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2020年11月 4日 (水)

大原陵から帰路へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日大原の勝林院を訪れた後、二人の天皇陵を参拝してから帰路に着きました。最近では毎年のように参拝しているのは、この天皇陵ができた経緯を知ったからです。

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律川の橋の手前に勝林院の支院「実光院」がありますが、既に拝観時刻を過ぎていました。その向かいに「後鳥羽天皇大原陵・順徳天皇大原陵」があります。

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後鳥羽天皇(1180- 1239)は高倉天皇の第4皇子で、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての天皇です。文武両道で、新古今和歌集の編纂でも知られます。

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後鳥羽上皇は、鎌倉時代の承久3年(1221)、鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げました。しかし、この承久の乱で幕府の大軍に朝廷側が敗北して、上皇は隠岐に配流され、延応元年(1239)に同地で亡くなりました。

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隠岐の山中で火葬にされた後、遺骨は遺詔により侍臣が京都に遷し大原に埋葬されました。(手水鉢があります。)

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翌年(1240)後鳥羽天皇の冥福を祈るため、上皇皇子・尊快入道親王と母・修明門院は、摂津の水無瀬離宮の建物をこの地に法華堂として移しました。

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その翌年(1241)法華堂が落慶し納骨されたといわれています。(現在は大原陵の隣に法華堂があり、入口は別になっています。)

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法華堂は当初大原陵の敷地にあり、江戸時代に焼失して荒廃、後に再建されました。明治の神仏分離令によって大原陵の隣の現在地に遷されました。

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一方、順徳天皇(1197-1242)は後鳥羽天皇の第3皇子で、父の計画に協力して佐渡島に流され、同地で亡くなりました。翌日に火葬され、翌年遺骨は都に持ち帰られ、後鳥羽上皇を祀った大原法華堂のそばに安置されたといわれています。(もう一度大原陵)

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かっては背後の高台に後鳥羽上皇の法華堂がありましたが、現在は右にある十三重塔が陵墓とされています。順徳天皇の陵墓は法華堂が荒廃した際に所在が一時不明となりましたが、元禄時代の探索によって左にある円丘と確認されました。

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後鳥羽・順徳天皇親子は都に戻り再会することが叶わず、没後にようやくこの大原陵で再会しました。洛中から遠くはなれた地ですが、現在でも宮内庁職員が常駐して墓を守っています。

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この日はお昼頃に出かけたので、もう寺院の拝観時間は過ぎておりここからバス停まで引き返すことにしました。先日紹介した、三千院の高級ホテルの計画地は、大原陵の向こうだと思われます。

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1235年に完成した『新勅撰和歌集』は別名を宇治川集といわれています。「宇治川」はその序詞となっている「もののふの八十氏河」から「武士(もののふ)」のことを意味し、「実光院」

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武家の歌を多く撰んだ一方、鎌倉幕府に遠慮して後鳥羽院や順徳院らの歌を排除した撰者の藤原定家に対する非難の意味を込めたものとされています。

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「律川」にかかる小橋を渡って振り返ります。理由は分かりませんが、こちら側(南)には橋の名が「末明橋」向う側(北)には「茅穂橋」と書かれています。

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一方、当初は定家の私的な歌集であった小倉百人一首には、後鳥羽院「人もをし人も恨めしあぢきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は」、順徳院「ももしきや古き軒端の しのぶにもなほ余りある昔なりけり」 南端にある芹生。

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百人一首が一般に知られるようになったのは室町時代後期で、江戸時代には歌がるたが作られ庶民にも親しまれるようになりました。参道の石段下に「後鳥羽天皇 順徳天皇 御陵参道」の石標があります。

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参道の坂道の一番上にあるアクセサリーのお店は既に片付けていました。新しい猫の「リラちゃん」が登場したので、これから大原を訪れる楽しみが増えました。

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この参道は「大原女の小径」ともいわれ、ところどころに異なる姿の大原女の石像が置かれています。

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参道のお店もほとんど閉まっています。大原に限らず、新京極や寺町通も含めて京都市内の商店街は夕方になるとほとんど店を閉めてしまいます。

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呂川沿いにはいつも花が咲いています。昨日の情報では、大原の紅葉は「色づき始め」となっていて、この日の写真よりも彩りが増していると思われます。勝林院のご住職のTwitterでは11月に入ると参拝客が増えてきたそうです。

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見晴らし台の前にある志ば久の「しそ畑」、刈入れの後に植えられたコスモスの葉が夕陽に輝いていました。

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バス停前の「喰菜(しょくさい) やましょう」 小熊のようなワンちゃんがお散歩を待っていました。

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コメント

やっぱり夕暮になってくると、
一気に晩秋から初冬の雰囲気が出てきますね。
あとは、紅葉の色付きの深まりを待つのみですね。

投稿: munixyu | 2020年11月 4日 (水) 13:27

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