの写真)

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ここからお堂を出て庭に向かいます。

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コメント

コロナ禍という異常な生活の中で見る、
通常の世界の紅葉には、本当に癒されますよね。
柔らかい感じの寺の紅葉は、やっぱりいいものです。
「臥龍廊」
確かにこれは危険でしょうね。
綺麗に磨かれていますが、
掃除も大変なことと思います。

投稿: munixyu | 2020年11月21日 (土) 15:03

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