発祥の地をめぐる 宗教編2
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最澄は、延暦7年(788)比叡山にに薬師如来を本尊とする一乗止観院(いちじょうしかんいん)を創建。朝廷から日本の国を鎮め護る寺として期待され、桓武天皇時代の年号「延暦」を寺号に賜りました。延暦寺は「天台宗発祥の地」です。
一乗止観院は後に根本中堂となり、延暦寺の総本堂です。本尊として伝教大師自作の薬師如来像を安置し、その前には「不滅の法灯」が開創以来1200年間消えることなく灯り続けています。中は撮影禁止です
阿弥陀聖と称される空也、浄土宗開祖・法然、浄土真宗開祖・親鸞、臨済宗開祖・栄西、曹洞宗開祖・道元、日蓮宗開祖・日蓮、時宗開祖・一遍などを輩出、「日本仏教の母山」と呼ばれています。
比叡山横川地区の「四季講堂(元三大師堂)」は慈恵大師(良源、元三大師)の住居跡と伝えられています。元三大師堂は、康保4年(967)村上天皇の勅命によって四季に法華経が論議されたことから四季講堂とも呼ばれています。
良源は、身分は低い方でしたが学識に優れ次第に頭角を表し、最後には天台座主となりました。正月三日に亡くなったので元三大師と呼ばれ、「おみくじ」を考案、ここは「元三大師信仰発祥の地」、「おみくじ発祥の地」です。
「貴船神社」 創建の年代は不詳ですが、全国に約500社ある貴船神社(貴布禰神社)の総本社です。雨の神、水の神といわれる高龗(たかおかみ)神を祀り、「貴船信仰発祥の地」です。
平安時代前期の嵯峨天皇の時代、弘仁9年(818)日照りの際に朝廷より奉幣使が遣わされ、以後雨止には白馬を、雨乞いには黒馬を奉納する祈雨神事が始まったとされます。(下は奉納された神馬像)
ときには、高価な生きた馬の代わりに、馬の絵を描いた「板立馬(いたたてうま)」が願掛け馬として奉納されました。それが、絵馬を奉納する習わしの始まりとされ、「絵馬発祥の地」です。
貴船神社は水に浸すと文字が現れる水占いで知られています。名称は様々ですが同様の占いは、野宮神社、下鴨神社、北野天満宮、梨木神社などでも行われています。少なくとも京都の「水占い発祥の地」でもあります。
神護寺は真言密教発祥の地として紹介しましたが「かわらけ投げ発祥の地」ともいわれています。
かわらけは厄除と書かれた素焼きの皿で、それを清滝川の谷(錦雲渓流)に向けて投げます(的はありません)。
「伏見稲荷大社」 全国各地に3万社あるといわれる稲荷神社の総本宮で、「稲荷信仰発祥の地」です。 奈良時代初めの和銅4年(711)、稲荷大神が、稲荷山の三嶺に示現したとの伝承があり、社伝ではこのときを創祀としています。
当時この地に勢力があった秦氏の祖神として祀り、農耕の神から派生した諸産業の守り神、さらに商売繁盛の神として信仰されるようになりました。
「吉田神社」は平安時代の貞観元年(859)に中納言・藤原山蔭が大和の春日社の四神を勧請して、平安京の鎮守神にしたのが起こりとされます。鎌倉時代初期以降は吉田流卜部氏が代々社司となり、次第に社格が上がり南北朝時代には正一位を授けられました。
室町時代中頃の1484年、吉田兼倶(かねとも)は唯一神道(吉田神道)を唱え、将軍・足利義政夫人の日野富子などによる寄進により山上に斎場所太元宮を造営しました。「吉田神道発祥の地」です。
安土桃山時代から江戸時代にかけて、吉田神社は将軍や朝廷から厚遇されました。神祇官八神殿が宮中から大元宮に遷され、神祇官作法は太元宮で行うこととなり、吉田家は全国の神職に許状を発行しました。
神祇官とは太政官と並ぶ最高官庁で、朝廷の祭祀を司り、諸国の官社を総轄しました。明治4年、吉田神社の特権的な権限はなくなり、神祇官八神殿は皇居へ再遷座され、太元宮(下)にはその跡が残っているだけです。
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コメント
水占いは、占いの中でも、趣があっていいですね。
昔の人は、夢があっていいなぁと思います。
投稿: munixyu | 2020年9月 8日 (火) 16:33