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2020年7月 9日 (木)

赤の宮神社と高野川の開墾

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

出町から鯖街道(大原街道)を歩いて、赤の宮神社まで来ました。正式名称を「賀茂波爾(かもはに)神社」という下鴨神社の境外摂社(第四摂社)ですが、摂社となったのは明治時代になってからです。

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社伝によると、鎮座地は不明ですが、平安時代の901年にはすでに神祭用の土器を作る集団により奉祭されたとされます。参道左手に広い祭祀場があり、普段は駐車場になっています。)

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927年の『延喜式神名式(延喜式神名帳)』に書かれた、愛宕郡の式内社に比定されていて、格式のある社と考えられています。(疏水側に出入り口があります。)

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社伝では、安土桃山時代から江戸時代初めにかけて、稲荷神と迦遇突智神(かぐつちのかみ)が併せて祀られ、赤宮稲荷大明神と呼ばれていたとされます。「社務所」

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江戸時代の前期に現在地に遷されましたが、それには高野川の開墾がかかわっていました。「舞殿」

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このあたりの高野川沿岸は、かつては一旦川が氾濫すると人馬も通ることもできず、住む人もいない荒地でした。「車のお祓い所」

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大阪の商人・豊後屋又兵衛がこの地を訪れたとき、荒涼とした有様をみて開墾を思い立ちました。その頃、後水尾上皇が修学院離宮へ行幸するための道路を建設することを知り、又兵衛は私財を投じてその建設を申し出ました。

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又兵衛はその子や村民らと協力して、寛文11年(1671)に道路を完成し、その褒賞として道路の両側の荒地を与えられました。彼らは荒地を開拓してやがて村落ができてきました。 

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村人は村の始まりを石に刻んで残そうと発起して石碑を建てました。その石碑は神社の鳥居の右にあります。

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この神社が現在地に遷座したのは1671年あるいは1679年とされ、又兵衛らが開墾した高野川東岸に移ってきたのです。「祭器庫」

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その後、この神社は又兵衛らが開墾した旧田中村(高野)の産土神として、村人たちに信仰されてきました。「拝殿」

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祭神として波爾安日子神(はにやすひこのかみ)と波爾安日女神(はにやすひめのかみ)を祀ります。これらは土壌を司る男女の神(対偶神)とされています。「本殿」

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神社名にある「はに」は、祭神名から、あるいは、高野川の古名「埴(はに)川」から来たという説があります。「波爾井清水」、かっては御供水として下鴨神社の神前に奉られていました。

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現在では京の名水の一つとして水を求めに来る人が絶えません。(井戸の横に末社の「権九郎稲荷社」があります。 )

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埴川の名は上質の粘土(赤土、はに)が産出したからといわれており、いずれにしても神社名は土器に由来しているといえます。(ちょっとした千本?鳥居です。)

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祭神として「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」を祀ります。倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と書かれることもあり、「うか」は穀物や食物のことで、穀物の女神と考えられています。伏見稲荷大社の主祭神でもあります。

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「赤の宮神社」の通称は、この権九郎稲荷社が勧請された頃に、社殿が朱に塗られていて人々が「赤の宮」と呼ぶようになったからといわれています。(末社から本殿が見えます。)

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明治10年(1877)、賀茂御祖神社(下鴨神社)の第4摂社となり、「賀茂波爾神社」に改められました。神紋は下鴨神社と同じ二葉葵です。

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山間部では高野川沿いに来た鯖街道(大原街道)は、このあたりでは又兵衛が開いた道を通ります。高野川の氾濫をさけで少し離れた村落を通る道を利用したと考えられています。

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