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2020年9月18日 (金)

雨宝院 西陣の聖天さんと庶民信仰

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の本隆寺を出て、その北塀に沿って西に行くと雨宝院(うほういん)の南門があります(上の写真)。

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「雨宝院」は、山号を北向山という高野山真言宗の寺院で、西陣聖天宮あるいは西陣の聖天さんとも呼ばれています。こちらの西門から入ります。

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寺伝によると、平安時代前期の821年、弘法大師・空海が堂宇を建立して、歓喜天(聖天)像を祀ったことに始まります。空海は嵯峨天皇の御病平癒を祈願して一刀三礼して象頭(ぞうとう)人身六臂の等身像を刻んだとされます。

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その蔵は本堂に本尊として祀られていますが、 秘仏のため「歓喜童子像」が御前立となり、本尊脇に聖天尊の化現とされる「雨宝童子」が祀られ、寺名の由来になりました。正面が本堂ですが衝立があり、最初に左の大師堂の方に行きます。

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「雨宝」とは法雨(仏の慈悲)が宝のように降るという意味だそうです。当初は「大聖歓喜寺(だいしょうかんきじ)」と呼ばれ、千本五辻にあって広大な寺域を有する大寺院だったといわれています。

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大師堂には弘法大師像が安置されています。空海42歳の姿で、南を向いて口を開く「あせかき弘法大師像」とよばれています。東寺には口を閉じて北を向いた大師像が安置され、「阿吽」の対になっているとされています。

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「汗かき」とは、汗をかくような辛いことでも弘法大師が救済してくれるという意味だそうです。弘法大師は真言宗の祖ですが、その修行時代には不明なことが多く、各地で奇跡をおこなったという伝説が生まれ「大師信仰」が盛んとなりました。

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大聖歓喜寺は応仁の乱(1467-1477)により焼失、安土桃山時代の天正年間(1573-1592)この地へ移り、雨宝院として再建されました。どちらの寺も西陣の中心にあり、平安時代から織物職人が集中する地域でした。

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時代を下ると織物商が軒を連ね、商業地域ともなりました。(神仏像や、それらが見えそうなお堂の正面は撮影できませんので、庭の置物や花の写真です。)

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この地域の人々の、商売繁盛、金運向上、技能上達、子孫繁栄、厄除け・火除けなど多様な現世利益を求める信仰の高まりとともに、雨宝院には多くの祠が建てられたと考えられます。

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大師堂の横には「融通尊(七福神)」と十一面観音が祀られています。「七福神信仰」は室町時代から始まり、庶民性に合致して民間(庶民)信仰の最も完全な形といわれます。

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本堂の並びの一番左に「庚申堂」があり、「大黒天・虚空蔵菩薩」、「大青面金剛」、「釈迦如来・地蔵菩薩」が安置されています。「庚申信仰」は仏教、神道、修験道などが合わさった複合信仰ともいわれます。

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本尊の大聖歓喜天は絶大なご利益がある代りに、ほっておくと悪神にもどりご利益がなくなってしまうといわれます。本堂の両側には聖観世音菩薩と普賢菩薩が祀られ、大聖歓喜天が邪心を起こさないように監視をしているかのようです。

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本堂の右の「不動堂」には、右から「愛染明王」、「大聖不動明王」、「役行者」が祀られています。不動明王は大日如来の化身とされ、すべての悪と煩悩を抑え、生あるものすべてを救うという強烈な神で、「不動信仰」は平安時代初めから盛んとなりました。

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さらに右には「寶稲荷大明神」、「陀枳尼天」、「鬼子母神」、「金毘羅大権現」が祀られています。稲荷明神は食物や桑葉(織物)の神で、弘法大師が東寺の鎮守として勧請したのに始まり、平安時代の京都では朝廷から民間に至るまで信仰されました。

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本堂の斜め前に「観音堂」があり、平安時代の貞観年間(859-877)作の「千手観音菩薩立像」を安置しています。旧大聖歓喜寺の遺仏ともいわれ、戦火で42本あった腕が10本に、11面の顔が3面にと満身創痍ですが重要文化財に指定されています。

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観音堂の左には「弁財天」、「鎮宅方除神」、「疱神」が祀られています。中央は鎮宅方除神で、鎮宅は家宅、方除(かたよけ)は方角の災厄を鎮める意味で、日本独自の神と思われます。

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向いの手水舎の「染殿井」は西陣五水の一つで、飢饉の際にも水が涸れたことはなく、染色に適していたことかこの名で呼ばれました。その横にも水の神・弁財天が祀られています。

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雨宝院では、特定の宗派にとらわれず様々な神仏にご利益を求めてきた庶民信仰の歴史を見ることができます。

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コメント

まずもって、
一刀三礼して象頭人身六臂の等身像を刻むことが、凄いと思います。
仕上りまでに何年掛かっているのでしょうか。
大変なことですよね。

投稿: munixyu | 2020年9月18日 (金) 16:52

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