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2020年10月 1日 (木)

仁和寺 秋の気配を感じる境内

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

仁和寺の御殿の拝観を終えて、境内に散在する諸堂を見てを歩きます。上は中門。

白書院からも見えた「勅使門」大正2年(1913)に京都府技師・亀岡末吉の設計で建造。檜皮葺屋根の四脚唐門で前後を唐破風、左右の屋根を入母屋造としています。

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こちらは東門からの参道、途中に霊宝館があり、国宝の「三十帖冊子」が初めて公開されるとのことで、後で訪れます。

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「中門」(重文)は、二王門と金堂の中間に位置し、切妻造・本瓦葺・柱間三間の八脚門で、側面の妻部には二重虹梁蟇股が飾られています。

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左の脇間に西方天(広目天)、右には東方天(持国天)が門を護っています。中門をくぐって左に御室桜の林があり、桜の開花期間は中門から先が有料となります(今年はどうなるか分かりません)。

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「御室桜」は背の低い遅咲きの桜で、江戸時代の頃から庶民に親しまれ、数多くの詩歌にも詠われています。大正13年に国の名勝に指定されました。春泥「仁和寺や 足もとよりぞ 花の雲」、俗謡「わたしゃお多福 御室の桜 鼻が低ても 人が好く」。

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向かいには絵馬所、おみくじ処、手水舎、休憩所があります。絵馬はいくつかの種類があります。

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「観音堂」(重文)本尊・千手観音菩薩、脇侍・不動明王と降三世明王、周りに二十八部衆が安置され、須弥壇の背後や壁面、柱などに、白衣観音をはじめ仏・高僧などが極彩色で描かれています。

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向かいに「五重塔」があります。寛永21年(1644)に建立され、総高36.18mで東寺の五重塔と同様に、上層から下層にかけて各層の幅にあまり差が見られないのが特徴です。

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五重塔の北東の「九所明神」(重文)伽藍の鎮守社で、社殿は本殿・左殿・右殿の三棟あり、八幡三神を本殿に、東側の左殿には賀茂上下・日吉・武答・稲荷を、西側の右殿には松尾・平野・小日吉・木野嶋の計九座の明神を祀ります。

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九所明神の北の一段高い場所に「経蔵」(重文)寛永~正保年間に建立され、釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩などを安置。中央に八面体の回転式書架(輪蔵)を設け、各面に96箱、総計768の経箱に天海版の「一切経」が収められています。

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経蔵の横、中門の正面に「金堂」(国宝)があり、仁和寺の本尊・阿弥陀三尊を安置しています。慶長年間造営の御所内裏紫宸殿を寛永年間(1624‐43)に移築、現存する最古の紫宸殿で当時の宮殿建築を伝える建築物です。

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堂内に四天王像や梵天像も安置され、壁面には浄土図や観音図などが極彩色で描かれています。堂を囲む蔀戸(しとみど)は両面に格子を組んだ戸で、上下2枚に分れ寝殿造によく見れらます(閉じられています)。

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「鐘楼」(重文) 江戸時代の建立。本来「楼」は二階建ての建物を指し、階上は朱塗で高欄を周囲に廻らせ、下部は袴腰式と呼ばれる袴のような板張りの覆いがされています。この鐘は通常と異なり、周囲を板で覆われていて見ることができません。

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鐘楼の横に「御室水掛不動尊」(重文)への参道があります。この不動尊には伝承があります。昔、堀川の一条戻橋が洪水で流され、その復旧工事のとき橋の下からこの不動尊が見つかり、しばらくその地に安置されていました。

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ところが、心無い者が悪戯するので不動尊が仁和寺に帰りたいと住民にお告げをして、ここにある石の上に遷されました。その後、石の下より泉が湧きだしたといいます。水を掛けて祈願することから、水掛不動とも呼ばれ、近畿三十六不動霊場の第十四番札所です。

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「道真腰掛け石」901年菅原道真が大宰府に左遷されるとき仁和寺を訪れ、自分を抜擢してくれた宇多法皇に無実を訴えようとしました。その時、法皇は御影堂で勤行中だったので、道真はこの石に座って待ちました。法皇は醍醐天皇に会いには行きましたが、道真のことを取り次ぐことはなかったといいます。

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参道の途中の「閼伽(あか)井」仏様にお供えする水(閼伽)を汲む井戸です。右手前の石標の側面に、「あらたまの年の初御仏の御加持のふしに奉る水」と彫ってあります。弘法加持水ともいわれるそうです。

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「御影堂」(重文) 水掛不動の横にあり慶長年間(1596-1615)に造営の内裏 清涼殿の一部を賜り、寛永年間(1624-1643)に再建されたものです。

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約10m四方の小堂に、弘法大師像、宇多法皇像、仁和寺第2世性信親王像を安置しています。蔀戸の金具なども清涼殿のものを利用しているそうです。境内の右奥にも門があり、その外が水掛不動になっています。

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西門右の石標に「御室成就山八十八ヶ所 御山巡り 巡拝約二時間 三粁(㎞)」とあります。文政10年(1827)仁和寺29世門跡済仁法親王の発願により四国八十八ヶ所霊場の砂を仁和寺の裏山に埋め、その上にお堂を建てたのが始まりだそうです。

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「OMURO88」とも呼ばれ、自然災害や経年劣化によって荒れた参拝路を整備する7か年プロジェクトが行われています。「大黒堂」は、江戸時代初期に建立され、本尊・千手観音、脇侍・不動明王と降三世明王、従属・二十八部衆などを安置しています。

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古い消防ポンプが置いてあります。移動させる手段は人力、放水はタンクの上に乗ったボンベの圧力によると思われ、今まで寺社で見た消防ポンプの中では最も進化した機械です。

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「令和阿弥陀堂」 令和改元を慶祝して建立、中には平成の大仏師・松本明慶師が一刀三拝して彫り上げた阿弥陀如来像を祀っています。仁和寺では永代供養(100回忌まで)を受付中で、ここで供養が行われるそうです。

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中門から二王門、日当たりのよい木は少し色づいています。

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コメント

仁和寺は、ほとんど人がいないようですね。
今は、こういうところでのんびり拝観するのが一番いいですよね。
古い消防ポンプ、
人力とはいえこういう消防力は重要ですね。
広いから人力の消防ポンプになったのでしょうね。
デザインがいいので、電動にして最新にして街においておきたいものです。

投稿: munixyu | 2020年10月 1日 (木) 16:06

★munixyuさん こんばんは♪
おそらく、消防ポンプが置いてある寺は財力があったのでしょうね。多くの寺では軒下に赤いバケツが並んでいます。

投稿: りせ | 2020年10月 5日 (月) 23:23

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