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2020年10月21日 (水)

広隆寺 色づき始めた境内

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は太秦方面に出かけてきました。最初に訪れたのは広隆寺で、上は嵐電の駅前から。「広隆寺」は、山号を蜂岡山という真言宗御室派の寺院で、京都最古の寺です。「楼門」は江戸時代(1702年)の建立。

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日本書紀によれば、飛鳥時代の603年渡来人氏族の秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子から賜った弥勒菩薩像を本尊として蜂岡(はちおか)寺を建立したのが始まりとされます。そして、622年には、堂塔、伽藍が完成しました。

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仁王像は室町時代の作。

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秦氏は秦(中国)からの帰化人で養蚕、機織、酒造、治水などの技術を持ち、最初は深草、後に葛野郡を本拠としました。葛野郡は現在の京都西部の広い範囲を占め、その一部が東の愛宕郡とともに平安京となりました。

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下の「薬師堂」に安置されている木造薬師如来立像(平安時代前期)は、通常の薬師如来像と異なり、吉祥天像のような姿の吉祥薬師像だそうです。

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秦氏は朝廷では重要な実務を担当し、秦河勝は聖徳太子の側近でした。一方で、広隆寺に残る縁起などには、同年(622年)に聖徳太子が亡くなり、その供養のために創建されたとされます。「講堂(赤堂)」(重文)は 

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永万元年(1165)に再建され、後に改造、修理されていますが市内に残る数少ない平安建築の一つです。本尊の阿弥陀如来坐像(国宝)、右に地蔵菩薩坐像(重文)、左に虚空蔵菩薩坐像(重文)を安置しています。

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上の二つの記録には創建時期に約20年の差がありますが、いずれにしても広隆寺は秦氏の氏寺として創建され、聖徳太子の菩提を弔ってきたことは確かなようです。「能楽堂」

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平安遷都(794)に際しても秦氏は、秦都岐麻呂(はたのときまろ)が造都の技術者となり、遷都の財政的な協力も行ったとみられています。「地蔵堂」 

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木造地蔵菩薩坐像を安置、平安時代後期の作で「腹帯地蔵」と呼ばれています。綺麗に彩色され、穏やかな表情をしています。

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下は「上宮王院太子殿」 享保15年(1730年)に建立され、広隆寺の本堂に当たり、本尊として聖徳太子立像を祀ります。

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以後、秦氏は歴史の表舞台から消えますが、秦氏が創建した伏見稲荷大社、広隆寺、蚕ノ社、梅宮神社、松尾大社などは、現在に至るまで歴史を生き延びてきました。「井戸舎」井戸水を汲んでいるのでこの名だそうです。

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本尊は、太子が秦河勝に仏像を賜った時の33歳の像で、下着姿の像に袍を着ていました。袍は室町時代1526年に即位の後奈良天皇以来、各天皇が即位式で身に付けたもので、現在は1994年に平成天皇より贈られた黄櫨染の袍を着ています。

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上宮王院太子殿の左前にある「太秦殿(河勝殿)」 1843年に建立され、秦河勝夫婦を祀っています。

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本像は秘仏で11月22日のみ開扉されるとのことです。正面の写真は撮れません。

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本堂の西にある「書院」と「庫裡」、その向こう(左)には「桂宮院」があります。桂宮院は建長3年(1251)頃の建立とされ、その本堂(国宝)は法隆寺夢殿と同じ八角円堂です。

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本堂の左横をさらに北に行きます。

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「書院」の入り口 右は霊宝殿の拝観受付。

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「弁天社」 かっての弁天池は、現在の境内から北の「大酒神社」まで広がっていました。宅地造成のために埋め立てられ、昭和52年(1977)からの発掘調査で、中島から平安時代後期の経塚群「弁天島経塚」が出土しました。

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この後、参拝受付を通り霊宝殿に向かいます。その後の広隆寺と仏像たちは明日の記事で。

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コメント

聖徳太子というのは、
もう1400年ぐらい前の人なのに、
いろんなものが残っていて凄いですよね。
一体何者だったのか。
会ってみたいものです。

投稿: munixyu | 2020年10月21日 (水) 17:00

★munixyuさん こんばんは♪
聖徳太子は実在しなかったという人もいましたが、やはり存在してほしい人物ですね。

投稿: りせ | 2020年10月30日 (金) 00:42

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