« 延暦寺 阿弥陀堂と東塔 | トップページ | 広隆寺 色づき始めた境内 »

2020年10月20日 (火)

発祥の地をめぐる 民間信仰

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

Jnk_5827a
※写真は全てクリックで拡大します。

ウィキペディアによると「民間信仰」とは、教義や教団組織をもたずに地域共同体に機能する庶民信仰のことだそうです。ところがこの後の記述はヨーロッパの民間信仰がほとんどです。最初の一連の写真は伏見稲荷大社の初詣(一昨年)です。

Jnk_5821a

日本については、「日本では自然崇拝と祖先崇拝が核となり、氏神信仰は神道と習合して産土神、鎮守神のような村落神に変質した。」と一行書いてあるだけです。 

Jnk_5841a

コトバンクによるブリタニカ国際大百科事典の解説から補足すると、地域住民の日常生活のなかで伝統的に形成された宗教現象。歴史的にみれば原始時代に発生した自然崇拝と祖先崇拝が核となり、農耕社会のなかで次第に変貌をとげつつ伝承されたものである。

Jnk_5847a

自然崇拝は生産儀礼と関連して信仰されるものが多く、田の神、山の神、水の神に対する信仰はその代表的な例である。その他、民間信仰の対象となるものには、道祖神や観音のような現世利益的な霊験のあるものが多い。

Jnk_5849a

「発祥の地をめぐる 宗教編1,2」では、稲荷信仰(伏見稲荷大社)、天神信仰(北野天満宮、文子天満宮)、御霊信仰(上・下御霊神社)、祇園信仰(八坂神社)、庚申信仰(八坂庚申堂)、貴船信仰(貴船神社)を記事にしてきました。

Jnk_5851a

今日はそれら以外で京都・滋賀が発祥の地である民間信仰を紹介します。下は伏見稲荷大社の内拝殿。

Jnk_5899a

「愛宕神社」は全国に約900社ある愛宕神社の総本社で「愛宕信仰の発祥の地」。創建は大宝年間(701-704)、天応元年(781)に慶俊僧都、和気清麻呂によって中興、愛宕山に愛宕大権現を祀る白雲寺が建立されました。鳥居本の「一の鳥居」

Jatagojinjya01

明治の神仏分離令により白雲寺は廃絶され愛宕神社になりました。祭神は、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、埴山姫神(はにやまひめのみこと)、天熊人命(あめのくまひとのみこと)、稚産霊神(わくむすびのかみ)、豊受姫命(とようけびめのみこと)。

Jatagojinjya03

これらの祭神は愛宕権現ともよばれ、火伏せ・防火に霊験のある神として知られ、「火迺要慎(ひのようじん)」の火伏札は京都の多くの家庭の台所や飲食店の厨房などに貼られています。「社殿」

Jatagojinjya02

「日吉大社」は、滋賀県大津市坂本にある神社で、全国に約3,800社ある日吉・日枝・山王神社の総本社です。崇神天皇7年に日枝の山(比叡山)の山頂から地主神を現在の地に移したのが始まりといわれています。「東本宮楼門」(重文)

Jhiyoshijinjya03

地主神は大山咋神(おおやまくいのかみ)で下の「東本宮」(国宝)に祀られています。

Jhiyoshijinjya04

大津京遷都の翌年である天智天皇7年(668)、大津京鎮護のため大和国大神神社の祭神である大物主神を大己貴神(おおなむちのかみ)として勧請、新たに西本宮を建てて祀りました。「西本宮楼門」(重文)

Jhiyoshijinjya01

大己貴神の別名の大国主神の和魂が大物主神であると日本神話に書かれているため、両神が同じ神とみなされたためです。以降、東本宮・大山咋神よりも、西本宮・大己貴神の方が上位とみなされるようになり「大宮」と呼ばれました。「西本宮」(国宝)

Jhiyoshijinjya02

最澄が延暦寺を開いたとき、天台山国清寺に祀られている山王祠にならい、大山咋神を延暦寺の守護神・山王神として祀ると、天台宗の興隆とともに全国に普及しました。「西本宮拝殿」(重文)

Jhiyoshijinjya05

日本書紀に登場する神(神道の一宗派)ですが、信仰は朝廷から庶民まで広がり、猿を神使とするので庚申信仰とも習合して、安産・子育て・縁結びの神として信仰され、「山王信仰」と呼ばれます。「東本宮拝殿」(左、重文)と摂社「樹下神社拝殿」(右)

Jhiyoshijinjya06

「千本釈迦堂」は、正式名称を大報恩寺、山号を瑞応山(ずいおうざん)という真言宗智山派の寺院です。鎌倉時代前期の1221年、天台宗の義空上人により開創されました。

Ams_3317a

千本釈迦堂の「本堂」は、鎌倉初期に建造されてから数々の戦乱や火災にも生き残り、京都市に現存する最古の建造物として国宝に指定されています。

Ams_3450a

この本堂は、長井飛騨守高次という棟梁が総棟梁になり、配下に数百人の大工を従えて采配を振るいました。ところが、尼崎の信徒から寄進された四天柱の一本を30cmほど短く切り落としてしまいました。

Ams_3407a

高次が思い悩んでいたところ、妻の阿亀(おかめ)の助言によって、残り3本の柱も短く切り揃えて上部に斗(ます)ぐみを施すことによって無事本堂が上棟(むねあ)げしました。上棟げとは建物の柱や梁などの基本構造が完成することです。

Ams_3407b

ところが、高次は総棟梁が妻の助言で大任を果たしたことが知られると、面目が丸潰れになると心配していました。それを知った阿亀は、上棟式の前に自刃してしまいました。(本堂での「おかめ人形展」、いずれの人形も当時の美人の、突き出た額、低い鼻、膨らんだ頬、おちょぼ口をしています。)

Ams_3382a

本堂の前に咲いている「お亀桜」は、桜の種類ではなく阿亀さんにちなんで枝垂桜に名を付けたものです。

Ams_3373a

阿亀さんには、夫婦円満、建築工事の安全、商売繁盛、開運招福、多福招来祈願などの「おかめ信仰」があります。各地の縁日で売られているオカメのお面も、この信仰にもとづく縁起物です。

Ams_3464a

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Ams_3324a 

|

« 延暦寺 阿弥陀堂と東塔 | トップページ | 広隆寺 色づき始めた境内 »

コメント

「火迺要慎」の火伏札。
ご利益がありそうでいいですね。
大阪ではあまり見ないです。
もっと広がって欲しいですよね。

投稿: munixyu | 2020年10月20日 (火) 15:08

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 延暦寺 阿弥陀堂と東塔 | トップページ | 広隆寺 色づき始めた境内 »