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2020年10月22日 (木)

広隆寺 霊宝殿と神仏像たち

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事につづいて、広隆寺の参拝受付を通り霊宝殿に向かいます。

すぐに左手に「桂宮院」(国宝、八角円堂とも呼ばれる)への入口が見えます。現在は近くには行けず、特別な場合を除いて非公開となっています。

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建長3年(1251)に中観上人によって再建された鎌倉建築で、単層檜皮葺八柱造で、屋根の勾配がゆるく軒のそりが強く軽快な感じを受け、広い廻縁は安定した美しさがあります。

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本尊として下の鎌倉時代作の「聖徳太子半跏像」(重文)が安置されていましたが、現在は霊宝殿に遷されました。桂宮院や神仏像たちの写真は、受付で購入した冊子、広隆寺発行、便利堂印刷「廣隆寺」 からの転載です。

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正面の「旧霊宝殿」は1922年の聖徳太子1300年忌に建設され、現在は非公開となっています。

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右に曲がった奥(左)に「新霊宝殿」があります。

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新霊宝殿は、仏像を中心とした広隆寺の文化財を収蔵展示する施設で、1982年の建設。国宝の弥勒菩薩像2体、十二神将像などが安置されています。

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東の塀沿いの楓が色づきはじめていました。

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新霊宝殿の入口から本堂の北庭が見えます。苔地に様々な植生がありそれぞれの季節で彩りがあります。

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「秦河勝夫妻神像」(重文) 広隆寺を建立した夫妻で、藤原時代作、パンフレットの最初に登場します。多くの神像彫刻に共通するように顔の表現は精緻で、河勝は威厳があり、夫人は穏やかな表情をしています。

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「弥勒菩薩半跏像」(国宝) 弥勒菩薩はお釈迦様に代りこの世のすべての悩みや苦しみを救ってくれる仏様です。この像は赤松を用いた飛鳥時代作ですが、この時代にこれほど人間的な仏像は例を見ないといわれます。

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細い目、すっきりした眉、通った鼻筋など、日本一美しい仏像ともいわれています。広隆寺には国宝の弥勒菩薩が2体あり、こちらは「宝冠弥勒」で頭に冠があります。

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「弥勒菩薩半跏像」(国宝) こちらは「宝髻(ほうけい)弥勒」とよばれ、同じ飛鳥時代作ですが百済国からの貢献仏です。切れ長の目が大きく、伏目で口許を引き締めているので「泣き弥勒」とも呼ばれるそうです。

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「不空羂索観音像」(国宝) 天平時代作、八臂で全身がすらりと伸び均斉のとれた姿をしています。顔は弾力性を感じ、衣服の彫りは裾の深い襞とところどころに渦紋を配しています。

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「十一面千手観音立像」(国宝) 弘仁時代作の漆箔像で、千手観音像の規定通り11面42臂に造られています。平臂の左右の張りが大きく、威厳のある姿をしています。

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こちらは「千手観音座像」(重文) 藤原時代の寄木造で、製作当初は42臂あり、左背部の内側に寛弘9年作とあるそうです。藤原仏の特長で、円満な頬、幽玄なまなざし、小さく整った鼻と口、大きな耳など慈愛に満ちた表情をしています。

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「十二神将像」(国宝) 定朝の弟子・長勢の作と伝えられ、薬師如来の守護神らしく怒りの表情に、甲冑をつけ、手には剣、鉾、弓、矢などの武器を持つ躍動する姿を姿をしています。藤原時代作のわが国最古の木彫神将像です。

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薬師如来の12の願いに対応して、それぞれ7千の兵を率いる大将です。上の写真は9体しか写っていません。下はそのうちの「摩尼羅(まにら)像」で如意輪観音の化身といわれます。

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本尊「聖徳太子像」 昨日紹介したとおり、推古天皇10年聖徳太子が秦河勝に仏像を授けて寺を建立させたのが広隆寺の始まりです。製作年代は平安時代後期の元永3年(1120)ですが、創建当初の太子の姿を表しています。

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古来から歴代天皇が即位式で身に付けた袍(ほう、上着)、あるいは宮中儀式での最高の儀服が即位後に賜る習わしで、現在は1994年に前天皇から贈られた黄櫨染の袍を着ています。黄櫨染は天皇しか着ることができない色でした。

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広隆寺は818年の火災でほぼ全焼し、創建当時の建物は残っていません。836年に広隆寺別当(住職)に就任した空海の弟子・道昌は焼失した堂塔や仏像の復興に努め、広隆寺中興の祖とされています。道昌も秦氏の出身で、嵯峨野の法輪寺も再興しました。

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平安時代から室町時代にかけて、広隆寺は歴代天皇から寄進があり朝廷に庇護されてきました。織田信長、豊臣秀吉、徳川幕府からは寺領を安堵され、明治以降も天皇家とのつながりが続いています。

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一方、秦氏は桂川、鴨川下流域の開発に寄与し、一大勢力権を築き、新都として平安京が選ばれた理由の一つになりました。この地の太秦の名は秦氏が由来ですが、全国に散らばり関東では秦野市にも名を残しています。

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平安時代以降、多くは惟宗氏を称しますが、秦氏を名乗る家系(楽家の東儀家など)も残りました。東家、南家などは松尾大社の社家に、荷田家、西大路家、大西家、森家などは伏見稲荷大社の社家となりました。

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戦国武将の多くは藤原氏や源氏の末裔と称しましたが、薩摩島津氏や長宗我部氏は秦氏の家系であることが分かっています。現在でも秦氏の末裔を名乗る実業家、芸術家、文化人たちがいて、今なお一定の影響力を持っているといえます。

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コメント

少しずつ色付き始めましたか。
これからが紅葉シーズンですね。
今年の紅葉は、どんな感じになるのか楽しみですよね。

投稿: munixyu | 2020年10月22日 (木) 18:18

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