« 千本通を歩く 瑞雲院から今出川へ | トップページ | 浄土院と護念寺 2020年7月 »

2020年7月26日 (日)

千本今出川 上善寺

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

Jod_7722a
※写真は全てクリックで拡大します。

千本今出川の交差点の北西に上善寺があります。「上善寺」は山号を千松山(せんしょうざん)という天台真盛宗の寺院です。鞍馬口にある上善寺とは、元は一つの寺院でした。

Jod_7823a

上善寺の創建は古く、平安時代の863年、慈覚大師円仁により天台密教の道場としてこのあたりに創建され、最盛期には塔頭13院を有したといわれます。(参道左に「大師堂」があります。)

Jod_7728a

左から「元三大師」、「大黒天」、「毘沙門天」を祀っています。元三大師は慈恵大師良源のことで、命日が正月の3日であることからこの名で呼ばれています。

Jod_7731a

その後、何度も火災により焼失、衰退しました。また、記録が焼失したことにより正確な由緒も不明になったようです。

Jod_7820a

室町時代の文明年間(1469-1487)、春谷盛信(しゅんこくせいしん)により天台宗の不断念仏道場として再興、寺名を「上善寺」としました。

Jod_7815a

後土御門天皇(1442-1500)の勅願寺となり、その子・後柏原天皇(1464-1526)が授戒し、山号「千松山」の勅額を賜りました。ここまでは、鞍馬口と千本今出川の上善寺は同じものです。

Jod_7746a

鞍馬口上善寺の寺伝によると、安土桃山時代の文禄3年(1594)豊臣秀吉の都市改造により寺町通の北端(鞍馬口)に替地移転となりました。移転した寺は、浄土宗に改められて現存しています。「庫裡」

Jod_7751a

一方、こちらの上善寺の寺伝によると、文禄3年(1594)に現在地(千本今出川)に移り、寛文年間(1661-1673)に天台真盛宗に改められました。

Jod_7754a

現在の堂宇は幕末の嘉永5年(1852)の火災後に、再建されたものです。1594年にどのようなことがあったのか分かりませんが、このとき二つの上善寺が誕生したことになります。「書院の玄関」

Jod_7757a

様々な可能性が考えられますが、秀吉の都市改造に際して二つの寺に分かれたというのは珍しいケースです。書院と本堂は渡り廊下で結すばれています。

Jod_7808a

豊臣秀吉は、天正15年(1587)の聚楽第の完成後、同19年(1591)に都市改造を断行しました。洛中を取り囲む「お土居」の構築と街区の再編成を命じました。本堂には阿弥陀如来を祀っています。

Jod_7764a

工事は5カ月で完成し,京都は聚楽第を中心に巨大な城塞都市に変貌したといわれます。また、お土居の造成に前後して寺院街の建設も行われ、各寺院を強制移転させました。

Jod_7760a

市街地の東側には「寺町」、北部には「寺之内」を形成しました。天正19年12月には秀吉は甥の羽柴秀次に関白職を譲り、翌年秀次は左大臣にもなり聚楽第に移り住みました。いろいろな種類のアジサイが咲いていました。

Jod_7810a

しかし、秀次の関白職継承後、秀吉に実子の秀頼が誕生、秀吉は文禄4年(1595)7月秀次の関白並びに左大臣職を剥奪、秀次は高野山で自決しました。境内の西に「高倉稲荷大明神」が祀られています。

Jod_7771a

同月には聚楽第の破却が始まりました。高倉稲荷大明神には社殿がなく、石造りの御神体です。

Jod_7773a

境内の北にある墓地には、『仮名手本忠臣蔵』に登場するお軽(おかる)のモデルとされる、寺町二条の二文字屋の娘の墓があります。

Jod_7776a

その娘は山科の大石蔵之介(良雄)に仕えたといわれていますが、芝居ではお軽と赤穂藩に仕えた武士・勘平との恋物語が色を添えています。

Jod_7789a

墓地の手前の蔵のような建物「地蔵堂」に、「火除け地蔵」が祀られています。

Jod_7779a

二つの上善寺が生まれた文禄3年(1594)は秀次が関白の時代で、豊臣政権にほころびが見え始めた頃でもありその都市改造も混乱していたのかも知れません。

Jod_7803a

Jod_7819a

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Jod_7799a

|

« 千本通を歩く 瑞雲院から今出川へ | トップページ | 浄土院と護念寺 2020年7月 »

コメント

正確な由緒が分からなくなるほどとは、
一体何回燃えたのでしょうね。
寺が二つになったり、謎の多い寺ですよね。
それでも再建できて残っているから、凄いと思います。

投稿: munixyu | 2020年7月26日 (日) 16:35

★munixyuさん こんばんは♪
お寺の由緒を見ていると、ときどき謎が出て来て気になります。謎が解決すると嬉しいのすが、めったにありません。

投稿: りせ | 2020年7月27日 (月) 02:25

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 千本通を歩く 瑞雲院から今出川へ | トップページ | 浄土院と護念寺 2020年7月 »