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2020年7月15日 (水)

河合神社と鴨長明

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

「河合神社」は下鴨神社の第一摂社として古くから祀られ、女性守護の社として信仰を集めています。

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「三社(みついしゃ)」 左から玉依媛賣命(たまよりひめのみこと)、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、伊賀古夜日賣命(いかこやひめのみこと)を祀っています。前二つは下鴨神社の祭神と同じです。

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河合神社の創建時期は不明ですがく、平安時代初めの「延喜式」に「鴨河合坐小社宅(かものかわあいにますおこそやけ)神社」とあるのが河合神社であると考えられています。下は南門。

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「鴨河合」とは、賀茂川と高野川が出合うこの場所を表し、「小社宅」は多くの場合に社家の屋敷神を表します。この地に進出してきた鴨氏が代々祭りごとをおこなったと考えられています。「舞殿」

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明治10年(1887)に下鴨神社の第一摂社になりました。「絵馬書所」

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本殿に祀られている祭神の「玉依姫命(たまよりひめのみこと)」は、上賀茂神社の祭神・賀茂別雷神(かもわけいかずちのみこと)の母神であり、鴨一族の祖先神とされています。

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玉依姫命は美しい女性であったとされることから、河合神社では「日本第一美麗神」として崇めています。手鏡の絵馬に顔を描き、神様から頂いたお下がりのお米を食べると、綺麗になりたい願いをかなえてくれるのだそうです。

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本殿の玉垣内に摂社「貴布禰神社(きふねじんじゃ)」があります。古くから境内に祀られていたとされ、水の神・高龗神(たかおかみ)を祀ります。貴船神社と同じ祭神です。

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「任部社(とうべのやしろ)」は八咫烏命(やたからすのみこと)を祀っています。八咫烏は下鴨神社の祭神の賀茂建角身命の化身とされ、神話では神武天皇を大和まで案内して、導きの神、勝負の神とされています。

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境内に西にある「六社(むつのやしろ)」 右から、諏訪社、衢社(みちしゃ)、稲荷社、竈神(かまどのかみ)、印社(いんしゃ)、由木社(ゆうきしゃ)で、衣食住の守護神たちです。

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「西門」の道は「古馬場」 ここは奈良時代以前から賀茂祭(葵祭)の前儀の一つ「御陰祭」の切芝神事が行わた場所でしたが、永正14年(1517)を最後に途絶えました。元禄7年(1694)に御陰祭が再興されてからは現在のように表参道で行われています。

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イチョウの古木がある境内の東に戻ります。

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鴨長明の「方丈の庵」 「鴨長明」は平安時代後期の久寿2年(1155) 賀茂御祖神社(下鴨神社)の神事を統率する禰宜(ねぎ)の鴨長継の次男として生まれ、幼年時代は河合神社で過ごしました。

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高松院の愛護を受け、応保元年(1161)従五位下に叙爵されましたが、承安2年(1172)頃に父・長継が没した後は、後ろ盾を失ってしまいます。下は菊池容斎画・鴨長明(明治時代)。

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そのため、後鳥羽院のとりなしにも関わらず長明は近江国甲賀郡大岡寺で出家し、東山、次いで大原、後に日野(現・京都市伏見区醍醐)に閑居生活を行いました。

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安元元年(1175)長継の後を継いだ禰宜・鴨祐季は延暦寺との間で土地争いが発生して失脚、長明は鴨祐兼とその後任を争いますが、敗北してしまいました。

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元久元年(1204)、かねてより望んでいた河合社(ただすのやしろ。現・河合神社)の禰宜の職に欠員が生じ、長明は就任を望んで後鳥羽院から推挙の内意を得ます。「日露戦役褒美ノ砲弾」、戦勝記念に奉納されたものです。

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元久元年(1204)、かねてより望んでいた河合社(ただすのやしろ。現・河合神社)の禰宜の職に欠員が生じ、長明は就任を望んで後鳥羽院から推挙の内意を得ます。

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しかし、鴨祐兼が長男の祐頼を推して強硬に反対したことから、長明の希望は叶わず、神職としての出世の道を閉ざされてしまいました。建暦元年(1211)には飛鳥井雅経が将軍・源実朝の和歌の師として推挙しますが、叶いませんでした。

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後鳥羽院のとりなしにも関わらず長明は近江国甲賀郡大岡寺で出家し、東山、次いで大原、後に日野(現・京都市伏見区醍醐)に閑居生活を行いました。

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長明に皇族や貴族の後ろ盾があったのは、歌だけでなく琴や琵琶などの管絃の名手でもあったからです。しかし、彼はあくまで父の後を継いで神職となることを望んでいたようです。

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方丈の庵は長明が晩年過ごしたとされる一丈四方の建物の再現です。「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず…」で始まる「方丈記」は、人の世の無常を表した日本三大字随筆の一つとされ、

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都の火災、竜巻およびその直後の遷都、諸物価の高騰のあとの飢饉や疫病、さらに大地震など、自らが経験した天変地異に関する記述を書き連ねていて、歴史資料としても重要とされています。

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コメント

鴨長明のことは、あまり知りませんでしたが、
意外と苦労人だったのですね。
書物は残れど、上手くいかなかった人でしたか。

投稿: munixyu | 2020年7月15日 (水) 17:56

★munixyuさん こんばんは♪
人生がうまくいかなかったことから、冷静に人の世の無常を書き連ねたかも知れませんね。

投稿: りせ | 2020年7月22日 (水) 00:01

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