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2020年10月30日 (金)

三千院 門前通りから客殿・宸殿へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の記事で三千院参道の石段下まで来て、今日はここから三千院に向かいます。天気が良いので日向と影のコントラストが強く、木が多い場所はうまく撮れません。

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「芹生茶屋」 料理旅館の芹生に付属の茶店です。「そば処」では麺類各種、おでん、とろろが入った定食などのお食事がいただけます。

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「甘味処」は、みたらし、わらび餅、ぜんざい、あんみつ、ところてんなど、お手頃な値段です。

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「心の里 心繋(きずな)」 京土産のお店のようです。豆柴忍者のグッズ、清水焼・京焼のアクセサリー、クレープ八ッ橋などが見えます。以前の「千咲都(ちさと)」が変わったようです。

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「土井しば漬け本舗三千院前店」 しば漬け以外に、浅漬け、木の芽煮、佃煮、しそ製品など、お土産用のセットもあります。、

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こちらも土井しば漬けで、しそ漬大根、はんなり漬?、やまいもわさび風味、 すぐき、里のこぼうなどの札が見えます。

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三千院の「御殿門」 堅牢な城門のような造りと高い石垣は、かっての門跡寺院をしのばせる風格があります。「三千院」は山号を魚山(ぎょざん)という天台宗の寺院ですが、三千院は明治になってからの名称です。

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三千院は、奈良時代の延暦年間(782‐806)に伝教大師最澄が比叡山東塔に築いた円融房(えんにゅうぼう)に始まり、その後慈覚大師円仁に引き継がれました。(拝観受付の前に消毒液の可愛い容器。)

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拝観受付をすませ客殿に上がります。「客殿」は安土桃山時代の天正年間(1573-1592)の建立で、御所の修復の際に豊臣秀吉から提供された紫宸殿の余材が使われたといいます。途中にある「坪庭」

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平安後期以来、三千院は皇子皇族が住持を務める宮門跡となり、寺地は比叡山内から近江坂本、京都市中と移動しました。「玄関」

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客殿の南に広がる庭は「聚碧園」と呼ばれる池泉鑑賞式庭園で、作庭者は不明だそうです。こちらの縁側はいつもは有料のお茶席になっています。三千院は山側が東の斜面の台地に建てられています。

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聚碧園は江戸時代の茶人金森宗和が美しさに感動して自ら手を加えたといわれ、彼が作庭したという説もあります

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この池には音無しの滝の水が律川を経て流れ込んでいます。いつもなら外縁に参拝客が並んで座っているのですが、この日はほとんど見かけませんでした。

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庭の東側の斜面に五重塔を思わせる灯籠があります。この庭は自然の地形を利用していて、池や石組、石造品の配置は、禅宗の庭のような特別な意味はないようです。

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三千院は、移転するつど寺名も円融房から、梨下房、円徳院、梨下門跡、梶井門跡と変わりました。趣のある蹲踞(つくばい)です。

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池の水面が鏡のようでしたが、写った木の葉から水が流れていることが分かります。

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紅葉の頃は庭の木々が美しく彩られます。今は緑の中で野菊が際立っていました。

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客殿の南西から渡り廊下が円融房に続いています。その途中で「三千院でしか聴けない音の体験」として三千院で収録した声明(しょうみょう)の音を使った音楽作品「Shomyo」を聴くことができます。

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現在の「円融房」は収蔵庫と展示施設を兼ねた新しい建物です。渡り廊下から、外は帰路に通る道です。

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石に生えた苔が浮島のようになっています。

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客殿の東側から外縁を通って宸殿に向かいます。聚碧園の東側の斜面に万里の長城のような生垣があります。

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明治維新後、門跡の昌仁法親王は還俗して新たに梨本宮家を起こしました。梶井門跡の仏像や仏具類は大原にあった政所に移され、新たに三千院と称して現在に至ります。政所は大寺院の寺務や雑務を行う場所です。「法洗心」(右)と「清浄水」(左)

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「三千院」は梶井門跡の持仏堂の名称「一念三千院」から取ったもので、「一念三千」は天台宗の根本教理「一念の心に三千の諸法を具(そな)えることを観(かん)ずること」だそうです。

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「宸殿」は三千院の最も重要な法要である「御懴法講(ごせんぼうこう)」の道場として、大正15年(1926)に建てられ、本尊・薬師瑠璃光如来が安置されています。

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「虹の間」から、庭のシャクナゲが大きく成長しています。この部屋は天皇陛下をお迎えする玉座を設え、襖絵は下村観山最晩年の大作です。最近、虹の絵の部分が紫外線で劣化、原画は収蔵庫に保管してデジタル高精細複製が展示されています。

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宸殿の裏の斜面のお堂、おそらく鎮守社だと思われます(寺院では見逃さないようにしています)。もともと、鎮守神は新たに土地を開き建物を建てたときに、その土地に住む神霊(地主神)が禍を起こさないように勧請されたものだそうです。

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中国の伽藍神が起源とされ、仏教の伝来とともに寺院を護る神として境内に鎮守神が祀られました。その後、地主神と混同・習合がおこり、村落を護る神も鎮守と呼ばれるようになったそうです。

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コメント

甘味処というのは、
言葉を見ただけで、メニューを見ただけで、
入りたくなってしまいますよね。
甘味処、食事処。
言葉の力って凄いものです。

投稿: munixyu | 2020年10月30日 (金) 16:41

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