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2020年11月30日 (月)

東福寺・即宗院 西郷隆盛と明治維新

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

東福寺塔頭・即宗院の建物を出て、裏山の斜面にある西郷隆盛と明治維新ゆかりの場所を訪れました。昨日の記事で見た室町庭園の横を通ります。

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昨日の記事のように、即宗院は薩摩藩主島津氏久が島津家の菩提のため、東福寺第五十四世住持、剛中玄柔和尚を開山として創建されました。「東征戦亡の碑」の看板が道しるべで、即宗院の塀の外を回り込みます。

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剛中玄柔和尚は薩摩藩主の猶子(養子)で、即宗院は薩摩藩の畿内菩提所として七十石が施入されるほどの関係にありました。

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明治維新の10年前、西郷隆盛と月照上人(清水成就院住職の勤皇僧 )が境内奥地の茶亭「採薪亭」に隠れて討幕の合議を行いました。(手水舎の奥は即宗院の墓地で、順路は左に曲がります。)

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西郷隆盛は幕軍の捕縛を逃れながら江戸幕府転覆の策を練り、ここから密令を発して諸藩と連携のもとに明治維新をけん引しました。

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採薪亭は、寛政8年(1796)当院第13世龍河和尚が、閑居のため自然居士(1200年代の観阿弥作能楽のモデル)を偲び建てた草庵です。現存せず、採薪亭跡の看板があります。

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方三間の二階建、階上には「雲居」の額を掲げ、階下を「採薪亭」と名付けてもっぱら茶室として使用されました。このあたりには遺物と思われるものが点在しています。

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狐狸が闊歩する東山三十六峰のひとつ「慧日山」の裾野にあり、新撰組や幕府の追っ手を逃れて謀議するには格好の隠れ処だったといわれています。獣道も多く、立ち入らないように貼り紙があります。

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途の脇に羅漢像や石仏が並んでいます。このあたりは、即宗院の樹木葬「自然苑(じねんえん)」でもあります。

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即宗院は、京都市内の寺院樹木葬の先駆でもあり、15000㎡もある広大な敷地の中に、自然と一体となって自然苑があります。

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家族像や価値観の変化から、お墓の継承者がおらず無縁への不安を抱えた方や、一人暮らしの方や子供に負担をかけたくないと考える現代人にも安心で、優しいお墓のカタチともいえます。

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すこし急な石段があります。

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途中の石碑には、葬られておられる方々のお名前があります。

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石碑から最後の石段が続きます。西郷隆盛の話に戻り、慶応4年(1868)の鳥羽伏見の戦のときです。

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当地に薩摩軍の屯営を構え、裏山山頂に砲列を敷いて、洛中に向かって打ち込みました。砲弾は届きませんが、砲声が洛中に響き渡り、幕軍が恐れをなしたといわれています。

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西郷隆盛は新政府軍を率いて勝ち進んで旧幕府軍を東に追い詰め、新政府軍は函館戦争で勝利して戊辰戦争が集結しました。

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明治維新では新政府軍の犠牲も多く、倒幕後に西郷隆盛は戦死した薩摩藩士の霊を供養するため即宗院に半年滞在して斎戒沐浴、524霊の揮毫をおこないました(右の石碑)。

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碑文を書きしたため、明治2年に「東征戦亡の碑」を建立しました。 また、「生麦事件」の奈良原喜左衛門、幕末の「人切り新兵衛」こと田中新兵衛(雄平)の墓碑もあります。

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ここから、東福寺の境内に戻ります。

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閉門時間が迫っているので少し急ぎます。実は最初に来るときに別の二つの塔頭を訪れています(記事は別の機会に)。

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来たときには気付かなかった石像もあります。

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薩摩から持ち込まれた石の仁王像がある即宗院の山門を出ます。右に龍吟庵があります。

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偃月橋を渡ります。東福寺境内を東西にはしる渓谷・洗玉澗の楓はまだ紅葉していません(11月14日)。先週末の情報では、京都のモミジも次々と色褪せ落葉し、嵐山と東福寺だけが見頃のままでした。

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明日の記事は先週末に訪れた嵐山の予定です。本坊の裏手を回り込むと、東福寺境内です。

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コメント

戊辰戦争は、
外国から入ってきた新しい武器や大砲で、
戦い方が大きく変わった戦争でしたよね。
信長時代の鉄砲、西郷隆盛時代の大砲は、
歴史に大きな影響を与えたと思います。

投稿: munixyu | 2020年11月30日 (月) 14:22

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