東福寺・即宗院 薩摩藩と室町庭園
←目次 2006年1月27日から毎日更新しています。
先日東福寺塔頭の龍吟庵を訪れたとき、その隣にある即宗院も特別公開していました。
「即宗院」 山号を臥雲山といい、東福寺城の守護大名だった六代目島津氏久の菩提のため、南北朝元中4年(1387)、東福寺第54世剛中玄柔和尚を開基して建立したのが始まりとされています。
院号は氏久の法名「齢岳玄久即宗院」に由来します。山門は、江戸時代初期の慶長18年(1613)の遺構で、塔頭としては珍しく仁王像が安置されています。
仁王は伽藍守護の神で、寺門あるいは須弥壇の両脇に安置された一対の半裸形の金剛力士です。(山門の内側から見られ、2体を一つの写真に並べています。)
東福寺にはこの塔頭だけに安置されている由来は不明だそうです。石造りの仁王像は薩摩(鹿児島)に多く見られることから、薩摩からの伝来であると考えられています。
永禄12年(1569)に焼失しましたが、慶長18年(1613)島津家久によって再興されました。(向うは庭園に至る中門です。)
以来、薩摩藩の畿内菩提所とされ、藩より七十石が施入されるほど深い関係が結ばれてきました。(順路は中門をくぐらず、庫裏の方に向かいます。)
先ほどの山門は再興時のもので、薩摩の石造りの仁王像が安置されているのもうなづけます。
開山の剛中玄柔和尚(1318−1388)は薩摩藩主の猶子(養子)として豊後国(現・大分県)に生まれました。東福寺第3世大明国師(南禅寺の開山)の法嗣玉山玄提に師事しました。
その法を継承したのちは大慈寺(鹿児島県)・南禅寺・東福寺に歴住。その間中国の元に渡り、6年間仏教と儒学を学び、朱子学の権威となりました。最初に本堂に上がり、その前庭。
この地は平安時代後期、関白藤原忠通が東御堂を建立した場所です。忠道の子で公家の九條家の始祖である兼実は、建久7年(1196)に関白を辞して後、御所を山荘「月輪殿」としました。
兼実自身が別称「月輪殿」と呼ばれたことにちなみます。この庭園は、800年の歴史を有する東御堂の跡と言われています。本堂には、室町院派の仏師が作成した宝冠釈迦牟尼像が祀られています。
『法然上人絵伝』(国宝・知恩院蔵)にも当院が描かれ、左に“頭光”を冠した法然上人が橋上に描かれ、上人が藤原兼実に法話を行った真正な聖地であることが窺われます。右端に滝があります。
寛政11年(1799)刊行のガイドブック『都林泉名所図会』にも描かれ、江戸時代にも名庭園として知られていたことが分かります。これら2枚の写真は即宗院のパンフレットからの転載です。
室内の所々に花が生けられています。
本堂(右手)から廊下を渡り書院に来ました。
書院には庭園の鑑賞用の椅子が並んでいて(TOPの写真も)、縁側には近づけないようになっています。
竹で結界を作っているのですが、意味が分からない参拝者もいるようです。ときどき、通路に縄でくくった石(結界石)が置いてあるのも同様で、立入禁止の印です。
奥に池があります。心字池だそうですが、遠くて形までは分かりません。庭園は池泉回遊式になっていますが、今まで庭の拝観をしている記憶がありません。
この庭は「紅葉と苔」の美しさには定評があり、四季折々の花木も美しく、冬には“値千金”の「千両」の実が、凛とした厳しい寒さの中に色を添えます。
縁側には近づけないので苦労して撮った書院前庭のパノラマ写真です。
東の窓の上に「室町時代 月輪殿 滝組跡」という紙が貼ってあります。
室町時代後期の庭園としては珍しい公家寝殿造系で、鈎の手(「心」)になった池の地割り、瀧の位置(下が滝組の跡)など、その往時が偲ばれるそうです。
薩摩から将軍家に嫁ぐ篤姫が立ち寄り、薩摩藩ゆかりの場所にお別れをつげた場所でもあります。島津家ゆかりの火鉢や重箱、15代将軍・徳川慶喜や西郷隆盛筆の掛け軸も公開されています。*下の掛け軸とは違います。
幕末に西郷隆盛も滞在、当院が明治維新に果たした役割は余り知られていません。この後、裏山にあるその旧跡を訪れました。
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コメント
ガイドブックって結構昔からあったのですね。
旅行する人も昔からある程度いたのでしょうね。
後半の竹の結界は、わかりにくいかもしれません。
景観が少し悪くなっても、立入禁止の札とかは
しっかりあった方がよさそうな気がします。
投稿: munixyu | 2020年11月29日 (日) 18:20
★munixyuさん こんばんは♪
京都の常識は、誰でも知っていると思っているのは京都人の欠点だと思います。外国人観光客のマナーが悪いと非難する方がいますが、習慣が違ったり京都のマナーを知らないことが多いです。
投稿: りせ | 2020年12月 3日 (木) 01:45