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2020年6月28日 (日)

花山稲荷神社 三条小鍛冶と大石蔵之介

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

折上稲荷神社を後に新十条通を西に行くと、旧安祥寺川に出合います。しばらく遊歩道にそって川を遡り、洛東ゴルフ場の北で北西に歩くと田んぼや工場が見られます。

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この道沿いに「花山稲荷神社」の東の鳥居があります。「花山(かざん)稲荷神社」は平安時代前期の907年、醍醐天皇の勅命によって創建されました。

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醍醐天皇が山階(やましろ)に住む外祖父・宮道氏の館に行幸した夜、夢に「宇迦之御魂」となのる白髪・白鬚の老人が現れ、「私をこの花山の地に祀れば、永く国民と国土を護ります」と告げました

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そして、「跡たれて光やわらぐ西の山 人の願いを三つの社に」と繰り返し唱えて消えたといいます。「花山稲荷公園」

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夢から覚めた天皇は御神託の通りに勅命を出して、上中下の社殿を造営させ三柱の大神を勧請したという創建の逸話があります。(公園の端に石仏が祀られています。)

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古くには当社を西山稲荷と呼び、「花山」という社号の由来は、御神詠から、当社を厚く崇敬した花山天皇にちなんで、あるいは当地の旧名「花山」によるものともいわれています。「百々(とど)児童館」

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一条天皇も当社を厚く崇敬し、永延2年(988)社殿を再建しました。

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高倉天皇の時代には、平清盛の嫡子、小松内府平重盛が承安4年(1174)伏見稲荷に参詣した夜、夢の中で花山の神様から神託を授かりました。「世を治めようとするなら、少しの野心もあってはならぬ。身を慎めよ」と戒めた後、

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「朝日さす西の山端に跡たれて 人の願いを満てぬことなし」.と御神詠を与えました。重盛は花山村の稲荷社に参詣して社殿神域の荒廃を嘆き、源太夫判官を奉行に任じて、南北300メートルの地を区切って社地と定め、立派な諸社殿を復興しました。

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祭神の「宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)」は稲荷大神とも呼ばれ、穀物を作り蚕を飼って織物を作る技術をもたらした神、家屋の守護神でもあります。「神大市比売大神(かむおおいちひめのおおかみ)」は、宇迦之御魂大神の母神で、

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当社が伏見稲荷大社の「元宮・母宮・奥宮」と呼ばれるようになったゆかりの神で、商売繁盛の神です。「大土之御祖大神(おおつちのみおやのおおかみ)」は土地田畑の神で、天孫降臨の道案内をした猿田比古大神と同じ神で、導き、交通の神でもあります。

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摂社の「熊丸神社」 祭神は速秋津比売大神(はやあきつひめのおおかみ)、佐田比古大神(さるたひこのおおかみ)です。速秋津比売大神は水門神、潮荒い海の神で大祓の祝詞にも出てきます。佐田比古大神は大土之御祖大神と同じ神です。

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摂社の「達光宮(たつこうのみや)」 市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)、金山比古大神(かなやまひこのおおかみ)、金山比売大神(かなやまひめのおおかみ)、天目一筒大神(あめのまひとつのおおかみ)を祀ります。

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市杵島比売大神は達光宮弁財天ともいい、交通安全と交易の守護神、商売繁盛、芸能・技芸・弁舌上達の信仰があります。金山比古大神・金山比売大神は金属・鍛冶精錬、鉱工業の守護神です。天目一筒大神は鉄を鍛錬する「ふいご」を神格化した神です。

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上の逸話にヒントを得て、『刀剣乱舞-ONLINE-』に刀剣男士「小狐丸」が登場しました。人気のキャラクターらしく、沢山の絵馬がかけられていました。

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平安時代の刀鍛冶師・三条小鍛冶宗近が参篭参詣し、当地の埴土で鞴を作り、名刀「小狐丸」を鍛え上げました。それを聞いた諸国の刀鍛冶、金物師達が競って参詣し、技術の向上を祈願したといわれています。これは天目一筒大神の功徳だとされています。

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「四社神社」 祭神は左から久久之智大神(くくぬちのおおかみ)、草野比売大神(かやのひめのおおかみ)、埴山比売大神(はにやまひめのおおかみ)、速秋津比売大神(はやあきつひめのおおかみ)です。

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久久之智大神は屋船久久之智大神ともいい、木の神、草野比売大神は草木や家屋の神です。埴山比売大神は土や肥料の神です。これら三柱の神様は本社の祭神の宇迦之御魂大神の幸魂だそうです。

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「水分社(みくまりのやしろ)」 祭神は天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)、国之水分大神(くにのみくまりのおおかみ)です。水分社はすべての生命の根源である水の神です。また、水に関係する全てを司り、製紙、染色業の守護神でもあります。

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本殿は江戸時代の元禄年間、大石内蔵助の義兄・進藤源四郎の寄進により建立されたといわれます。また、内蔵助が討入前に近くに隠棲し、当社に討入の成就を祈願したといいます。本殿の裏に内蔵助ゆかりの断食石があります。

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内蔵助がこの上で断食して討ち入りの策を練り、本殿の玉垣の中の「血判石」では神前で敵討ちの同志の心底を試すためこの上で血判をさせたといわれます。内蔵助が寄進したとされる木製の鳥居が本殿の裏にあります。

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鎮座1100年記念事業の改修工事中に本殿天井裏から棟札が見つかり、元禄14年2月11日の日付と施主・浅野長矩家臣進藤源四郎俊弐の名が書かれていました。

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進藤源四郎は内蔵助を山科に住まわせたことから、伝承の真実味が増したといわれています。「御塚(おつか)」 本殿北側に、八百万の神々のごく一部の八十余柱を祀っています。

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御塚を通り、北の参道を行くと大きな鳥居があります。神社は南北に長い丘の上に建っていて、こちらが表になるようです。この参道沿いにアジサイが咲いていました。

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「御嶽山御塚」 参道脇の楠木のそばにある御嶽大神の岩境には、大国主(おおくにぬし)大神、少彦名(すくなひこな)大神を祀っています。これらの神は医療の神として崇められ、病気平癒、身体健勝を祈る人が絶えないそうです。

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室町時代の天文年間(1532年頃)から参詣者が増え、特に江戸時代の元禄年間(1700年頃)には稲荷講が設立されて、洛中の人々が団体で参詣するようになり大いに賑ったといわれています

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昭和初年頃まで賑わいを見せていましたが、太平洋戦争後一時寂れました。戦後は宗教法人花山稲荷神社として再出発して次第に復興、平成15年(2003)には鎮座1100年の式年大祭を盛大に行ったそうです。

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