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2020年9月 5日 (土)

発祥の地をめぐる 宗教編1

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は宗教や民間信仰に関する発祥の地をめぐります。上の写真は円山公園、ここから東山の斜面を上って行くと、かって安養寺(後述)の僧坊だった料亭「世阿弥」があります。

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平安時代末(1174年)から30数年間、法然(1133-1212)がここを本拠に称名念仏を興し(吉水教団)、親鸞(1173-1262)も入信、「両上人念仏発祥の地」といわれます。下は吉水(よしみず)の由来となった「吉水弁財天」。

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ここにはかって最澄(767-822)が開いた寺があり、比叡山を下りた法然が吉水草庵を営みました。その跡地に慈円山安養寺(時宗)が再興され現在に至ります。吉水は浄土宗、浄土真宗の発祥の地といえます。

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神宮道の知恩院三門近くに「親鸞上人旧御廟所・本願寺発祥地・蓮如上人御誕生地」の碑があります。1262年に没した親鸞はこの崇泰院(青蓮院末寺)付近に葬られました。後にこの地に親鸞の嫡流として生まれた蓮如は、布教に専念し廟堂を再建して本願寺と改称、本願寺(浄土真宗本願寺派、真宗大谷派)の発祥の地とされています。

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唐で密教を学んだ空海は809年から14年間高雄山寺(神護寺の前身寺院の一つ)に滞在しました。その間、813年に金剛界結縁灌頂および胎蔵灌頂を開壇、入壇者は最澄やその弟子円澄、光定、泰範のほか190名にのぼりました。

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また、『即身成仏義』『声字実相義』『吽字義』『文鏡秘府論』『篆隷万象名義』などを立て続けに執筆、神護寺は「真言密教発祥の地」の一つとなりました。その後空海は東寺から高野山に移り、本格的な布教活動に専念します。

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先日は菅原道真(845-903)の生誕の地をめぐりましたが、彼を神として信仰する「天神信仰」は別の神社が発祥とされます。「北野天満宮」は、菅原道真を祭神として祀る全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本社で、天神信仰発祥の地です。

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平安時代中頃の947年、西ノ京に住んでいた多治比文子(たじひのあやこ)や近江国比良宮の神主・神良種(みわのよしたね)、北野朝日寺の僧・最珍らが当所に神殿を建て、菅原道真を祀ったのが始まりとされます。国宝の「本殿」

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七条河原町の近く、渉成園の前の通りを北にいったところにある「文子(あやこ)天満宮」も天神信仰発祥の地といわれます。901年、菅原道真は藤原時平の讒言(告げ口)によって大宰府に左遷されました。

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道真の乳母だった多治比文子(たじひのあやこ)は道真の身を案じ、右京七条二坊の自宅に祠を建てて道真を拝んだといわれています。これが文子天満宮の始まりとされます。

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942年、文子は「われを右近の馬場に祀れ」との道真の託宣を受けたといいます。「右近の馬場」は、現在の北野天満宮の南東にあった右近衛府が管轄する馬場で、道真は幼少のころよく遊んだ場所でした。

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しかし、文子の家は貧しくてこの時は社殿を建立することができませんでした。5年後に近江国の神官の7歳の男児にも同じ託宣があり、朝廷に奏上して北野の地に社殿が造営されました。

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これは北野天満宮の社伝と一致していて、そこにも「文子天満宮」(下)があります。しかし、道真が生きていれば947年で102歳となり、その乳母が生きていたとは考えられず、文子は乳母の子孫だったのかも知れません。

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奈良時代末から平安時代初期にかけて、あいつぐ政変の中で非業の死をとげた皇族・貴族が続出、その後の天変地異や疫病などをその怨霊によるものと考えて、彼らを御霊神として祀った御霊神社が「御霊信仰」の始まりとされます。

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上御霊神社(上)と下御霊神社(下)は794年の平安遷都にあたり、桓武天皇が都の守り神として弟・崇道天皇(早良親王)を出雲路に祀ったのが始まりとされます。その後、同様に非業の死を遂げた人々を合祀、下御霊神社は御所の南に移転しています。

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貞観5年(863)に疫病が大いに流行り、神泉苑で多くの御霊を鎮めるため初めての「御霊会(ごりょうえ)」が行われ、全国の国の数の66本の鉾を立てて厄払いをしました。

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御霊信仰から、疫病に特化して疫病神・牛頭天王(ごずてんのう)を祀る祇園信仰が派生しました。祇園社(後の八坂神社)は「祇園信仰の発祥地」といわれ、最初の御霊会は祇園祭のはじまりとも考えられています。

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御霊信仰は、各地に伝わり虫送りやお盆の行事が行われ、念仏踊りや盆踊りを始めとして様々な民俗芸能を生み出しました。また、特定の宗派にとらわれず、祖先を敬い、祟りを恐れるなど、日本人の宗教観に広く浸透していきました。「祇園祭宵山」

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八坂庚申堂は「庚申信仰発祥の地」といわれます。庚申は干支の「かのえ」と「さる」を表し、60日に一度の庚申の日の夜に眠ると、三尸(さんし)の虫が体から抜け出し、天帝にその宿主の罪悪を告げて、寿命を縮めるとのいい伝えがありました。

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そこで、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が始まり、一人で徹夜することは難しいので庚申待(こうしんまち)という行事が行われるようになりました。その信仰は、平安時代に貴族の間で始まり、江戸時代に入って民間にも広まりました。

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奉納された「くくり猿」は、中の白い部分が頭で、外側の手足が一つにくくられています。庚申さんによって人間の欲望が動かないようにくくられています。その他の宗派や仏像、神像、授与品などの発祥の地は別の機会に。

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コメント

断食をはじめ、いろんなことに耐える信仰がありますが、
庚申の、寝てはいけない日というのもまた大変そうですね。
食べてはいけない、寝てはいけない、
忍耐の必要な信仰は、凄いことだと思います。

投稿: munixyu | 2020年9月 5日 (土) 18:51

★munixyuさん こんばんは♪
江戸時代になると、辛いあるいは退屈な修行や仏事だけでなく、観光旅行を兼ねた楽しい参拝なども、**待、**講などと、みんなで一緒に行う習慣があったようですね。、

投稿: りせ | 2020年9月11日 (金) 01:45

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