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2020年9月21日 (月)

発祥の地をめぐる 臨済宗編

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

浄福寺通の記事はまだ続きますが、今日は「発祥の地をめぐる」の臨済宗編(宗教編3)にしました。写真は臨済宗の宗祖・栄西が開山した建仁寺です。

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明菴栄西(みょうあんえいさい/ようさい、1141-1215)は吉備津神社の権禰宜・賀陽貞遠の子として誕生、8歳で『倶舎論』や『婆沙論』を読んだと伝えられます。

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11歳で備中の安養寺の静心に師事、1154年14歳で比叡山延暦寺で出家得度しました。19歳の時に比叡山の有弁に従って天台宗を学びます。しかし、 形骸化して貴族政争の具と堕落した日本天台宗を立て直すべく、1168年および1187年に南宋に留学しました。

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1191年、虚庵懐敞より臨済宗黄龍派の印可を受け「明菴」の号を授かり、同年帰国。九州の福慧光寺、千光寺などで布教を開始。このとき持ち帰った茶の種によって、日本に茶を飲む習慣が広がるきっかけとなりました。

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しかし、天台宗から排斥を受け、栄西は自身が真言宗の印信を受けるなど既存勢力との調和を図り、1198年『興禅護国論』を執筆。禅が既存宗派を否定するものではなく、仏法復興に重要であることを説きました。

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栄西は鎌倉幕府の庇護を受け、建仁2年(1202)2代将軍・源頼家が寺域を寄進して京都に建仁寺を建立しました。当初は天台・密教・禅の三宗兼学の道場でしたが、現在「臨済宗建仁寺派」大本山となっています。

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その後何人かの祖師たちが中国からそれぞれの時代の臨済宗を日本に伝えたため分派が多く生まれました。以後は京都にある大本山を簡単に紹介します。

「東福寺」は鎌倉時代の建長7年(1255)摂政・九條道家が円爾(えんに、1202-1280、聖一国師)を開山として祖父・兼実(かねざね)の菩提寺を建立したのが始まりです。「東福寺臥雲橋」

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円爾は当初天台を学びましたが、上野国長楽寺の栄朝、次いで鎌倉寿福寺の行勇に師事して臨済禅を学び、嘉禎元年(1235)宋に渡航して無準師範の法を嗣ぎました。現在「臨済宗東福寺派」大本山、下は「三門」。

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「南禅寺」は鎌倉時代の正応4 年(1291)亀山法皇がこの地にあった離宮を無関普門(大明国師)に下賜し、開山として迎えたのが始まりです。現在「臨済宗南禅寺派」大本山です。

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無関普門(1212-1292)は13歳で出家、後に東福寺の円爾に参禅、1251年宋にわたり10年後に帰国するまで各地の禅宗寺院を巡歴して参禅しました。

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「大徳寺」は、鎌倉時代末期の正和4年(1315)に大燈国師・宗峰妙超(1283-1338)によって開創、「臨済宗大徳寺派」大本山です。「総門」

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宗峰妙超は、宋に渡り虚堂智愚の法を継いだ鎌倉建長寺・南浦紹明(大応国師、1235-1308)の弟子です。「三門」

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「妙心寺」は建武4年(1337)花園法皇がこの地にあった離宮を禅寺に改め、関山慧玄(えげん、1277-1360)を招いて開山しました。現在、「臨済宗妙心寺派」大本山です。 「南総門」

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慧玄も南浦紹明に入門、その寂後に紹介された大徳寺の宗峰妙超に師事しました。南浦紹明から宗峰妙超を経て関山慧玄へ続く法系を「応燈関派」といい、現在の臨済宗の主流派だそうです。「法堂」

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「天龍寺」 南北朝時代の暦応元年/延元3年(1338)足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統(亀山天皇の系統)の離宮・亀山殿を寺に改め、無窓疎石(1275-1351)を開山に迎えたのが始まりで「臨済宗天龍寺派」大本山です。

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無窓疎石は建仁寺の無隠円範らに臨済禅を学んだ後、元からの渡来僧の一山一寧門下の首座となったものの印可に至りませんでした。純粋禅ではなく、真言宗や天台宗との融和主義ともいわれます。

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「相国寺」 永徳2年(1382)室町幕府3代将軍・足利義満は花の御所の隣接地に一大禅宗伽藍を建立することを発願。竣工したのは10年後の明徳3年(1392)でした。現在「臨済宗相国寺派」大本山です。

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義満は、禅の師の春屋妙葩(みょうは、1311-1388)に開山を要請、妙葩は師の夢窓疎石を開山、自分は2世住職になるならと承諾。夢窓疎石は臨済宗の主流派にはなりませんでしたが多くの弟子を育て、世界的な名庭園を数多く作庭しました。「祖師堂の庭」

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以上、京都にある臨済宗大本山7ヵ寺を紹介しましたが、鎌倉の建長寺や円覚寺など他府県にも7ヵ寺の大本山があります。

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コメント

宗教というものは、
昔は本当に大きな存在だったのですね。
こないだの話のように、
天下統一は、武力だけではなく、
宗教なども抑え込まないと、大変だったのがよくわかります。
武士の戦いと違い、宗教戦争は陰湿ですし。

投稿: munixyu | 2020年9月21日 (月) 13:34

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