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2020年8月 9日 (日)

清閑寺から再び清水寺へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

清閑寺を出て、再び清水寺に戻ります。清閑寺は早く山門が閉まり急いで来たので、見逃したところを見て歩きます。

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このあたりの山道(歌の中山)の続きを少し。平安時代から鎌倉時代にかけて、清閑寺は清水寺と並ぶほどの大寺院でした。下に「本正寺 」があります。

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法相宗興福寺派(南都)の清水寺とこの頃天台宗(北嶺)の末寺だった清閑寺とは寺領の境界争いがあり、衝突する事態となりました。(本正寺の詳しいことは分かりません。)

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『皇帝紀抄』や『吾妻鏡』には、鎌倉時代前期の1213年8月清閑寺領内に清水寺が堂宇を建立したため、延暦寺の衆徒百余人が清水寺を焼き払うため長楽寺に集会したと書かれているそうです。

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翌年8月の裁定によって、その地を清水寺の所領とする代わりに同年12月に清水寺の前執行・法橋快玄が還俗させられて佐渡国に配流となったそうです。

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この山道が歌の中山と呼ばれるようになった正確な時期は不明ですが、鎌倉時代中期の『源平盛衰記』には既にこの名が現れるそうです。

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昨日紹介した、(歌の中山の由来となった)清閑寺の真燕僧都が謎の美女と出会った伝説は、このように清水寺と清閑寺が対立していた時代のことだと思われます。

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真燕の下心を歌でたしなめた美女の正体には諸説ありますが、清閑寺に伝わるところでは観音菩薩の化身だとされています。

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真燕が清水寺への道を尋ねたことから、美女は清水寺の方から来たと考えられます。

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ちなみに、清水寺の本尊は観音菩薩、天台宗の本尊は釈迦如来という場合が多いのですが、延暦寺は薬師如来です。

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真燕が謎の美女の正体を観音菩薩と思ったのは、対立する清水寺のことが頭にあったからかも知れません。そうすると、真燕は下心を見透かされて相手の本尊に恥をかかされたことになります。

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清水寺の南門まで戻ってきました。自転車やバイクは入れません、サルの出没に注意などの張り紙があります。この門は夕方に閉まるので注意が必要です。

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南門の近くにセンサーのようなものがあります。おそらくここを通過する人数のカウンターだと思われます。

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音羽の滝に向かう途中に建物と、その裏に祠がいっぱいあります。

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鳥居は「音羽稲荷大明神」、京都の各地で「XX稲荷」。「XX弁財天」、「XX大明神」などという祠や社を見かけますが、その名の由来は分からないことが多いです。 

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鳥居の横には不動明王。

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「高照弁財天」、他に留吉大明神、彈力弁財天などが祀られていて、ご神体が石のものもあります。

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本堂(舞台)が見えてきました。

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「音羽の滝」、新型コロナウイルスの影響か、滝の水で口をすすぐ人は見かけません。ここでは、以前から柄杓を紫外線で殺菌しているのですが、新型コロナに効果があるか分かりません。

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熱い日だったので、舌切茶屋で一服しました(最後の写真)。

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「放生池」と「三重塔」、ここから茶わん坂を下ります。

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コメント

寺同士の揉め事とかもあったのですね。
寺の領地が広がっても意味がないような気がしますが。
寺同士の争いは、悲しいことです。
最後の、抹茶あずきのかき氷、いいですねぇ。
大盛りで美味しそう。

投稿: munixyu | 2020年8月 9日 (日) 16:19

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