出雲路の西光寺
←目次 2006年1月27日から毎日更新しています。
出雲路橋から少し西、鞍馬口通に面して西光寺という寺院があります。地図から分かるように寺町通に面する西園寺と背中合わせになっています。石標には「浄土宗天龍山西光寺」とあります。
実は何度も訪れているのですが、上の石標以上の情報が見当たらず気になっていました。入口の脇に「地蔵堂」があり、花が供えられています。
厨子の中には彩色された美しいお地蔵さんが祀られています。
まだ由緒は分からないのですが、およその創建時期が分かったので記事にすることにしました。正面は「本堂」です。
江戸時代に書かれた代表的なガイドブックの『都名所図会』(1780)、『拾遺都名所図会』(1787)、『都林泉名勝図会』(1799年)には掲載されていません。本堂には本尊として阿弥陀如来が祀られています。
上のガイドブックはかなり詳しく、同じように気になっていた清水坂の西光寺の方が見つかりました。そちらは先日記事にした内容と(私の推察も含めて)ほぼ一致していました。「庫裡」のようです。
「石敢當(せきがんとう)」 魔除けの石柱で、家にぶつかるもろもろの邪気をくい止め追い払う威力があるとされます。鬼門よけとして表、裏鬼門に建てるか、門を入った正面あるいは玄関の横に建てるのだそうです。
江戸時代までに創建された可能性は低いと思われるので、明治以降の地図を調べました。墓地の入口には石仏が集められています。街道筋なので、近代の道路整備によって持ち込まれたものと思われます。
立命館大学アート・リサーチセンターが開発、公開している『近代京都オーバーレイマップ』は明治、大正、昭和初期の多様な地理情報を現在の地図上に配置したものです。
上のシステムによると、明治25年の仮製図には西園寺は存在しますが西光寺はありません。大正元年の正式図は大寺院しか記号がないのですが、西園寺や西光寺の辺りに建物があります。本堂の右手に弁財天を祀るお堂があります。
大正11年の都市計画図には西光寺が記載されていました。お堂の中には「雲井弁財天」が祀られています。
上の地図から、明治25年以降大正11年までに西光寺が建てられたと考えられます。同じお堂の左手には「稲荷大明神」が祀られています。
隣の西園寺は近代以降7つの塔頭が廃絶されたことが分かっています。一方、西光寺の境内は鞍馬口通から細い参道を通った奥まったところにあり、地図を見ると西園寺の境内と接しています。
ここからは私の想像ですが、この西光寺の場所には西園寺のかっての塔頭があり、西園寺側から出入りしたのではないでしょうか。墓地の石仏やお堂の周りに散在する石材はかなり古そうなものです。
西園寺との境の塀沿いにも墓石などの石材が残されています。明治の神仏分離令・廃仏毀釈の中で多くの寺はやむなく塔頭を廃止しました。それでも、西園寺塔頭のお堂や墓地が残され、後に同じ浄土宗の寺院が建てられたと考えれます。
あるいは、廃絶したことになっていた塔頭が名称を変えて名乗り出たのかも知れません。お堂の向こうに西園寺の墓石や本堂が見えます。新しい事実が判明したらお知らせします。
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コメント
出雲路の西光寺は、すでに、寛文8(1668)年の ①洛中洛外絵図に西光寺がみえますし、同所には、②洛中洛外絵図(元禄8〜同15:1695〜1702年)、③改正京町繪圖細見大成(天保2:1831年)に明確に記載されています。
古くからあった寺です。
① https://dl.ndl.go.jp/pid/1286684/1/1
② https://dl.ndl.go.jp/pid/2589694/1/3
③ https://www.ris.ac.jp/library/kichou/lime/h034.html
投稿: 大野弘 | 2025年4月 7日 (月) 12:20