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2020年6月22日 (月)

金閣と鏡湖池 2020年6月

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

梅雨の晴れ間に金閣寺に行ってきました。人出が少なく写真は撮りやすいのですが、近所のお店はまだ大変な状態だと思います。下は鞍馬口通の西端にある表門。

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「金閣寺」は、正式名称を「鹿苑寺」、山号を北山という臨済宗相国寺の境外塔頭です。(参道の両側にカエデはきれいな青紅葉です。)

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「馬繋(うまつなぎ)」 木杭に馬をつなき、駐車場ならぬ駐馬場だったところです。清水寺の馬留(うまどめ)も同様ですが、ベンチは先生方のチェックポイント?と書いてあります。

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鎌倉時代の公卿・西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、北山殿(北山弟)を造ったのが始まりとされています。

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右は1994年に世界遺産に登録された記念碑、左は天皇家から下賜されたという「総門」です。拝観受付はもっと先にあります。

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総門をくぐって拝観受付までの途中に、舟形の「一文字蹲踞(つくばい)」があります。かっては馬が水を飲むための水槽で、総門近くの馬繋にあったといいます。

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北山殿には、北御所、夫人・日野康子の南御所、叔母・祟賢門院の御所などが建てられました。祟賢門院(広橋仲子)は後円融天皇の生母で、姉妹の紀良子が足利義詮の側室、足利義満の生母です。

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「庫裡」 禅宗特有の様式の建物で、明応・文亀年間(1492~1504)の建物とみられています。ここで写経が行われ、外国人の方も多くて賑やかな雰囲気だそうです。

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1398年には舎利殿(金閣)が建立されました。当初は三層のみに金箔が貼られていたといいます。正面は「唐門」、左に拝観受付があります。

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「参拝門」をくぐると金閣が見えます。

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「浄蔵貴所塔」 浄蔵は平安時代の天台密教僧で、加持、祈祷にすぐれ、神通力で八坂の塔の傾きを直したといわれています。お参りすると浄蔵の不思議な力によって願い事がかなうといわれます。

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いつもと様子が違い、南側(左)にくぼ地がありました。一昨年10月に金閣寺と京都市埋蔵文化財研究所が、鏡湖池の南側に「南池」跡の堤や建物礎石が発見されたと発表しました。

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鏡湖池の南側で、東西約76m、南北約45mの広さがあり、 江戸時代の絵図「北山鹿苑寺絵図」(1790年)だけに描かれ、実態がよく分かっていない「幻の池」でした。発掘調査ではなく、南池の復元を目指しているのかも知れません。

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下は鏡湖池と金閣のパノラマ写真。

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金閣の手前に中の島の「葦原(あしはら)島」があります。ここは参拝客の撮影スポットで、いつもなら後ろに下がって手すりまで写すことができない場所です(TOPの写真も)。

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一層は寝殿造の法水(ほっすい)院、二層は武家造の潮音洞(ちょうおんどう)、三層は中国風の禅宗仏殿造の究竟頂(くっきょうちょう)とよばれています。三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建物といわれています。

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金閣寺の庭園は92,400㎡(2万8千坪)あり、鹿苑寺庭園として特別史跡及び特別名勝指定地となっています。庭園の中心となる「鏡湖池(きょうこち)」は約6,600㎡(約2千坪)あり、ここに大小の島々、畠山石などの奇岩・名石が配されています。

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散策路は池の南東から東に向かいます。

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池泉回遊式庭園になっていますが、池の西の方は木戸があって回れません。左奥に「細川石」があり、義満時代の官僚・細川頼之が寄進した名石です。

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池の東にある「方丈」は、延宝年間(1673-1681)に4世文雅慶彦と後水尾上皇によって再建され、大仏師・忠円作とされる本尊「聖観世音菩薩坐像」、開山の「夢窓疎石像」、開基の「足利尊氏像」、中興の祖「文雅慶彦像」などが安置されています。

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1408年に義満が亡くなると、翌年子の4代将軍・義持は三条坊門殿に移り、北山殿は日野康子の居所になりました。金閣の真横の広場に来ました。ここも撮影スポットで賽銭箱があります。

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金閣の屋根は椹(さわら)の薄い板を何枚も重ねた柿葺(こけらぶき)で、上には中国の想像上の動物で、永遠の命を持ち権力の象徴、火の鳥とされる鳳凰が輝いています。この鳳凰は金銅製で昭和62年(1987)に修復された4代目だそうです。

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1419年に康子が亡くなると北山殿は破却され、翌年義持によって紫宸殿は南禅院へ、天鏡閣は南禅寺へ、懺法堂は等持寺へ、公卿間は建仁寺へなど、諸堂は他の寺院に移築されました。このとき、舎利殿、護摩堂、法水院は残されたといいます。

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残された舎利殿は、臨済宗の僧・夢窓疎石を開山(開基は義満)として、北山鹿苑寺という禅寺になりました。上は「陸舟(りくしゅう)の松」で、義満遺愛の五葉松の盆栽を帆掛け船の形に植え替えたと伝わっています。下は一層内部の写真。

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鹿苑寺の寺号は、義満の法号「鹿苑院殿」にちなんでいます。鏡湖池は舟遊式庭園でもあり、金閣の西に突き出た「漱清(そうせい)」に舟を着けます。8代将軍・足利義政はここで手水を使い金閣に上がったといわれています。

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1467年の応仁の乱では西軍の陣地が置かれ、建物や庭園は破壊や焼失しましたが、金閣だけは焼失を免れました。しかし、昭和25年(1950)に放火により焼失、5年後に創建当初の姿に復元されました。

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庭園は昭和31年(1956)に特別史跡・特別名勝に指定され、平成6年(1994)金閣寺は世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成要素の一つとして登録されました。北から水が流れ込んでいます。

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池から離れ北の斜面の方に向かいます。

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コメント

金閣寺と銀閣寺は、金と銀ということで
比べてしまいますが、金の静けさ、銀の静けさは、
それぞれに独特で、比べ難いですよね。
金閣寺は、のんびりとした静けさ、
銀閣寺には、締まった静けさがあると思います。

投稿: munixyu | 2020年6月22日 (月) 15:07

★munixyuさん こんばんは♪
長い外出自粛のあと、何故か初めて京都観光をする気分になっています。

投稿: りせ | 2020年6月22日 (月) 23:08

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