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2020年11月 2日 (月)

勝林院 証拠の阿弥陀と大原問答

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

三千院を出て、門前通の突き当りにある勝林院に向かいました。

「森善」 三千院の御殿門の前にある京土産のお店です。おくにある「おのみやす」は麺類、丼物、定食のお店で、120名までの団体も可能、天ぷらうどん(そば)定食が人気だとか。

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「京美茶屋」 和食のお食事処で、店内で作っている湯葉の料理が名物です。ゆばづくしコース、麺類に湯葉を組み合わせた定食も多数あり、豆乳チーズケーキや豆乳ゆばプリンなどオリジナル・スイーツも好評とか。

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「三千院の里」 見晴らしがよい和食のお店でしたが、数年前から休業しています(廃業したという情報はありません)。店の前に「鉈捨薮跡」の看板。勝林院での「大原問答」に臨む法然一行に、蓮生(武将・熊谷直実の出家後の名)が従っていました。

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蓮生は、問答に集まる聴衆に法然上人を襲撃するような過激な僧徒がいるかも知れないと考え、帯に鉈(短刀)を忍ばせていました。ところが法然に咎められて鉈をこの藪に捨てさせられたといわれています。

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「律川」にかかる小橋を渡ります。理由は分かりませんが、こちら側には「末明橋」、向う側には「茅穂橋」と書かれています。

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法然が休んだとされる「法然腰掛石」。真偽は分かりませんが、今から宗論に向かう法然一行の緊張感が伝わってきます。

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「勝林院」は山号を魚山(ぎょさん)という、天台宗延暦寺の別院です。

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勝林院は平安時代初期の承和2年(835)、慈覚大師円仁によって開かれ、来迎院とともに古くから天台声明の根本道場でした。鐘楼は鎌倉時代の建造、江戸初期に春日局による再建、梵鐘は無銘ですが藤原期のもので重要文化財。

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平安時代中期の長和2年(1013)寂源によって再興され、勝林院と称しました。寂源は左大臣・源雅信の子で右少将の時に出家したので、大原入道少将とも呼ばれます。この頃は藤原氏が権勢を誇った時代で、藤原道長、頼通らの信仰を集めました。

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平安時代末の1156年、大原に梶井門跡の政所(後の三千院)が設置され、来迎院や勝林院などを管理しました。本堂は江戸時代(1736年)に焼失、1778年に徳川家の寄進により後桜町天皇の常御所を移して再建、市の登録有形文化財です。

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江戸時代には理覚坊、実光坊、法泉坊、普暁坊の4坊を有しました。明治以降、勝林院は4坊を含む総称から本堂だけの呼称となり、かっての4坊の内、宝泉院と実光院だけが支院として残りました。

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常御所の建物だけあって、本堂の装飾は見事です。欄間には梅の花、鶴、雉、松などが立体的に彫られています。上にはめでたい鳥の山鵲(さんじゃく)とともに翁がいますが、誰だか分かりません(浦島太郎という方もいます)。

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柱の上には、獏の木鼻、

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龍が彫刻された蟇股(かえるまた)

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こちらに延びているのは菊と牡丹が彫刻された手挟(たばさみ)です。

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本堂には本尊の阿弥陀如来、左に不動明王立、右に毘沙門天が祀られています。阿弥陀如来の手元から五色の綱(善の綱)が延びていて、参拝者が弥陀如来に間接的に触れることができます。

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旧本尊は平安時代の長保・寛弘年間(999-1012)に康尚の作といわれますが、江戸時代に本堂焼失とともに焼損しました。現本尊は、翌年(1737)仏師・香雲により造立(補修)されたといわれます。

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平安時代中期の1020年寂源が勝林寺で法華八講という法要を行いました。その際、天台僧・覚超と偏朮(偏求、へんく)が議論となりました。覚超が主張するとき本尊は隠れ、偏朮のときには姿を現して支持し、以後「証拠の阿弥陀」といわれています。

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平安時代後期の1186年、浄土宗の宗祖・法然(1133-1212)を勝林院に招いて宗論「大原問答」が行われ、法然の専修念仏が他派を論破しました。この時も本尊は手から光を放ち証拠を示したとされます。

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本堂を出て、東の斜面に日吉山王社(左)と観音堂(右)があります。

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左端は鎌倉時代の正和5年の銘がある「石造宝篋印塔」(重文)、右は梶井門跡ら歴代の供養塔があり、それぞれに向かって石敷きがあります。

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下からは見えませんが、斜面の途中に綺麗な庭があり、池や小川、橋が造られています。

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休憩所もあり、本堂や西の山並が見渡せます。

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紅葉の頃に休憩所から見る本堂は美しく彩られます。一昨年の台風で被害を受けた檜皮葺の屋根は、とりあえず銅板で応急処置をしているそうです。

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その屋根が西日で虹色に輝いていました。銅板の表面に細かい溝がありタマムシの羽と同様の原理だと思います。詳しいことは分かりませんが「構造色」とよばれるそうです。

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8月22日に放映されたNHKBSの「歴史発掘ミステリー 京都 千年蔵 大原 勝林院」では、全国の専門家とともに“蔵の中身の全部出し1853点の文化財から織田信長から藤原道長までとの知られざるつながりを追っていました。

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勝林院は平安時代に創建された仏教音楽「声明」の聖地だが、今はその面影もない困窮ぶりだ、とちょっと失礼な紹介をしていました。でも、そのために本堂の屋根に虹が見えたともいえます。

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コメント

お店関係は、今が正念場かもしれませんね。
go toキャンペーンで徐々に客足が戻ってきていますし、
ここを乗り越えると、なんとかなるのかもしれません。
踏ん張って欲しいですよね。

投稿: munixyu | 2020年11月 2日 (月) 16:48

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