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2020年7月27日 (月)

浄土院と護念寺 2020年7月

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の上善寺の西に浄土院があります。いつも門を閉ざしていますが由緒のある尼寺です。

「浄土院」の創建は古く平安時代の藤原期(894-1285)の末、宗印が開基となり般舟院(はんじゅういん)の隠居所として創建されたといいます。

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安土桃山時代の1587年、豊臣秀吉が北野大茶会の際に立ち寄り茶を求めました。住職がお茶を出すと、秀吉は何杯も欲しがりました。住職は大茶人とされる秀吉に下手に茶を出すと恥をかくと思い、寺に湧く銀水を沸かした白湯ばかりを出し続けました。

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秀吉は、白湯が続くことに驚きましたがすぐに住職の意図が分かり、「お茶をくれん 湯たくさん茶くれん」といい、「湯沢山茶くれん寺」と名付けました。以後、これが寺の通称となったといいます。

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江戸時代末の1840年頃に黒谷本山の末寺の尼寺となり、昭和27年(1952)浄土宗本派となりました。本尊は阿弥陀如来坐像で、京の通称寺霊場6番「湯沢山茶くれん寺」です。

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名水の湧いた井戸は現存しますが、水はすでに涸れているそうです。もしかしたら、山門から見える祠の下かも知れません。

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本堂の屋根に、陶製の「寒山拾得像」が載っていて、右の寒山は経巻、左の拾得は箒を持っています。安土桃山時代の陶工・長次郎(1516-1592)の作といわれています。寒山と拾得は中国・唐の伝説の詩人・僧侶です。

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長次郎は京都に生まれ、千利休の指導により侘茶に適した鉛釉のかかる黒楽や赤楽茶碗を制作しました。秀吉に愛されて聚楽第内の窯でも製陶、聚楽焼とも呼ばれました。「聚楽茶碗」を略して「楽茶碗」と称し、楽焼の祖となりました。

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「楽」姓を賜り、千家十職の一つ楽家の初代となりました。代表作は、利休が所持した「長次郎七種茶碗」だそうです。香炉、皿、焙烙(ほうろく)や飾瓦なども焼き、これらの像は秀吉ゆかりの当寺に奉納されたものだと思われます。

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今出川通をはさんだ南側に、もう一つの浄土宗寺院(かっては尼寺)があります。

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「護念寺」は、鎌倉時代に天台宗の僧侶・護念上人により創建されたといわれています。護念上人は源義朝の兄弟の源慈応のことで、幼くして仏門に入り比叡山で長く暮らします。

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義朝が没すると平家の勢力は増し、彼は追われるように帰依していた比叡山無動寺の不動明王像の「御頭」を背負って諸国を行脚します。

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越後国加地庄菅谷山(現・新発田市菅谷)までたどり着くとそこで啓示があり、背負ってきたご本尊を安置することを決意します。(境内の東には墓地があります。)

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当時の加治庄を支配していた佐々木盛綱の仲介で、1185年鎌倉に幕府を開いた頼朝に会いに行きます。(最近では、朝廷より全国の守護・地頭の任命権を認められた1185年を鎌倉幕府の成立年とするようです。)

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その後も越後を拠点として全国行脚を続け、1200年に亡くなりました。その後の1210年、頼朝の子・実朝から七堂伽藍が寄進され、菅谷寺の寺容が整いました。

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護念寺が創建されたのはその晩年の期間だと思われます。「地蔵堂」には極彩色の美しい延命地蔵菩薩が安置されています。

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幕末の慶応年間(1865-1868)に流行した地蔵信仰の「摺(すり)袈裟」をまとっています。摺袈裟とは、仏を表す梵字や仏の功徳を説いた言葉「陀羅尼」が刷られている袈裟です。洛陽延命六地蔵巡りの一つ。

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地蔵堂の前に「平和観音」があります。第2次大戦中、京都は数回米軍の空爆にあいました。一番被害が大きかったのが、昭和20年6月26日の西陣聚楽第跡周辺で、死者50名、負傷者66名、被害家屋292棟だったそうです。

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空爆で大人も幼子も犠牲となった惨事を目の当たりにした一女性が、犠牲者を供養し未来永劫に平和が続くことを祈願して、この像を建立したそうです。

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南北朝時代には臨済宗の京都尼寺五山の一つとなりました。他は景愛寺・檀林寺・恵林寺・通玄寺です。

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その後の応仁の乱から戦国時代にかけて衰退しましたが、安土桃山時代の1595年重譽上人により浄土宗寺院として再興されました。   

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本堂の内陣中央には本尊の阿弥陀如来像、脇侍として観音、勢至菩薩像、右脇壇には善導大師像と法然上人像が、左脇壇には開山の護念上人像が安置されています。

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2018年の「浄土宗寺院大公開」(浄土宗京都教区)で特別公開されました。

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上述の護念上人が開いた菅谷寺(菅谷不動尊)は真言宗醍醐派の大きな寺院で、上人の墓も現存します。しかし、そこには千本今出川の護念寺の事は伝わっていません。

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千本今出川と護念上人とのつながりが分かりませんが、もしかすると一昨日の記事の無動寺大辨財天も上人とゆかりがあるのかも知れません。山門越しに浄土院が見えます。

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コメント

湯沢山茶くれん寺。
凄い住職ですね。
お茶を頼まれて、白湯を出すとは。
逆に怒られないかと思ってしまいます。
住職も、ある意味命懸けだったのかもしれませんね。

投稿: munixyu | 2020年7月27日 (月) 14:44

★munixyuさん こんばんは♪
住職(尼僧)は秀吉がお茶好きなのを知っていて、不味い茶を出すと叱られると思い、白湯を出し続けたといわれています。秀吉もこの寺に名水が湧いていることを知ってのことだといわれています。

投稿: りせ | 2020年7月30日 (木) 01:05

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