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2020年9月17日 (木)

本隆寺 その歴史と本堂の大改修

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

智恵光院通から本隆寺を訪れました。上は五辻通に面する南門で、入ったのは下の東門からです(工事中のため門がフェンスで覆われています)。

「本隆寺」は、正式名称を慧光無量山(えこうむりょうさん)本妙興隆寺という、かっての日蓮門下京都十六本山の一つで、現在は法華宗真門流の総本山です。略して、慧光山本隆寺あるいは本隆寺といいます。

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室町時代中期の長享2年(1488)、日蓮宗の僧・日真が後柏原天皇から大和尚の称号を下賜され、四条大宮に堂宇を建立したのが、本隆寺の始まりです。(東門を入ると右に手水舎があります。)

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日真は中山大納言親通卿の子として但馬国に生まれ、昌福阿闍梨日全、妙顕寺の日具に師事しました。本隆寺を創建後は、北陸を中心に布教し、本隆寺派(法華宗真門流)の祖となりました。(左には鐘楼)

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室町時代には京都の武家や商工業者の間に法華宗が広まり、天文初年(1532)頃から延暦寺の勢いをしのぐほどになりました。同5年(1536)2月両者の間の宗論(宗教問答)が武力衝突に発展しました。(本堂は改修工事中です) 

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7月には延暦寺の衆徒が法華宗の拠点の21ヵ寺を焼き払い、法華宗徒を武力で洛外に追放した「天文法華の乱」が起こりました。本堂の周囲を左回りします。

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このとき(4代日映の時)、本隆寺の諸堂もすべて焼失して泉州堺に避難しました。本堂の右にある塔頭「宣妙院」、塔頭はいずれも門を開いていて、きれいに整えられた境内が見えます。

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天文11年(1542)に勅許によってようやく法華宗が洛中で布教ができるようになり、本隆寺は現在の地を得て再興されました。塔頭の「慶成院」

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江戸時代前期の承応2年(1653)10代日遵の時、京都御所の炎上により類焼しましたが、明暦3年(1657)名匠といわれる坂上作左衛門が再建しました。下は「本坊」で、「法華宗真門流宗務庁」の看板もかかっています。

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現在の本堂はこのとき再建されたもので、京都の法華諸宗本山寺院の中では最古の本堂だそうです。下は改修前の写真です。

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本坊の前にタカオカエデの巨木があり、京都府指定保存樹です。左の本堂の裏を通って、西に行きます。

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享保15年(1730)の「西陣焼け」で西陣一帯が焼け野原となりましたが、本隆寺は一部を除いて類焼を免れました。本堂の裏にある客殿の門。

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天明8年(1788)の「天明の大火」では京都中が焼き尽くされたといわれていますが、本隆寺の本堂、祖師堂、宝庫(経蔵)は焼失を免れました。本堂の左奥にある塔頭「法性院」、百日紅が綺麗でした。

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二度の大火にかかわらず炎上しなかったことから、本隆寺は「不焼寺(焼けずの寺)」といわれるようになりました。塔頭「玉峯院」

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また、本堂に祀られている鬼子母神の加護とされ、「火伏の鬼子母神」として信仰を集めています。塔頭「正寿院」

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本堂の左(西)に「祖師堂」があります。本堂に続いて再建された建物で、こちらも京都府内最古の祖師堂だそうです。祖師堂の右前の松には逸話があります。

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室町時代のある元旦の朝、5世・日諦のもとに一人の婦人が赤子を託して去りました。子は夜中に母を慕って泣いたので、日諦が題目を唱えながら松の周りを廻ると泣き止んだといいます。その子が7世・日脩となりました。

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その松は「夜泣止松(夜泣き止め松)」といわれます。樹皮や葉を床の下に敷くと夜泣きが止む、あるいは、松の周りを廻ると夜泣きが止むといわれています。現在の松は3代目だそうです。

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境内の北西には墓地があり、江戸時代の医師・歴史家の黒川道祐をはじめとする黒川一族、茶道具師の黒田正玄らの墓があります。

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墓地の横を行くと浄福寺通に抜ける西門があります。下は外からの写真で、本隆寺は見事な瓦塀で囲まれています。

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西門からもう一度本堂の前に行きます。下は途中にある塔頭「是好院」。

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ところで、平成26年(2014)本堂と祖師堂が国の重要文化財に指定されました。その理由は以下の通りです。 塔頭「玉樹院」

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「本堂は本格的な七間堂で柱は太く均整のとれた姿を持ち、平面構成は日蓮系仏堂の特徴を良く示している。本堂に続いて建てられた祖師堂もその古い有り様を示すものとして貴重である。」  塔頭「本城院」、これで八つの塔頭を巡りました。

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「本堂と祖師堂が並立する配置は日蓮諸宗寺院の代表的配置の一つであり、江戸時代前期から中期にかけての日蓮諸宗寺院の一様相を示すものとして価値が高い。」 下は工事現場にあった写真。

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重要文化財に指定されたことで補助金により修復工事ができるようになり、平成28年(2016)から始まり本堂は令和5年(2023)、祖師堂は令和8年(2026)に完成予定だそうです。「経蔵」

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本隆寺は春の桜、9月の百日紅、秋の紅葉が美しいことでも知られます。こちらも「経蔵」。

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鎮守社の「番神堂」 日本の代表的な30の神「三十番神(さんじゅうばんしん)」を祀っています。これらの神は毎日当番が決まっていて、国家を交代で守護するのだそうです。

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コメント

「天文法華の乱」
延暦寺の衆徒は結構めちゃくちゃしていたのですね

これでは延暦寺が燃やされても、何も言えないような気がします。
それにしても、二つの大火を免れるとは。
不焼寺、すごいことだと思います。

投稿: munixyu | 2020年9月17日 (木) 16:14

★munixyuさん こんばんは♪
戦国時代には、大名だけでなく特定の宗派も武力で他を制圧したのですね。秩序を取り戻すためには天下を統一する政権が必要だということでしょうか。

投稿: りせ | 2020年9月20日 (日) 00:44

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