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2020年9月 3日 (木)

歴史上の人物の生誕の地をめぐる

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は歴史上の人物の生誕の地をめぐります。最初は菅原道真(845-903)ですが、三つの神社が道真生誕の地とされています。上と下は京都御苑の西にある「菅原院天満宮神社」。

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ここには菅原氏の邸宅「菅原院」があり、道真の祖父・清公(きよきみ、770-842)、父・是善(これよし、812-880)、道真の三代が居住し、道真生誕の地と伝えられています。道真没後、その菩提を弔うために歓喜光寺が建立され、彼らを祀るお堂が建てられました。

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その後、歓喜光寺は六条河原院へ移りましたが、お堂は残されて現在に至っています。境内の隅に再掘された「菅原道真公産湯の井戸」があります。

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西洞院通に面して仏光寺通と高辻通の間に「菅大臣神社」(菅大臣天満宮)の鳥居があります。この地はもと菅原道真家の邸宅(白梅殿)や菅家廊下といわれた学問所の跡で、道真生誕の地とされています。

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詳しい年代は不明ですが、道真の怨霊を鎮めるためにこの地にあった道真邸の跡地にその御霊を祀る社が建てられたと考えられています。本殿には菅原道真、尼神、大己貴命が祀られています。

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境内の一番奥に、道真の産湯に使ったとの伝説がある井戸があります。そばに「天満宮誕生水」の石碑が建っています。

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西大路通の南端近くに「吉祥院天満宮」があります。左は「北政所吉祥女御住所蹟」という石標。北政所は道真の正室で、道真が大宰府に左遷されたあともこの地にどまったといわれています。

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参道の途中にある鳥居の左に「菅公御誕生之地」の石碑と「産湯の井跡」があります。社伝に基づいて井桁が復元されています。

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平安京への遷都(794年)の際に、菅原道真の曽祖父・土師古人(はぜのふるひと)は、桓武天皇から所領としてこの地を与えられ本邸を構えました。道真の祖父と父もこの屋敷に住み、道真はこの地で誕生、成育したとされます。「菅原公胞衣塚(えなづか)」

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934年、道真を尊崇していた朱雀天皇は、日蔵上人のお告げを授かり、自ら道真の幼少像を刻みました。そして、この地に社殿を築き像を安置して道真の霊を祀ったといいわれています。

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伏見区日野にある「日野誕生院」は、浄土真宗宗祖・親鸞(1173-1262)の生誕の地を顕彰するために、1828年西本願寺第20代門主広如が一つの堂宇を建立したことに始まります。

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かってこの地は日野氏の所領で、親鸞は法界寺を建立した日野資業の五代後の子孫の日野有範を父として誕生しました。親鸞は法然を師と仰ぎ、その教えを継承、高めて行く事に力を注ぎました。親鸞6歳の銅像があります。

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独自の寺院を持たず、各地に簡素な念仏道場を設けて布教。やがて既成の宗派と教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗派として確立されました。「産湯の井戸」、横に「親鸞聖人胞衣塚」があります。

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八条通と壬生通の交差点北西にある「六孫王神社」は、源経基(つねもと)を祀る神社です。経基は清和天皇の第6皇子・貞純親王の第1子として生まれ、皇室では六男と天皇の孫ということで六孫王と呼ばれていました。

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15才で元服、源の姓を賜わり、先例に従って臣籍に加えられました。皇族にはもともと姓がなく、皇室から離れる際に初めて姓を賜わり、天皇の臣下となるという意味で、臣籍降下ともいわれます。「弁天堂」

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六孫王とその子・源満仲はこの地にあった邸宅で生まれ、弁天堂内にある「児ノ水」を産湯に使ったといわれます。子孫の源義家・頼光・頼政・木曽義仲・頼朝・実朝などは清和源氏とよばれ、邸宅跡に創建された神社は「清和源氏発祥の宮」とよばれています。

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京都御苑内にある「宗像神社」 平安時代ここに小一条殿があり清和天皇が誕生しました。後に花山院(かざんいん)家の邸宅となり、神社はその鎮守で、御所西南の裏鬼門を守る方除けの信仰を集めたといわれています。

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京都御苑の北部に「中山邸跡」があり、「祐(さち)ノ井」の石標があります。中山家は藤原北家花山院家の支流で、花山院忠宗の子中山忠親を祖とします。

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幕末から明治維新にかけて忠能は政治的に活躍し、条約勅許に反対したり、和宮親子内親王の降嫁を推進しました。その娘・中山慶子が明治天皇の生母です。標識には「明治天皇生誕地」と書いてあります。

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大徳寺の南にある「雲林院」はかっての禁野(皇室のための禁漁区)の紫野に建てられた大寺院でした。紫式部はこの周辺で生まれ育ち近くに墓もあり、その名は紫野に由来するといわれています。

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かって雲林院の境内だった大徳寺塔頭・真珠庵に「紫式部産湯の井戸」があります。

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太秦・広隆寺の近くにある「悟真寺」は正式名を終南寺善導院悟眞寺という浄土宗の寺です。円山応挙(1733-1795)とその一族の墓があり「応挙寺」ともよばれています。

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応挙は丹波国穴太村(現・亀岡市)の農家の次男として生まれ、20代の修行期の頃には四条通柳馬場にある玩具商に勤めました。かって悟真寺は近くにあり応挙の菩提寺となったようです。石碑には「圓山應擧誕生地」とありますが、応挙を始めて名乗った地という意味だと思われます。

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大田神社の向かいに「北大路魯山人生誕地」の石標があります。魯山人(1883-1959)は美食家で知られる芸術家で、上賀茂神社の社家に生まれました。明治時代前期までこの辺りも社家町だったようです。

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新町通の「四条町大船鉾保存会」の会所の前に「幸野楳嶺生誕地」の石標。楳嶺(ばいれい)は、幕末から明治初期の日本画家で、町奉行の子として生まれ、当初は円山派の影響を受け、後に四条派を継ぎます。竹内栖鳳をはじめ楳嶺四天王などの門弟を育てました。

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「IZUTSU HOTEL」 ちりめん洋服を考案したた田村佐起三が主宰する 「さきぞう」が開業したホテルで、享保8年(1723)に始まる田村家の屋号が「井筒屋」です。両側に「田村佐起三生誕の地」「さきぞう創業の地」の石碑があります。

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