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2020年9月13日 (日)

智恵光院 鷹司兼平と六臂地蔵尊

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は西陣に出かけました。「智恵光院」は正式名称を称念山平等寺という浄土宗の寺院で、前を通る智恵光院通の由来となりました。

鎌倉時代後期の1294年、五摂家の一つ鷹司(たかつかさ)家の始祖・鷹司兼平が知恩院8世如空(如一国師)を開基に、自らの菩提寺を建立したのが始まりです。右は「獅子頭守護石」。

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当初は岡崎の法勝寺の北にあったとされ、記録が焼失したためその後の変遷の詳細は不明です。いつの頃かこの地に移転してきたようです。本堂は幕末の安政2年(1855)の再建。

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本堂に安置されている本尊「阿弥陀如来像」は鎌倉時代の仏師・安阿弥(快慶)作といわれています。

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鷹司兼平(1228-1294)は、関白・近衛家実の四男として生まれ、1237年に元服すると右近衛少将に任官されました。その後若くして、権大納言、内大臣、右大臣などを歴任、1252年摂政となり、23年にわたり摂政・関白を務めました。

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1290年に出家して、4年後に智恵光院を創建しました。能書家としても知られ、後深草院二条が綴った日記『とはずがたり』の近衛大殿のモデルといわれています。

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智恵光院は、後に聞益(もんえき)上人によって諸堂や要終院、芳秀院、智福院、吟松院の塔頭4院が整えられ、京師(けいし)七光院の一つとして隆盛を極めました。京師とは当時の京都のことです。本堂横の「玄関」

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しかしながら、江戸時代の1730年に西陣を襲った大火「西陣焼け」、および1788年の「天明の大火」によって全焼してしまいました。「庫裡」、立派な建物です。

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その後、徐々に再建されましたが、第二次世界大戦中の強制疎開により、塔頭4院は廃止され、現在の規模に縮小されてしまいました。庫裡の前の「吉之助の庭」、吉之助が誰のことか分かりません。

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本堂の左には「喜八の塔」があるのですが、喜八も誰だか分かりません。寄進者とすると馴れ馴れしいので、いつの代かの住職のご家族の名ではないかと想像しています。

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智恵光院は縮小されたとはいえ、このあたりでは大きな寺域をもっています。庫裡の東にある「知恵姫稲荷大明神」 

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境内の建物、庭、遺物、祠やお堂は綺麗に整備されて名札が付いているのですが、説明がないので「知恵姫」が分かりません。もっとも、××稲荷という場合、ほとんどその名の由緒は分かりません。

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境内の南には鐘楼やお堂が並んでいます。南東の隅は「鐘楼」。

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「智恵弁財天」

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弁財天の横には「金ぎょく龍王神」が祀られています。お堂の前ある変わった形にも同じ名があります。全て漢字でかくと差しさわりがあるのでしょう。

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「地蔵堂」平安時代の849年に亡くなった小野篁は、あの世で出会った生身の地蔵菩薩の教えに従って蘇生しました。そこで、木幡山の1本の桜の木から死後の6つの世界「六道」で救いを施す6体の地蔵を彫り、852年に六地蔵の大善寺に安置したといわれます。

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その後、小野篁は7日間精進潔斎をして像を彫り始め、一彫りごとに三回の礼をする「一刀三礼」しで、思いを込めて6本の腕を持つ像を彫りあげました。6体分の力を込めて彫れば、より大きな功徳があると考えたのです。

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それから300年ほどの後、後白河法皇の時代に京都に疫病が流行しました。法皇は平清盛に命じて、京都の出入り口6か所に六角堂を造って篁の地蔵を安置し、西光法師に供養させたといわれます。これが六地蔵巡りの始まりです。

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この六臂地蔵像は、百万遍の知恩寺に安置されていましたが、知恩寺6世でもあった如空が智恵光院を創建した縁で、南北朝時代にここに移されました。「六地蔵巡り」の番外ですが、全ての六地蔵に参拝したのと同じご利益があるとされています。

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8月22、23日に京都周辺の六ヶ所の地蔵菩薩を巡って、無病息災や家内安全等の祈願をこめてお参りする「六地蔵巡り」が行われ、智恵光院の地蔵堂は8月23日の夕方だけ御開帳されます。境内の南西には石仏と供養塔、その向うに墓地があります。

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コメント

こうして考えると、疫病というのは、
昔はよくあることだったのかもしれませんね。
疫病で作られた大仏もたくさんありますし。
コロナも京都の歴史としては、普通のことなのかもしれませんね。

投稿: munixyu | 2020年9月13日 (日) 16:09

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